149節

149 躑躅森馨之助

 汚い四畳半の部屋、それに備え付けられたやはり小汚い浴室で、俺は今ぬるい湯に浸かっている。今日も本当に疲れたが、しかし、明日は週に一度の、部活の練習もバイトもない日だ。たっぷり寝坊してやろう。講義は、まあうん、多分出るよ多分。

 ちなみに何故湯温がぬるいのかと言うと、あまりに疲れていた俺は浴槽から出ることすらを億劫がって、ぐだぐだと湯に浸かり続けていたからだ。そしてここまで来ると、浴槽を這い出た後に襲ってくるであろう寒気が嫌になって、ますます出たくなくなってしまう。そうして二進も三進も行かなくなった俺は、仕方がなしに、あの時のことを思い返してみるのであった。

 あそこでの約十週間のことは、殆ど記憶にない。最後の最後で、目茶苦茶に喜びながら騒いでいた辺りの記憶は朧げにあるのだが、しかし、それだけだ。それ以前にも、そりゃ色々とあった筈なのだ、何せあのルールであれば、何もしなければすぐに殺されてしまっただろうから、生き残っている以上、俺は俺なりに必死だったのだろう。しかし、何も憶えていない。明らかに、俺はあそこでの生活前後で人が変わった。一度手痛い目に遭ってからは全く人を信用する気になれなかったこの俺が、スポーツマンらしい好青年さを、社交性を、いつの間にか恢復していたのだ。まあ、若気の至りと言うか、高校生ごときが抱く絶望だなんて大したものではない、ということなのかもしれないが、しかし、それだけなんだろうか。俺は、あの場所で何を経験したのだろうか。

 その内に、最早、ぬるい湯というよりもぬくい水に浸かっているような有り様になってきたので、俺は仕方がなく湯船から出て、急いで体の水分を拭き取りつつ、下着を着け、タオル片手に部屋に戻った。すると、バイトの終わりにメールを一通送信していた携帯電話がぴかぴかと光って、何事かを主張しているのに気が付く。俺は、短い髪も拭き終わらぬ内にそれを開き、届いていたメールの件名、つまり先程俺が送った件名の頭に「Re:」がついているそれを確かめて緊張した。少し息を吸い、覚悟を決めてから本文を開く。

 よし! 俺はタオルを摑んでいる方の手を拳にして軽く突き上げてしまったが、しかし、その文面を良く読んでドキリとした。「午前中なら時間がある。」って、おいおい、そうしたら、大層な早起きをしないとならんじゃねえか。

 俺は壁掛け時計を見やり、風呂でぐだぐだ時間を浪費した自分を恨みながら、その、2と3の間でぼんやりしている短針を睨みつけた。畜生め、何でアイツはこんなに忙しいんだよ。俺があのサバイバルを経たことによって得た、唯一の成果、アイツは何故、同じ大学生でもあそこまで、ああ、畜生、とにかく返信をしてとっとと寝るか。

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