第7話 異国の風最終話
英次郎が不慣れなペンを使って必死の思いで書き上げた「釣書き」は、太一郎の検分を経てからライターに渡された。
「どうじゃ!」
するとライターは、それをクルチウスに見せ、クルチウスがそれを丁寧に折りたたんで懐へとしまいながら、英次郎の方へと歩みよった。
もちろん、通訳のフリシウスも一緒だ。
背丈も高く彫の深い顔、そしてフリシウスとライターは同じ国の人であるのに肌の色も目の色も髪の色も異なっている。英次郎は思わず釘付けになる。
「ほう、目玉の色も髪の色も異なるのか……いずれも綺麗な色であるな、親分」
英次郎の前で、カピタンが人懐っこい笑みを浮かべた。
「それがし、本所の北割下水に住まいする御家人佐々木家の次男英次郎と申す」
太一郎が先ほど握手をしていたのを思い出し、そっと手を出してみる。カピタンは躊躇うことなく握り返してくれた。そして、何事かを語り掛けてくれた。
雰囲気で、お礼であろうことが察せられて思わず英次郎が笑顔になる。
「英次郎。命を助けてくれてありがとう。お礼に、良い子がいたら必ず君を紹介するから期待していて欲しいと、カピタンが言っている」
フリシウスが告げる。予想外の言葉がついていて慌てる英次郎をよそに、太一郎が律儀に頭を下げた。
「見ての通りの好青年、よろしく頼む」
「太一郎、彼にはやはり江戸の娘が良いのかな? それとも、長崎の娘でも……?」
「そこじゃ、フリシウス。英次郎ならば江戸でも長崎でも阿蘭陀国の娘でも良かろうと思うのだが……クルチウス、どう思う?」
フリシウスが太一郎の言葉を訳し、二言三言会話をした後、
「カピタンも同じ意見だそうだよ。英次郎はぜひ、異国を知るべきだと言っている」
「そうであろうな! わしも同じ意見であるぞ」
何やら勝手に盛り上がるカピタンたちから離れ、ワイングラスを手にした英次郎は、硝子窓から外を見た。
いつの間にか、建物の外はすっかり落ち着きを取り戻していた。英次郎が倒した浪人たちはどこへ行ったか。
「出会い方が異なれば、異人とも仲良くなれるのであろうな……」
太一郎は極端に仲が良いのであろうけれども、異人だからといってむやみに襲撃するのもまた、極端であろう。
「阿蘭陀国とはどのような国かな……」
英次郎は、まだ見ぬ異国に思いを馳せる。フリシウスたちを見る限り、悪い国ではなさそうである。
そしてカピタンたちが、船でこちらまで来たのだ。こちらからも、阿蘭陀国へ船で行けるに違いない
どのくらい日にちはかかるのだろうか。費用は、船の大きさは……。
「そも、御家人の次男坊であるおれが、異国へ行くにはどうしたら良いのだろうか?」
そう思った英次郎は、カピタンたちのところへ戻った。
「親分、ちと、尋ねたい」
「なんじゃ?」
「商館長たちの船に一緒にのれば、おれも異国へいけるのか? ちょっと行ってみたいのだが……」
太一郎が、ぎょっとした顔になり英次郎の口を塞いだ。ついで、周囲を見渡し、のんびり歓談している蘭学者や商人たちに「聞かなかったことにしてくれ」と言った。
「親分? 何をそんなに慌てる?」
「英次郎、知らぬのか? かつて、密かに異国の船に乗り込んで留学しようと試みて、しかし投獄された者がおってな」
「なんと! ……え? 投獄? 罪になるのか……」
「なんでも……死罪になりかけたが国元蟄居で済んだときいておる。興味を抱くのは構わぬが、迂闊に異国へ行くなどと口にしてはならぬぞ。そなたを死なせるわけにはいかぬでな」
承知した、と、英次郎も素直に頷いた。
「さ、クルチウス、もっと阿蘭陀国のことを我らに聞かせてくれ。英次郎の母者に、土産話をせねばならぬ」
太一郎が、愛想よく言う。カピタンたちが喜んだのは言うまでもない。
陽が傾き始めたころ、太一郎たちはそっと長崎屋を後にした。クルチウスたちは残念がったが、太一郎にはこれから賭場を回るという大事な仕事があるのに、既にくたくたなのである。
佐々木邸に戻ってお絹かすていらを食べたいと、親分が駄々をこねたのだ。
「親分、なかなか刺激的な一日であった。礼を申す」
隣を歩く英次郎は、未だ興奮冷めやらずである。
それはよかった、と、太一郎もほおが緩む。カピタンの一行に英次郎は思いのほか早くになじんでくれた。
「英次郎、また次回、ゆっくり異国の話を聞くが良いぞ」
「楽しみだな、親分」
太一郎の脳裏には、洋装で舳先にたつ英次郎の姿がくっきりと浮かんでいた。
【第一話・了】
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