第27話 道場破り2

 威勢の良い声だったのだが……。

 突如、不穏な気配が漂った。


「あっ、親分!」

 少年の声が、とんがった。

「んあ?」

「また『お絹かすていら』を一人で食いましたね? とても甘い良い匂いが……」

「な、な、なんのことかな」

「しらを切っても駄目でぃ! ほーら親分、懐にも隠し持ってらぁ!」

「……幸太、見逃せ」

「おれが兄ぃに叱られるってもんだ」

「ししししし知らぬ!」

「隠してもだめですぜ。さ、持っている『かすていら』を全部出してください。ささ、はやく!」

 英次郎は、思わず笑ってしまった。

 幸太と呼ばれた少年、無謀というか果敢にもやくざの親分に物言いをつけているのだ。

 その会話の中身はとてもやくざ者のそれとは思えぬが、甘味は親分にとって何よりも大切なのだ。だから、少年が言い終る前に、親分が「断る」ときっぱり言う。

 出せ、嫌だ、出せ、嫌だ、と押し問答が続いた後、親分の悲痛な声が響いた。

「ああっ、幸太が食った!」

 ついに溜まり兼ねて、訪問者は吹き出した。なんとも逞しい少年である。

「あーおいしい!」

「あああああ……なんという……」

「んまいっ! 甘い!」

「かすていら……ああ、かすていら、かすていら……」

 まるでこの世の終わりのような嘆きっぷりである。訪問者は扉の前でぽりぽりと頰を掻いた。

 親分がどんな顔をしているか、どれほど落胆しているかが容易に想像できる。

「うう幸太ぁ……」

「親分、もっと喰いたい」

「あ、あるわけなかろう! もう終いじゃ……ああ……だめじゃ……」

 そのあまりにも激しい落胆ぶりに、訪問者は、慌ててこう言った。

「親分、母上が出がけに持たせてくれた、できたてを持参しておる! 存分に食え! ほら、ここにあるぞ!」

「なんと!」

 親分の声が弾んだ。まるで童子のようである。

「幸太、すぐに大戸を開けよ」

「え、でも……怪しげなお人ですぜ」

「案ずるな、佐々木英次郎じゃ。そなたも存じておろう? お絹さまの子息じゃ」

 親分の声が一気に明るくなった。

 だが、幸太は疑い深い性分らしい。戸の隙間からこちらを伺っている。くりくりとした大きな目が英次郎をじろじろと見る。

「……親分、大きな籠を背負って頬かむりまでしてどう見ても怪しい男ですぜ? 武家が駕籠を背負う理由がありませんや」

「そなた、知らぬわけではあるまい。御家人の次男坊が大きな籠を背負っているのは、そこには大事な荷があるからじゃ。この暑さゆえ、頬かむりの一つや二つせねば、割下水から歩いてこれぬわ」

 げええ、と少年が心底驚いた声をあげた。

「おいお侍、この暑い中をずっと歩いて来たのか?」

「ああ、内職の品を納めた帰りだ」

「内職? ってことは、あれか、本所界隈の貧乏御家人か! ははん、小普請入りしたのはいつのことだい? 長の貧乏が染みついてすっかり落ちぶれたって感じじゃねぇし、悪さ三昧という感じでもないところをみると、あれかい、今どき珍しい至極まっとうな次男坊か」

 ばこっ、と鈍い音がした。

「いてぇ、親分!」

 幸太が頭を抱えて蹲ったのが、戸の隙間から見えた。

「無礼者が! ったく。御家人佐々木家を支えている、健気な次男坊じゃぞ。そなた、厨房へ行って喜一の手伝いでもしておれ」

「あいよ!」

 ついに親分が自ら戸を開いて、訪問者を招き入れた。

「英次郎、無礼な若造で相済まぬ」

 英次郎は、けらけらと笑っていた。

「なんの。親分、今日はちと頼みがあって参ったのじゃ」

「なんじゃ?」

 頬かむりをとった青年は日焼けした顔をほころばせた。整った精悍な顔がそこにある。きちんと身だしなみを調えれば相当な美男であると思われた。

「ちと、道場破り……というか、喧嘩の必勝法を教えて欲しい」

 太一郎は、眼を瞬かせた。目の前の、年若い友人の口から出たとは信じがたい単語である。

「道場破りに喧嘩の必勝法……と、申したか?」

 こくん、と英次郎は頷いた。

「頼む。虫の良すぎる話とは思うが、とにかく手っ取り早く勝ちたいのだ」

「ふーむ。そなたの口からかように物騒な言葉が飛び出すとはな」

 頼む、と、英次郎は繰り返した。

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