第34話 化鳥、奮闘記3

 そうこうしているところへ、たずねてくる人があった。というよりも駆け込んできた、の方が正しい。

「親分、い、い、いるかい!」

「ちょっと、あっしらを、助けてくんろ」

 ばたばたと賑やかな気配と共に駆け込んできて、どうやら表口ではなく勝手口で喚いているらしい。

「何事だ?」

 若い衆の一人がすっと立ち上がった。ひょろりと背が高く、頬に刀傷がある。ぎろり、凄みを感じる。

「聞き覚えがある……親分、ここはあっしが」

「よし。辰、任せたぞ」

 へぇ、と頷いたときには、凄みが消えて人懐っこい笑顔が浮かび、その変貌ぶりに英次郎は目をぱちくりさせた。


 勝手口で喚いていた二人は、

「おう、近所の『朝顔長屋』の住人さんだったな」

 という聞き覚えのある声に顔をそちらに向けた。ひょろりとした若い男が奥から軽快な足取りでやってきた。たしか、辰五郎だか辰二だとかいう名で、親分たちからは、辰、と呼ばれていた。

「へぇ、た、た、た、たしかにあっしらはあ、あ、朝顔長屋の住人でさぁ」

 大家の佐兵衛が朝顔づくりの名人のため、いつの頃からかそう呼ばれている。

「俺の弟がその長屋に世話になっててな。こうして顔を合わせるのははじめてだが、声に聞き覚えがある。名は何という」

「あああ、あっしは大工の熊八、こここ、こっちは棒手振りの五郎蔵でぇ」

 うん、と辰が頷く。

「何か、親分に用か?」

「へぇ、あっしらを助けて欲しいんで」

 二人の声が重なった。若い衆は一つ頷くとすうっと息を吸い込み、奥へとむかって、

「朝顔長屋の住人、大工の熊八どのと棒手振りの五郎蔵どのがお見えになっておりやす、親分、急ぎお出ましを!」

 と、怒鳴った。すると「朝顔長屋の熊八どの、五郎蔵どの、親分のお出ましを!」とどこからともなく唱和する声が次々とする。

 声はどんどん奥へと広がっていき、熊八と五郎蔵がぽかんとしているうちに親分と若い武家が揃って姿を現した。

「む?」

 親分の目が、熊八と五郎蔵、二人の上で止まった。二人とも体格のいい壮年の男のだが、血相を変えてかたかたと震えている。

「あああ、お、お、おや、ぶん……」

 どうした? と、親分が二人をゆっくり見ながら問いかける。二人が顔を見合わせたあと、熊八が声を落とした。

「化け鳥が、日本橋に出たんでぇ……」

「……化け鳥じゃと? それは……誠か?」

 どこか楽しげな親分の言葉に、五郎蔵がこくこくと頷いた。

「あっしら、そいつに追われて……ここまで逃げてきた」

「新吉と豆蔵が……あいつの犠牲になったんだ、おそろしい……」

「あっという間だった」

「鋭いくちばしで一突き、だったな……」

「せめて遺体は回収してやりてぇが、あいつは恐ろしい。なぁ……親分、どうしたらいい?」

 二人は口々にそう言い、ぶるりと体を震わせた。

「親分、事の真偽はともかく、ただ事ではなさそうな」

 辰が呟くと親分が一つ頷き、半歩後ろに控えている英次郎も同じように頷いた。


 玄関で立ち話をするには、深刻すぎる。そう判断した親分は、自ら二人を奥の間へと案内した。まさか衣笠組の屋敷へ通されると思っていなかった二人は、驚いたように顔を見合わせる。

「……ところで親分、そちらの若いお武家さんは?」

「わしの友、英次郎じゃ」

「衣笠組の親分には凄腕の用心棒がいると聞いたが……」

「英次郎はな、この江戸で五本指に入る凄腕じゃ。しかしわしの用心棒ではないぞ」

 太一郎が説明しようとするが、いきなり襖が開いた。

「親分、そちらはどちらの組のお方で?」

 と、目つきの悪い若い男たちが出てきた。ひえっ、と息を呑んだのは五郎蔵だろうか。熊八も五郎蔵も慌てて英次郎の後ろへ隠れてしまう。

「ご近所さんじゃ。朝顔長屋の……こちらが大工の熊八どの、こっちは棒手振りの五郎蔵どのじゃ。手出し無用。わしが呼ぶまで、奥には誰も来なくていい。いや、喜一の菓子が出来たら持ってきてくれ」

 へぇ、と男たちはそそくさと立ち去る。

「大丈夫じゃぞ、追い払った」

 太一郎が声をかけると二人はゆっくりと英次郎の後ろから顔を出した。そのまま廊下を渡り、親分自慢の離れへと向かう。

「へ、こりゃ大店みてぇな造りだな」

「なんだい、五郎蔵、大店の奥なんて行ったことあるのか」

「へへへ、それがよ、おれは棒手振りは棒手振りでも、扱う物が蝋燭や下駄の歯、傘や子供のおもちゃとかだろ、大店の奥へ『ちょいと来ておくれ』なぁんてこともあるわけよ」

「いよっ、それで若後家を誑しこんだんだな、この色男!」

「よせやい。大旦那にみっかってさ、えらい目にあったんだ」

 嘘か誠かわからぬ威勢のいい会話を聞きながら、親分の頬が緩む。

 ただ、二人の顔色は優れぬままである。心配事を一瞬でも忘れたいがための軽口であろうことは、太一郎にも英次郎にもわかっていた。

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