第47話 甘味の鬼3

 想定外のせりふであった。ために、太一郎は飲んでいた茶を勢いよく吹きだし、食べようとしていたよもぎ大福を地面に取り落した。

 どこからか走ってきた喜一が手拭いでさっと茶を拭い、素早く地に転がる大福を拾い上げた。

「ああっ……その大福……」

「へぇ、捨てさせていただきやす」

 急いで拾ったのにはわけがある。

 この丸々と太った親分、転がったものも拾って食べかねないほどに甘いものが好きなのだ。

 案の定、親分は大福を名残惜しそうに眼で追っている。

「喜一……その……」

「……失礼いたしやす」

 ああ、と、太一郎が項垂れる。その肩を、英次郎が掴んだ。

「親分! 大福などより、鬼退治の方が大事だぞ!」

「鬼退治とな。気は確かか英次郎」

「うむ

 英次郎が震える手で、拳を握った。どうやら、本当に鬼退治に行くつもりらしい。

「親分、鬼の弱点はたしか角であったな。刀で切れると思うか? それとも組み付いてへし折る方がいいかな」

「これ英次郎、しっかりいたせ」

「親分、心配無用。いたって正気だ」

「よいか、英次郎。このご時世に鬼がおるものか。大方、お忍びで定宿を抜け出した阿蘭陀人たちを、異人に不慣れな娘たちが鬼と見間違えたのであろう」

 江戸の町に鬼が出た、と道行く人々が奉行所や番所に駆け込むことがある。だが、その大半は、鬼ではなく「異人」を見ているものなのだ。

 背が高く、鼻も高ければ髪の色も異なる。着ているものも話す言葉もまったく異なる『見慣れぬ生き物』に、誰もが驚く。

「英次郎、このところクルチウスたちの元へ、異国の人々がこっそりと集っておる。抜け出した者がないとも限らぬ」

 そのせいでたびたび、諍いや騒動が発生し、その都度太一郎たちが駆り出され些かうんざりしているのだが、この際それは脇に置いておく。

 だが、ぶんぶん、と英次郎が首を横に振った。

「違うのだ、親分……。商館長たちではなかった。亜米利加でもなかった。頼む、信じてくれ。本当に、鬼だ……」

 かすれたような、震えたような声で英次郎が語り始めた。

「ここへ来る前、おれは日本橋の長崎屋へこっそり寄ってみたのだ」

 ほほう、と太一郎が眉毛を持ち上げた。


 長崎屋というのは日本橋にある薬種問屋である。

 だが、薬を扱うだけでなく、もう一つの顔がある。それは、長崎から阿蘭陀商館長――カピタンと呼ばれている――の一行が上様に謁見するために江戸に出てきた際の、定宿になっているのだ。

 近頃、カピタン一行が密かに江戸入りする回数が増え、江戸滞在の期間も長くなっている。自然と、太一郎たちによる影警護の回数も増え、英次郎とカピタンたちが顔をあわせる回数も増えている。

「親分。ここ数日、ヤン・ドンケル・クルチウス商館長たちは、腹を下して宿で唸っておるそうな」

「なに、悪しき病か?」

「いや、魚や貝に中ったのであろうと、ライターどのが申して居る。さほど心配はないそうだ」

 御家人の次男坊である英次郎の口から、すらすらと異人の名前が飛び出した。どうやら英次郎が太一郎の目を盗んで頻繁に長崎屋へ行っているという噂は真実であるらしい。

「英次郎」

「む?」

「そなた、いつの間に阿蘭陀人たちと仲良くなったのじゃ?」

 あ、と、英次郎が姿勢を正した。

「実はそれがし……異国の話が聞きたくて、時折長崎屋をこっそりと尋ねている次第。表向きは先達て浪士どもに襲われて震え上がった長崎屋の用心棒ということになっていて、毎回、頃合いを見計らって、長崎屋の女将どのや娘御が、人目につかぬように、そっとそれがしを二階へあげてくれる」

 何か問題があるだろうか? と、英次郎が心配そうに太一郎に聞く。

「ふむ、あくまでも長崎屋の用心棒、という体じゃな?」

 英次郎がこくこくと頷く。

「そうしたほうが良いと、ライターどのが」

「そうじゃな。用心棒がお店を訪うのは構わぬ。そこにたまたま、阿蘭陀人が宿泊しておったというだけで……」

「今のところ、どこからも咎められてはおらぬ。それがしが長崎屋に出入りすると、親分の仕事に障りがあるだろうか?」

「いや、大丈夫じゃ」

 むしろ、剣の達人が出入りしてくれるのは有難いのである。

「ふ、む……腹下しでは何もできまいな……」

 太一郎は、腕を組んで英次郎を見た。

「それに親分。異人が我らを襲う理由はない。彼らは巷で言われるような蛮族ではないゆえ」

「うむ、確かに」

 英次郎は、古風な武家の育ちでありながら、まっすぐな好奇心を海の外に向けている。

 鎖国だの開国だのといった政治情勢や、阿蘭陀国との関係、亜米利加国とのやりとり……などといった外交はまったく抜きにして、異国へ心をむけている。それは南蛮菓子を作り、異国の衣服に興味を示す母親・お絹の影響も強い。クルチウスたちは、お絹に異国の菓子を贈り、お絹はそれを見事に再現して見せたというから驚きだ。

 背も高く顔も整っている英次郎は、洋装もよく似合うだろう。

 さらに人当たりが良いため、すぐに異国の人たちとも馴染むだろう。

 勉学が嫌いではないと言っていたので、異国の言葉の習得にも励むだろう。先日持って帰った蘭語の辞書を面白がって読んでいるくらいである。

(このような人材が、海を渡ると良いのであろうな……どうやったら御家人の次男坊に海の向こうをみせてやれるのであろうか……? 海軍操練所へ入れてやればよいのかのう……)

 途方もない事を真面目に考えている自分に気付いて、太一郎はひとつ苦笑した。やくざ者の自分にどうこうできることではない。

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