第17話 曰く付き長屋につき4

 清兵衛長屋せいべえながやというのは、江戸の町に数多あるごく普通の裏長屋の一つである。


 ただし、大家の清兵衛に管理された店子たちはいずれもわけありである。


 例えば、元いた長屋の連中に呪いをかけてやるぞと大いに騒いで追い出された老婆がいる。

 その隣は、役者のような色男浪人。彼は、長屋のおかみさん連中を次々誑かして金銭を出させていたことが発覚し旦那連中に袋叩きにあって着の身着のまま追い出された。

 その隣でひっそり暮らしているのはさる藩より駆け落ちしてきた一家であるし、仇持ちの剣術家がいれば、心中未遂常習犯の若後家、偽坊主に強面の浪人――さらに、長屋そのもので騒動が起きるとなれば、まともな住人はほとんどよりつかないのも、道理である。


 そもそもの話、大家の清兵衛からして見るからに怪しい。

 清兵衛の左眉から右の頬にかけて大きな刀傷がはしり、見るからに悪人面である。

 しかも町人の姿形をしてはいるが挙措は武家のそれであるため、ますます正体がわからない。店子たちは清兵衛を、どこぞの重臣ではないかといい合っているが清兵衛は己の出自に関してはまったく口を開かないのである。

 さらに、やくざの衣笠組や町奉行、日本橋界隈の大店の旦那や吉原とも昵懇というのだから、事件と進んで関わっているようなものである。


 その清兵衛長屋へ、新しい住人がやってきた。衣笠組の親分に伴われた旅の親子だ。

「清兵衛どの、こちらの親子をお連れしたぞ」

 長屋の木戸で親分が叫ぶ。と、盆栽と剪定鋏を手にした初老の男がひょこっと顔を出した。

「これは、親分」

「清兵衛どの、こちらの長屋を探して本所をあちこち彷徨ったそうな。青葉どのと娘ごの浮羽どの」

 ふむ、と、清兵衛は太一郎を見、そして親子を一瞥した。鋭い視線だったのはほんの一瞬、すぐに視線はそらされる。

 いかにも浪人といった風情の青葉が丁寧に頭を下げて名前を告げ、慌てて浮羽も頭を下げる。

 そのまま大家の家に招かれ、なぜか親分がいそいそと全員ぶんのお茶を淹れる。

 そっと置かれたお茶は、香りがよく色もいい。ゆったりと飲んだ清兵衛は、

「ようござんすよ、親分」

 と、言った。驚いたのは青葉である。江戸に来た事情も身の上も何も話していない。親分も親分で、「かたじけない」と頭を下げている。

「ただし」

 その清兵衛の一言に、ぴりっと緊張がはしった。

「なんじゃ?」

「佐々木の英次郎さんをしばらく借り受けたい」

「む……相分かった」

 頷いた親分が、青葉の方へ膝を回した。

「ここは、常ではみられぬ騒動や細かい長屋の仕来りがあるゆえ、最初は一日暮らすだけでも難儀と思うが辛抱が肝要」

 はぁ、と青葉は湯呑みを手にしたまま目をぱちくりさせた。

「騒動、といいますと……」

「そうじゃな――直近の騒動は老婆が住人全員を呪ってやると喚いて夜中に怪しげな術を発動させたは三日前か。南町の奉行が秘密裏に罪人を連れて来たり、仇討ちだの喧嘩だの護送中や島抜けの罪人が逃げ込んだりすることもあったか。まぁ日々いろいろじゃな」

「なんと!」

 青葉が驚いたのは当然、それまで無表情だった浮羽も目を見開いている。

「そのぶん、そなたらがどのような騒動を起こしても、大家どのも住人たちも誰も咎めぬ」

「騒動を起こすつもりは毛頭ござらぬ」

 慌てて青葉が言うが、清兵衛がじろりと睨んだ。

「いや。起こる。しかるに貴殿もご息女も、極力、長屋から出ぬように」

 はい、と、青葉は頷く。次いで清兵衛が浮羽を見る。浮羽も慌ててこくりと頷き、そっと青葉と顔を見合わせた。

「清兵衛どの、この二人、三日ほどまともに食しておらぬようでな、ちと、鍋釜を借り受けたい」

 どうぞ、と、清兵衛が頷くと、太一郎が外へ向かって「喜一」と叫んだ。

「失礼いたしやす」

 と、入って来たのは枯れ木のように細い老人だった。

「あっしは菓子職人ですが少しなら料理もできます」

「喜一、お絹さまより卵と菜……これは大根かな、と……白魚を預かって来た。これでなんぞ、こしらえてくれ」

「へぇ、では……ちょっと失礼しやす」

 食材を見た老人の目に凄みのような光が宿り、新しい住人二人は顔を見合わせた。なんとも不思議な長屋である。

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