第18話 魔物

「いやあ、美味い! 事件解決後にここで飲むコーヒーは最高ですなあ!」


 SSTLの事務所兼応接室兼通信指令室の応接ソファに腰かけて沢田警部が呻る。


「あら、事件解決後だから美味しいんですか?」


 コーヒーを淹れるのが趣味の伊能瑛里が少しすねたように言う。


「いや、いやその、ああ君の淹れるコーヒーは本当に最高だよ。ほら今日のこの、マンデリンとか」


 言葉にさらに棘が立つ伊能瑛里。


「ブルマンですっ。全然違うじゃないですか」


「いやはやこれは失敬失敬」


 すっかり身を縮こまらせた沢田警部はそっとブルーマウンテンを啜る。


「しかし午朗、あれはやりすぎだ」


「ほんとよ、午朗さん」


「いや、はあ、面目ない」


 皆で伊能姉が淹れた上等のコーヒーを飲んでいると溝呂木チーフと浅川が檜山をたしなめる。

 あの事件から三日後、SSTLの面々はいつもの事務室兼応接室兼通信室につどっている。そこに沢田警部がふらっと挨拶に来ていたのだ。


「俺が対赤血球溶解症薬を空気銃で撃ち込んだから良かったものの、あれを外していたらどうなっていたかわからんぞ。あれ一発っきりしかなかったんだからな」


「はあ……」


 頭をかいてすっかりしょげ返る檜山。頑張ったつもりが何故か非難され、釈然としない。ただ、皆が自分の身を案じているのだと思えば少しはありがたい話か。と檜山は思い直す。


「いやいや実に感心だが、ああした危ないことは我々警察に任せるのが得策ですな、あっはっは」


 しかし、沢田警部にまで諭されてしまった檜山はすっかりばつが悪くなって苦笑いをしながらさらに頭を掻くばかりであった。


「結局アルゲンマスクの扱いはどうなるんですか?」


 伊能修央みちおが溝呂木に問うたところで冴木所長が入室してきた。例によってどこか疲れた風だ。


「アルゲンマスクについては今しがた即時の使用中止と全製品の回収及び廃棄が正式に通達されたよ。もうすぐ首相直々に記者会見を行うそうだ」


「所長」


 座っていた者は沢田警部を含め全員が起立する。


「代替品としてはこれまでの不織布マスクやサージカルマスク、N95マスクでどうにかするしかないな」


「結局逆戻りなんですね」


 残念そうな浅川の様子に冴木の表情も曇る。


「ああ、新しい技術だからと言ってろくに確めもせずに飛びついてしまうのは危険ということだ。厚労省も思い知っただろう」


「しかしなんであんなマスクが生み出されたんですかねえ」


 と沢田警部が問うと冴木が答える。


「もとはと言えば宇田川に殺された酒井が見つけた技術だったらしい。ただ中皮腫と赤血球溶解症のリスクがあるので、その技術の売り付け先を慎重に探っていたようだ。そこで斜陽の大永たいえい医器いきに目をつけ、そこの宇田川と共謀して社長をなだめたりすかしたり恫喝したりして生産させることに成功した…… 酒井はこれでインサイダー取引を行い、宇田川は社の金を横領しいずれも高飛びをする予定だった、と私は推理している。今となっては真相はやぶの中だがね」


「いやさすが所長は慧眼ですな。実は酒井と宇田川については所長がおっしゃったような容疑で被疑者死亡で捜査を始めております。ここだけの話ですがね」


「嫌な話ね」


 浅川が呟くと溝呂木がそれに反応する。


「ああ、あの時の密告電話がなければ俺たちだって、いや日本国民すべてが吸血人間にさせられていたかも知れない。そうまでしても金が欲しいという欲に目がくらんだ連中を思うと、一番恐ろしい目に見えない魔物はスーザウィルスでもアルゲンマスクでもなく人間の欲望だったということかも知れないな」


 それを聞いた一同のうちある者は俯き、ある者は天井を見上げ、ひとしきり苦い物思いに耽って呻ったり嘆息したりするのだった。


                                  ― 了 ―

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