アムールトラ/ビーストのきせき 前編

第1話 ◯放浪

どこかの国の森の中。あちらでは鬱蒼と草木が生い茂り、こちらでは綺麗な小川がサラサラと流れている。暖かな日差しに照らされた木々の葉が、爽やかな風にサワサワと揺れている。この豊かな森には、多くの動物達が暮らしていた。


すると突然、茂みからガサガサという音と共に、小さなネズミとそれを追いかけるトラの子供が飛び出してきた。そしてトラの子は、前足を目一杯伸ばしてネズミに振り下ろした。押さえ付けたかに思えたが、ネズミは必死に体をよじらせて前足から抜け出すと、あっという間に消え失せてしまった。


トラの子が呆然としていると、後ろから母親と、兄と姉が現れた。彼女らはアムールトラ、この森で家族仲良く暮らしていた。

その子は「逃げられちゃった」と目で訴えながら、トテトテと3匹の方へと歩いていった。この子は三兄妹の末っ子で、とても甘えん坊でいつも誰かにくっついていた。まだまだ狩りは練習中で、兄妹の中で一番下手だった。


ある日、母親のそばで兄妹と遊んでいると、森の入り口から聞いたことがない大きな音がした。

ギュィィィィン!!!

メキメキメキ…、 ズシィィン!

そして今度は、大きな木の倒れる音が聞こえてきた。異変を感じた母親は、兄妹を連れてさらに森の奥へと入っていった。

その日、大きな音はいつまでも続いていた。


翌日、兄妹が目を覚ますと母親がいなくなっていた。いつものようにご飯を探しに出かけたのだろうと思っていたが、いつまで経っても帰ってこなかった。

さらに翌日、一番上の兄が母親を探しに出かけた。ところが兄も、それっきり帰ってこなかった。


アムールトラはお腹を空かせながら、姉と一緒に母と兄が帰ってくるのを待ち続けた。すると、どこからかパチパチという音が聞こえてきて、煙の臭いがし始めた。

2人が不安そうに辺りを見回していると、突如向こう側の木々が激しく燃え上がった。そして空が赤くなり、熱い風が吹いてきた。

それから森の動物たちの悲鳴や、逃げ惑う足音が至る所から聞こえてきた。2人は恐ろしくなって、そこから一目散に逃げ出した。


アムールトラは死に物狂いで走り続けたが、気がつくと一緒にいたはずの姉の姿が見えなくなっていた。急に一人ぼっちになってしまったアムールトラは、心細くて仕方なかった。


「お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、みんなどこなの⁉︎」

キョロキョロしながら必死に走り回っていると、鼻先にポツンと雨粒が落ちてきた。

しばらくすると、激しい雨が降ってきた。燃え盛っていた炎は消え、真っ黒になった木からぶすぶすという音と煙が上がり、焦げくさい臭いがあたりに広がった。

焼けたのは草木だけではなかった。逃げ遅れ、炎と煙にまかれて力尽き、原型を留めないほどに焼けただれた動物達の死骸が、あちらこちらに散らばっていた。

土砂降りの雨が降りしきる中、アムールトラは家族を探しながら森の中を駆けずり回った。



それから毎日探し歩いたが、見つける事はできなかった。

ある日、空腹と疲労でふらふらしながら歩いていると、小高い丘の上に出た。そこから見下ろすと、草木がなくなり裸になった森が目の前に広がっていた。

そこには鉄のニオイがする光る物が沢山あった。

形も大きさもいろいろで、向こうでは四角い体をしたでかいのが、丸い足で動き回っていた。

そのあまりの光景に、アムールトラは困惑しながら立ち尽くしていた。


パアンッ!

不意に背後から大きな音がしたかと思うと、体に激痛が走った。とっさに痛いところを見てみると、腹から赤い血が溢れ出ていた。そして力が抜けてゆき、アムールトラはそのまま意識を失ってしまった。


すると茂みの中から、銃を持った4人の男達が現れた。

彼らは違法な開発業者と手を組んだ密猟者で、作業員を危険から守るという名目で、森の動物達を捕まえては金に変えていた。

特にトラの骨や内臓、爪や牙などは薬や装飾品として珍重され、高い値がついた。


彼らはニヤニヤしながらアムールトラに近付いてきた。その中の一人がこう言った。

「これで4頭目、ついてるな。」


そして上機嫌で懐に手を伸ばしたが、仲間に止められた。

「おっとタバコはやめとけ。また火事になったらどうすんだ。」

「ちぇ、分かってらあ。」


とどめを刺すために、そいつはアムールトラの脳天に銃口を突きつけた。

ところが引き金を引こうと指先に力を込めた瞬間、仲間が声を上げた。

「やばい!警備のヤツらが来たぞ!ずらかれっ!」


密猟者達は、アムールトラを置いて素早く車で逃げて行った。

そこへ、ここら一帯をパトロールしている警備員達がやって来た。彼らはアムールトラにまだ息があるのを確認すると、急いで治療センターへと連れて行った。


献身的な治療により、アムールトラは一命を取り留めた。しばらくすると傷も塞がり、すっかり元気になった。

しかしここには、大型の肉食獣を飼育し続ける設備がなかった。かといって、違法な開発や密猟が横行しているこの森に返すことはできない。


職員が近隣の野生動物の保護施設や動物園などに片っ端から電話をしたが、どこも怪我をした動物でいっぱいだった。




引き取り先が見つからず困り果てていると、とある小さなサーカス団から連絡が来た。

彼らは動物を扱ったショーをしながら各地を回っていたが、ショーの主役だったトラが老衰で死んでしまい、代わりを探していたのだ。


こうしてアムールトラはそのサーカス団に引き取られ、ショーをしながらあちこちを旅することとなった。始めは警戒していたが、甘えん坊で人懐っこい性格だったため、しだいに打ち解けてゆき、少しずつ芸も覚えていった。

体もすくすくと成長し、翌年には見違えるほど立派な姿となった。


アムールトラは飲み込みが早く、演技も素晴らしかった。華やかな音楽に合わせてしなやかに動くその姿に観客は魅了され、惜しみない拍手を送った。


このサーカス団は数名の人間と動物達で構成されていた。その中に、アムールトラの調教を担当するみなしごの少年がいた。

家族がいない者同士通じ合うものがあったようで、苦楽を共にするうちに2人はすっかり仲良くなり、いつも一緒に過ごすようになった。いつしかアムールトラは、声を聞くだけで彼の考えが感じ取れるようになっていた。



ある日、一行は次の公演先を探して小型の船に乗った。

アムールトラは他の動物達と共に貨物室に乗せられた。檻の中でおとなしくしていたが、しばらくすると急に表が騒がしくなった。


船は突然の大嵐に見舞われた。凄まじい豪雨と共に暴風と大波が押し寄せ、船は航路を外れて流されていった。

団員達は船に備え付けられていた電話で必死に助けを求めたが、悪天候で救助隊はそこに向かう事ができなかった。


波はますます大きくなり、船が激しく揺れはじめた。

貨物室の中は動物達の悲鳴でいっぱいだった。

激しい音と共に天地が逆転し、アムールトラは檻ごと壁に叩きつけられた。すると檻がひしゃげると同時に、大量の海水が流れ込んできた。


アムールトラがパニックになっている所へ、あの少年が水をかき分けながらやってきた。そしてなんとか檻の鍵を開けると、必死に叫んだ。

少年「早く出るんだ!船が沈む!君だけでも生き延びてくれ!」


彼の思いが伝わってきて、こんな状況でも少しだけ落ち着く事ができた。



大波が襲いかかってきて、とうとう船はひっくり返り、波に飲まれてバラバラになった。

仲間たちは、泣き叫びながら荒れ狂う海に消えていった。

アムールトラも檻ごと海に投げ出された。かろうじてそこから抜け出したものの、どんなにもがいても浮かび上がる事ができなかった。しだいに意識が遠のいてゆき、体が暗い海の底へと沈んでいった。


するとアムールトラの周りに、キラキラしたものがどんどん集まってきた。そして体が光り輝き、徐々に変化していった。


船が沈んだそばには、巨大な島の影が浮かんでいた。

潮の流れが変わり、アムールトラは海岸へと流されていった。

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