第40話 化鳥、奮闘記9

 木の幹に沿って、太一郎が、ずざざざ、と、滑り落ちる。

「ぐ、あ、おおお……た、たすけ……」

「親分! 枝に捕まれ! 左手の枝が太いぞ」

 血相を変えた英次郎が馬に乗ってやってくる。その姿を見て、助かった、と、太一郎は思った。そして信頼する若き友の声に、太一郎の体は自然と反応した。むずっと枝を掴んで速度を殺した。が、不幸なことに、太一郎が掴んだ枝は余りにも細かった。その枝は、めりめりと嫌な音を立てた。

「しまった親分、今度は右の枝!」

「う、ぬぅ……」

 右の枝は太くて短い。太一郎はなんとかそれにしがみつき、体勢を整えた。が、やはり太一郎の体重を支えるのは難儀なことであるらしい。めりめり、とすぐに音がする。折れる枝を視界の端に見ながら、太一郎は真下に来た英次郎に向かって、

「英次郎……少し目方を減らす試みをしようと思うがどうであろうか?」

 と、叫んだ。

「親分、殊勝な心掛けであるゆえ、我が母も交えて相談しよう。しかし、化鳥がまだ狙っている」

「ひえぇ」

 ばさばさと、大きく木が揺れた。黒い翼が見え隠れしはじめ、鋭い鉤爪が太一郎の顔に向かって幾度も繰り出される。

「え、英次郎、鳥はどこじゃ。よく見えぬ」

「退治するゆえ、そこから動いてはならぬぞ、親分!」

「む、無茶を言う……お、落ちる……」

「枝に張り付いておれば、鳥は親分がしかと判別できぬようだぞ!」

「そうか、鳥は目が良くないのであったな」


 太一郎は、とにかく必死で木にしがみついた。

 奮闘してくれている英次郎に加勢したいが、中途半端な高さであるゆえ自分で降りることもできず、かといってここから落ちれば怪我をする。

 なにより、地面に降りたら化鳥に見つかるであろう。さすれば、再び江戸の空を運搬されてしまう恐れがある。それは御免である。

「さてもさても、どうやって江戸から追い払うか……」


 英次郎と化け鳥の死闘は続いている。

 化鳥も、太一郎を運んで疲れているだろうに大奮闘である。英次郎めがけて鉤爪が繰り出され、それを斬り飛ばそうと待ち構える英次郎の剣が奔る。が、刃が届く前に鉤爪を引っ込めてしまう。

「おしい……刀の長さがちと、足らぬ……!」

 ぎゃーすと、怒りの声と共に突風と炎が吹き付けられた。

 わああ、と驚いたらしい英次郎も馬を操り間合いを取っている。

「炎を吐くとはさすが化け物……されどこんな火を江戸の町で好き勝手に吹かれては火事になる」

 許せぬ、と、英次郎が叫ぶ。

「ひええ……英次郎、そ、そなた……どこまで人が好いのか」

 衣笠組の太一郎親分としては、そこまで江戸の町を思うことはない。が、衣笠家の嫡男太一郎としてならわからなくもない。

 が。

「……英次郎、江戸の町も大事であるがまずわしを助けてくれぇ!」

 降ってくる火の粉を手で払い、冷や汗をかきながら首を捻って英次郎を見れば、弓矢を持参していた。

「おお、なるほど……」

 馬上からきりりと弓を引き絞り、きっかり狙いを定めて化鳥を射る。怒れる炎が英次郎を襲うが、馬を巧みに操りかわす。その横顔の凛々しいこと、それを己しか知らぬのは勿体ないことであると太一郎は思う。

「英次郎……頼むぞ……」

 一本、二本、と鳥を掠めた矢が、ついに胴を射抜いた。化け鳥が大きく傾き、怒りの声をあげる。

 悪臭を放つ体液を撒き散らしながら英次郎を攻撃するが、すばやく刀に持ち替えた英次郎が臨機応変に応戦する。

 が、そのうち、どさり、と、鳥が地面に落ちた。二度三度翼を動かし炎を吐いたが、それきり、ぴくりでもない。

「親分、もう降りても良いぞ」


 馬から降りた英次郎が、用心深く化鳥に近づき、切っ先で突く。が全く動かない。

「英次郎、鳥は絶命したのか?」

 木から転げるように落ちた親分も、そっと近寄る。

「いや、寝ておるだけだ。実はな、親分が拐われた後、ふと薬種問屋の長崎屋に駆け込んで、南蛮渡来の毒薬を借りた。それを矢の先に塗ってみたのだが……」

 毒は化鳥の命を奪うには至らず、ということだろう。

「さてもさても……この化け物、どうしたものか……」

 刀を納めて首を捻る英次郎に、太一郎は「わしに考えがある。任せろ」と胸を叩いた。

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