第二章 勇者達の二年後

147節

147 霊場小春

 私は、昨年度受験に失敗した浪人生だ。失敗と言っても、そこまで大失敗ではない。確かにもともとあまり成績のいい方ではなかったが、それでも、物凄く勉強して、めでたく第二志望には受かったのだ。しかし、二年生の時に色々とあって、そこでの二三ヶ月のブランクさえなければ第一志望に受かったのではないかという憾みが残り、ならばいっそということで、私は浪人を決意した。まあ、あの出来事の前後で私の勉強量は明らかに変わったから、寧ろあのままではロクな大学に受からなかったのではないかという考え方も可能なのだが。

 今日私は受験勉強の合間を縫って、姉の墓参りに来ている。私の姉、といっても、双子だったので世間一般で言うところの姉という感じはあまりしないが、とにかく姉であった霊場千夏の墓だ。私達に他の兄弟あるいは姉妹は居なかったから、私はいつも彼女と共に育ってきた。そう、本当にいつも、あの死出の旅路、その出帆すらも一緒だったのだ。

 日暮れ前の人気ひとけのない寺、私は、〝四角い〟という概念を未開人に教えるために建立されたかのような、これでもかと言うくらいに四角い、夕日を眠たげに照り返す墓石の群れの中から、少し苦労して霊場家の、やはり四角いそれを見出し、線香を上げ、神妙に拝み始めた。ここで私は死者のことを想おうとして、そしていつも困るのだ。ここで眠っている曾祖母は面識すらないし、そして肝腎の姉も、まるで記憶にないのである。いや、勿論、千夏と共に過ごしてきた年月の記憶はあるのだが、しかし、彼女と共に過ごした最後の数ヶ月のことが、さっぱり記憶にない。ある日千夏と共に死地へ赴き、そして、気が付けば一人で生還してきていた、まるでそんな調子だ。その間に、それは忌まわしい出来事があった筈なのだが、全く記憶に残っていない。あの胡散臭い医者曰く、ヴィールスの治療の副作用として、症状の顕在期の記憶がしたたか飛ぶのだという。まあ、あの訳の分からない魔術じみた力を与えられた以上――軽く傘で叩いた玄関先の上がり框が抵抗なく抉れたのには驚かされた――それを取り除く過程で精神面に余計な作用が出るのは自然なことなのかもしれないが、しかし、私は訝しがってもいる。自分が生きる為に人を殺すだなんて、いい影響が出るとはとても思えない。素人の私ですらそう感じるのだから、日頃精神に携わる仕事をしている医師達はよりそう考えるだろう。だから、きっと彼らはわざと私の精神を揺さぶって、より言うならば、箱を逆さにひっくり返してぶるぶる振るような調子で、多くの記憶を浚っていったのではないのかと思うのだ。多分、処置としては正解だろう。聞かされていたルールを思い返すだけでも寒気がする、あんな生活で得られる体験が、記憶が、よい影響を与える訳がない。そんなものは私の人生に無用だ。

 結局また、妙な考え事を巡らしただけで私は合わせた手をほどいて目を開き、立ち直ってしまった。健忘に感謝はするものの、しかし、我が唯一の、他に代えられるもののなかった姉、霊場千夏の最期が思い出せないというのは、酷く心残りだ。果たして千夏は、早々に死に逝ったのか、それとも、最期の最後まで私と協力しあったのだろうか。分からない。分かりたいのだが、どうしても思い出せない。こうして何度も彼女の許に参りに来れば、いつか、思い出せるのだろうか。我が姉の骨が、骨壷の中から語ってくれるだろうか。

 私が踵を返して霊園の外に向かおうとすると、突然、大きな音が鳴り響いて来た。この死者の群棲地を統べる、荘厳なる鐘の音だ。殷々たる、最初信じられぬほど強烈で、しかし結局次第に弱まっていき、最後には橙色の空中へ消え入る、鐘から零れた緑青を纏ったかのように蒼ざめたその音色、〝諸行無常の響きあり〟、そう、まるで、片時も離れたことがなく、また、離れることなど考えられなかった私と千夏が、こうもあっさりと生死を別ったことを、なぞらえているかのような、

 私は眉を顰めた。〝諸行無常の響きあり〟。確か、遥か昔に中学校の授業で聞いた憶えがあるが、しかし、その意味は全く理解しなかった筈だ。そして、別に受験勉強でこのような語句について学んだ憶えもない。何故、私は、このフレーズの意味を解し、そして、自然な血肉となったがごとく使うことが出来たのだろう。分からない。こういう不可解なことが、最近しばしばあった。

 私は、あの記憶にない体験の前後で人が変わったと良く言われる。表情が豊かになっただの、勉学に真剣に勤しむようになっただの、といったことが良く指摘され、また、私にも自覚と言うか、同意するところがある。これは、千夏を失ったことによる衝撃によるか、そうでなくば、私の精神における記憶的デブリードマンを行った医者が薮で、そいつが余分な影響を残していったのではと思っていた。しかし、これらだけだと、私の脳に聞き知らぬ、見知らぬ語彙が多数インプットされていることの説明がつかない。まさか、殺し合いの合間に何かの講釈でも受けたのだろうか。いや、流石に馬鹿げているな。

 考え込むことで立ち竦んでいた私は、いつの間にか日が沈みだしているのに気が付き、暗い墓場の中を慌てて歩き出した。あれ以降目に見えて過保護になっている両親を徒に心配させるのは忍びない。早く、帰ってやろう。

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