異世界料理士

我孫子(あびこ)

第1話 大衆食堂の朝

 この世界に来て1ヶ月。前世の日本と同じように食材は豊富だ。しかし料理という概念はうすく、調理という技術も未熟に感じる。それは今この身を寄せている街に限ったことなのかもしれないが。元の世界の記憶は朧気だ。記憶の断片が漂っているというか、思い出せることは多々あるのだがそれらのピースが埋まらない。


 誰かが部屋に近づいてくる。この足音は……今僕が居候している飯屋の娘だ。今の僕と同じ15歳の少女。地球にいた頃で言うところの高校1年生くらいの子だろうか。こちらの世界では貴族階級にいれば学園へ通っている年齢だが、平民である彼女は10の時から2年間街の初等学園へ通って以降は店の手伝いをしている。


 コンッ――


 いつもの彼女らしく小さく控えめなノックオンがする。


「起きてるよ、ルナ」


「ショ、ショーマ?おはよう。もう朝食の仕度ができたので……」


 僕の名前は生前ショウマだった。何か植物の名前だった気がするけど思い出せない。ただ自分の名前だったという記憶が強い。こちらの世界では『ショウマ』という音は発音しづらいようで、彼女は何度かチャレンジしてみたが結局『ショーマ』と呼ばれている。僕もそれでいいやと思い、今はそう名乗っている。


「あぁ、ありがとう。今行くよ」


 タッ――


 どうやら彼女は下の階へ降りていったようだ。



 この家は1階が着席で100名は座れる大きな食堂になっている。とは言っても普段はそんなに客の入りも多くなく、定員も限られるので衝立なんかをおいて3分の1程度で営業しているらしい。


 この世界では冒険者という者がいて迷宮というダンジョンへ潜ったり、魔獣と呼ばれる魔力を携えた凶暴な獣類なんかと戦うことがある。時に領地の防衛も必要で、衛兵や傭兵・冒険者なんかが打ち上げや集会などで使うのだ。


 下がそれだけ広い建物なので無論2階の住居スペースもそこそこ広い。場合によっては小宴会場みたいな使い方をすることもある。まだ詳しく聞いたことがないのだが、彼女の家は実は資産家なんじゃないだろうか?そんなに店が繁盛しているわけでも無さそうだし……、お手伝いさんが多くいるわけでもないのだが。



「この素材は……綿コットンかな?」


 僕は数日前に街中で買ってきた長袖のシャツに腕を通す。可も無く不可も無く。それなりの着心地だ。それから麻のようなものでできたズボンを履き、身なりを整える。この世界にあるものは前世と変わらないものが多い。あまり品質は良くないようだが鏡もガラスもあり、鉄のような金属なんかも見かける。ただ工業がそれほど発達しているような感じはしない。


 自動車や飛行機のようなものは見かけない。自転車すらない。移動は基本的に馬車や馬、またはだいぶゆっくりになるが牛のような動物がひく荷車などだ。


 電気というものは無いが、その代わり魔力というものが幅広く使われている。この街くらいの規模になると街道沿いに魔力柱まりょくちゅうと呼ばれる魔石をいくつか入れた柱が地中に埋まっており、大きな力が必要なものはそこから各家庭・工場などが利用する。前世で言うところの電柱のようなものだ。


 そして小さな動力は魔道具に魔石をはめ込んでまかなう。こちらは乾電池だろうか。基本的に魔力を注げば繰り返し使えたりするので、充電池に近いだろう。


 カタンッ――

 

 下の階から上を様子見するような物音が聞こえる。いけない、少しゆっくりしすぎたか。朝食が冷めてしまうし、食堂の営業が始まってしまう。早く降りなければ。


 僕の部屋は2階の移住区でも一番奥にある。元々誰の部屋でも無く、来た時は物置部屋だった。この家は昔もっと人が居て、それで部屋数が多いのかもしれない。意外にも日当たりがよく気に入っている。自室に来るまで廊下の距離は長いが、その代わり屋根の上へ出るのも近い。異世界に来たら屋根の上で星を見るのが僕の小さな夢だった。思わぬ形で叶ってしまったのだ。



「おはようございます、ジャンさん、キャロさん」


「あぁ、おはようショーマ君。もううちには慣れたかな?」


 ジャンと呼んだのはルナのお父さん、ジャンマリオさんだ。キャロはお母さんでキャロットと言う名前だ。平民に姓は無い。ついでにこの店も店名という概念がこの世界では薄いのか、単にジャンマリオの食堂と呼ばれてる。


「えぇ、一ヶ月間この世界に慣れるためとはいえ、何もお手伝いもせずにすみません」


「あら、ショーマくん、気にしなくていいのよ。ルナも話し相手ができて嬉しいみたいだし」


「お母さん!」


 年頃の男女というのはどこか恥ずかしいと言うか、ぎこちないものだ。ルナにとって僕は生理的嫌悪感を感じるような相手では無かったらしく、この世界のこととか街のことを色々と教えてくれた。だけど、今朝の様子のようにやはりどこかぎこちないままでいる。


 ジャン一家の朝食はだいたい野菜のスープに肉の切れ端を入れ、固いパンに牛乳だ。食後にお茶のようなものを飲む。前世で言うところのハーブティーに近いが、茶葉は特に乾燥させたり炒ったりしておらず、収穫された葉をそのままお湯で煮出す。


 食堂のメニューを見ても前世と比べると料理の種類というか、調理内容がだいぶ乏しい。例えばただ焼いただけ、とか少しの香辛料をふっただけ、など。調理工程も実に少ない。


 この世界に来る前、僕は女神に出会った。食物の神『ウカー』が言うには、この世界は少しずつ滅びに向かっているらしい。世界と神は人々の想像力により成長する。今現在、人々の想像力が足りておらず、世界といくつかの神が成長しない。例えば馬車はあるけど機関車はない、といったような状態が何百年も続いている。


 食物の神からお願いされたことは、僕が前世で養った料理の知識や、様々な文化をそれとなくこの世界で広め、浸透させていき、人々の想像力を上げる手助けをしてほしいとのことだった。そのために他人より少し健康で頑丈な身体、前世で使っていた包丁とできる限りの記憶をこの世界まで引き継いでくれた。


『それから、私への信仰が増えるようにしていただけると幸いです。1日に1,2回でも私の名をつぶやき、祈るだけで良いのです。そうすることで私は神として次の位へ成長することができます。それはこの世界とあなたのためでもあります』


 実は食物の神『ウカー』が邪神なるものでした、なんてオチもありそうだなと思ったけど、僕は何となくこの話にのることにした。


 前世で30歳を迎えた僕は10年間の修行の末に自分の小さなレストランを開く予定だったのだ。内装工事も終え、いざキッチンでテスト・シミュレーションをしようとした矢先、施工ミスがあったようでガス爆発に巻き込まれて何もかも失った。そう、それが僕の死因だ。文字通り何もかもだ。だから、新しい世界へ転生させてくれるというなら、その話には乗ろうと思ったし、お礼に毎日祈るようにしようと思った。幸いとても良い手がある。



「では、食物の神『ウカー』と自然の恵みに感謝を……いただきます」


「「「いただきます」」」



 この世界では神の存在は身近だ。僕のように転生してくる者がいるというのも一般的にはよく知られている。最初は僕だけがつぶやいていたこの言葉だが、前世における食事前の『いただきます』は大切な挨拶だったという話をすると、ジャン達は僕の真似をするようになった。食物の神『ウカー』への信仰は少しずつ大きくなっているのである。


 居候してもう1ヶ月も経つし、そろそろ家族の食事や食堂のメニュー改良を手伝おう。


 噛みちぎれないパンに悪戦苦闘しながら、僕はそう思った。



 

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