縁々∞交処 ~えんとエンの交わるトコロ~ (アーカイブ)

生坊

~ 第一幕 ~ ●宇津見 縁●

 ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐イザナギ命・伊邪那美イザナミ命二柱の神に、「このただよへる国を修め理り固め成せ」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。

 かれ、二柱の神天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして画きたまへば、塩こをろこをろに画き鳴して引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。淤能碁呂島なり。

 ――『古事記』


  ~ 第一幕 ~


 ●宇津見 縁●


「最近はぁよぉ、小古呂さんのご縁もよぉ、ちょっともありがたみが薄れてしまっとるでよぉ」

 戦前から商店街でお土産屋を経営しているお多恵さんは今日も一番にここ、小古呂神社にやってきて、お茶請けに持参した売り物の銘菓『オゴロ餅』の小分け袋を手に取りつつ、いつもの佇まいでいつもと同じ話題から始めた。

 宇津見縁はとくに銘柄もないティーバッグの緑茶を振る舞ってそれを自分ですすりつつ、

「薄れてますか、うちのありがたみ」

 薄いのは茶の出も同じか、と思いながら耳を傾けている。

「そりゃあ薄れとるて。昔はよぉ、そりゃあもうぎょうさん人が来てなぁ、あちこちから小古呂さんに詣でに来おったでよぉ。この辺じゃあよぉ、八幡さんや熱田さんもあるし、お伊勢さんみたいにご立派なお社様がぎょうさんあるけどよぉ、小古呂さんだってご立派なもんじゃったでなぁ」

「ご立派でしたか、うちは」

「ご立派、ご立派。よおけ人が来とったよお。お参りのあとにはみんな商店街を回ってなあ。ほれ、この『オゴロ餅』だて飛ぶように売れとったし」

 十二名で食事ができるここ和室十六畳の広間には今、お多恵さんと二人きりしか座っていない。

 ここは縁にとって我が家であり、職場である。仕事というのは、たとえばこうしてお多恵さんの話し相手になるのもその一つ。

「縁さんが生まれた物心ついたときにゃあよぉ、もう若いもんもだいぶん小古呂を離れていきおったで、こんな昔のことを言うても、ようわからんかもしれんけどよぉ」

 そんなお多恵さんに、

「いやあ。でもお多恵さんの話を聞いていると、なんだか懐かしい気持ちになりますよ。実際にお多恵さんの言うような景色を見たわけでもないのに、不思議ですねえ」

 縁はもともと細いその眼をさらに細めてすらすらと返事をする。その出で立ちは白衣に浅葱の袴を穿いた、神官見習いである出仕の装束。

 ここは小古呂神社。その社務所兼・縁の家。宇津見家の家屋である。

 戦前に建てられて築ウン十年。増改築も繰り返しているため、建てられたばかりのころと今とを繰り返せばその違いはなんということでしょう、とばかりではあるかもしれないが、その基礎は昔から変わっていないそうだ。お多恵さんが話す見たこともない昔のことをなぜか懐かしく思うのは、そういう家に生まれ育ったことが作用しているのかもしれない。

 そもそも神社なんてものは高度経済成長だろうがバブルだろうが新世紀だろうがITだろうが時代の進歩などなにもかもお構いなしに、ただ『神道』という古式ゆかしくみせるための決まり事に従って、時を止めたようにそこにあることを定められた場所なのだ。そんなところで生まれ育てば、見聞きしてもいない昔話だってたくさん接することになるのだ。今こうしてお多恵さんが毎日『オゴロ餅』持参で話に来てくれるように。自然、さも自分も在りし日の小古呂神社の姿を目にしてきたようにも思えてくる。

 いつものように話すお多恵さんに、いつものように縁は返事をする。縁にとってそれは苦になることではない。ただうっすらと――これでよいのだろうか――そんな心の声が胸を刺す程度のことだった。

 湯呑みに口をつけ、ずず、と音を立てて茶をすする。

 いつもの、静かな時間だ。

 部屋にはお多恵さんの昔語りの声と、縁のあいづちの声。

 あとは二人で茶をすすり、お多恵さんの持ってきた『オゴロ餅』を咀嚼する音が聞こえるばかりである。

 この広間は一階の玄関横にあって、こうして行事の前後に食事を振る舞うときや、日々お世話になっている氏子(神様を信仰する集団)をはじめとした参拝に来た人々を迎えるためのスペースになっている。

 広間の西側、障子で仕切られた向こう側は縁側になっていて、玉砂利の庭を挟んですぐ向こう側は木々が茂り、そのさらに向こうが神社の境内がある。神社の境内も、この社務所兼・宇津宮家宅である建物も、神社を覆う森――鎮守の杜なんて呼ばれたりもする――に覆われていて、外界からの騒音が届くことはほとんどない。境内にしたってお多恵に言われるまでもなく、かつての賑わいなど一分の片鱗さえ垣間見ることのない今日び、鳩や鴉、それに神鶏のヤガミの鳴き声や羽ばたきが時おり響く程度。

 つまり、小古呂神社はいつだって静謐せいひつな空気に包まれ、人の寄り付かない聖地であることができる、というわけだ。

「縁さんもまだまだ若きゃて言うてもよぉ、そろそろお父さんに見ならって、立派にやってもらわんといかんてなあ」

 縁の父である隆行は、小古呂神社の宮司である。いや、であった、というのが正しいのかもしれない。いわゆる神主さんと聞くとこの宮司という肩書を思い浮かべるものだが、宮司というのは神職における職階のうちでも最高位にあたるものだ。

 小古呂神社の宮司である宇津見隆行はこの神社の最高責任者を勤めていたわけで、お多恵さんはその息子である縁に対して、当然のように父の跡を継いで立派な神職になってくれ、と言い続けている。

 ここでお多恵さんがいう立派、という言葉が意味するところは、結局のところ、今までのお話の中でさんざん繰り返されている、かつての立派だった小古呂神社を再び取り戻すべく奮闘すること。父・孝行の代から続く、宇津見家の宿命とも言うべき目標であり、お多恵さんのような、この神社の近隣に住んで小古呂さんへの信仰を生活の核としている氏子のみなさんにとっての悲願でもある。

 周囲の縁に対する期待の強さは、彼が小さいころから薄々とは感じていたものだった。しかしそれを実際にプレッシャーとして受け止めるようになったのは、今のように実際に見習いではあるが神職として神社に勤めるようになってからのことで、周囲の期待は本人の想像をはるかに超えるものであった。

 父から引き継ぐものは、単に神社という場所、神職という職業にあらず。

 期待の声はなにもお多恵さん一人から上がっているのではない。ほかにも何人もの氏子が、ここ小古呂の町には住んでいる。彼らの思いもまた、縁は父から継がなければならない。

 とは言え、今の自分に何ができるというのか。

「私は、まだまだ父とは比べものにならない未熟者ですから。任せてください、なんて大きくは出られませんが、なんとかやっていきますよ」

 縁はお多恵さんの言葉に特別な反応を示すことなく、細目の顔に笑みをつくって、お茶をすすった。キツネ顔だとよく言われるが、あいにくこの神社はお稲荷さんを祭ってはおらず、氏子の年寄たちから縁起物だと言われても縁にはピンとこない。

 お多恵さんが縁のマイペースな態度をどう思っているか定かでないが、

「まあよおやってちょうよ」

 とこぼすに留まり、

「そんでよお、お父さんは元気にしておられるかね」と続けた。

 縁は、

「ええ、変わりなく」

 とだけ答える。

 変わりなく、というのは良くも悪くも変わりなく、という意味だ。良いほうに変わってくれれば、縁はこうしてご近所の高齢者の方々との慣れないお付き合いをすべて以前のように父に任せていられたのだが、父は今も変わることなく病院の床に伏せったままだ。

「やったら縁さんが頑張らにゃあ。祭りもいまじゃすっかり縮こまってもうて、これじゃそのうち祭りもできんと、小古呂神社だけじゃあにゃあて、小古呂町まで終わってまうわ」

 小古呂神社に対しての期待は町ぐるみ。同じようなことを日々、お多恵さんからだけでなく多くの老人たちから聞くことになったのが去年のこと。隆行が病に倒れて生死の境を彷徨ったのちいまだに復帰の目途が立たず、周囲の声を無視できなくなってこうして神職見習いに就いてからのことだ。

「商店街の景気だて、小古呂さんの詣でになる人たちで持っとったんだでよお」

 小古呂さんへの信仰心も薄れた昨今、お多恵さんが取り扱う名物『オゴロ餅』も商う先を失い、こうして身内二人の口から胃袋へと流れ込んでいるわけだ。氏子の悲願とは決してひたすらに敬虔なる信仰心が為せるものというわけではない。彼らが神に求める御利益というのは、多分に世俗の利益がついて回るのである。日本の信仰というものはそもそも宗教と呼べるものかも微妙なくらいに元来からおおらかなもの。人々が賽銭を投げ、おみくじを引き、絵馬を掲げてお願いごとをするのは安全、健康、縁結び。勉強、繁盛、安産、安眠、全国万民、来たれ幸運。もう頼めることならなんでも頼む! といった塩梅である。

 神社側も神社側で、よぉしなんでも来い! なんだって祈願が受けたてやる、と器の広さを見せているわけだが、理由は簡単。

 銭になるからだ。

 世知辛い現世、いや、神の存在がより信じられていた古代より、神様を祀る神職者だって、ぶっちゃけ神社といういち施設の経営者なのだ。経営には金が要る。ありがたい神様の住処である神社であっても、その維持管理には費用がかかる。費用の捻出に神職者はいつも頭を悩ませているのだ。神様と参拝者の間を取り持つためのマージンをいかに多く得るか。それが神主に課せられた責務と言っていい。

「まあそう言いますけれどお多恵さん、いまどき神社のお参り目当てにそんな多くのお客さんが来るようになりますかねえ。神社なんて、若者から真っ先に敬遠されそうなものですよ、実際」

 自分で言っていて神職にあるまじき発言だとは思うが、これが縁の本心である。言って悪いこととは思わないし、別段、神社の実情に対して卑屈になっているわけでもない。ありのままの事実を言っているつもりだ。それに、縁がこういうことを言うのも、今日に始まったことではない。お互いに、いつも通りのやり取りをしているだけだ。挨拶の定型文。ルーティン。

 かといって、縁は現実に冷めているつもりではない。今どき、神主に対して世俗とは一歩距離を置いた神聖なイメージを持つ人がどれだけいるかわからないが、現実を現実のままに見ていたのは縁だけじゃなく、父だって縁と同じに、いや、縁以上にシビアに受け止めていたのは間違いないのだ。

「なにを言いりゃあすか縁さん。若いうちからこんな場所にこもっとるから世間様のことがちょーともわかっとらんでにゃあか?」

 お多恵さんがありがたいありがたいと日頃から言っているここ、小古呂神社を今、こんな場所呼ばわりしたことに、言った本人は気づいていない。言葉のはずみというものなのだろうが、やはり信仰というのはいい加減なものだ。

「わかっとらんですか、世間が」

「そうだて。今テレビでもやっとるでしょう」

「やっとりますか。って、何がです?」

「パワースポットだて」

「ああ、パワースポット。流行ってますねえ」

 パワースポットが何かを知らなかったわけではない。だけれどお多恵さんの口からパワースポットなる横文字を聞いたのははじめてだったはず。縁は興味を示すふうにして聞き返した。

「そうだわ。若いもんの間でも神社とか、お寺とか、そういうありがたいもんが流行っとるでにゃあの」

「そういえば、そうですね。聞いたことはあります」

「あれま、縁さん知っとるんだがね」

「はあ、まあ。一応若いもんの一人ではありますから」

 パワースポットなる言葉に明確な定義はない、と思う。その名の通り何かしらのパワーを発している場所とでも言えばいいのか。パワーを発しているということは、パワーを発するだけのエネルギーが蓄えられている場所であるはずだ。なのだがここで言うパワーというものは力学的な意味合いで説明しうるものではないことは、実際にパワースポットという言葉が使われるときの文脈から判断できる。

 神社や寺のような神仏の加護が得られそうな場所や、大自然の中にあって、街の暮らしにはない生命力のようなものを実感できそうな場所がパワースポットに当たると思えば、そう間違いではないはずだ。

 そういう場所は、一歩間違えば怪談や都市伝説の舞台にもなりかねない場所でもある。そこで悪いことが起きて噂が広まったり、歴史的にネガティブな伝説が残ったりした場所などは、パワースポットではなくオカルトスポットとして有名になることもあるだろう。

 パワースポットをオカルトの類と区別する要素はポジティブであるか否か。そこを訪れることで元気になれそう、ご利益がありそう、と思えるかどうかにあるのだろう。

 パワースポットにおけるパワーというのは、人間にとっての活力とも言えそうだ。

「しかしですね、お多恵さん。パワースポットと言うものは、あくまで皆さんがうちのような場所をそう呼んで、訪ねてきてくれるぶんには別に問題はないんです。だけど神社側から、ここはパワースポットですよー、と言って回るのは、それはちょっと、どうなのかなと思うんですよね」

 優等生的な回答だな、と縁は自分でも思う。案の定お多恵さんはなんとなく白けた表情で、

「そんなマジメそうなこと言うて、乗っかれるもんには乗っかっといたらいいがね。だいたい、お行儀のいいことを言っていられる状況じゃにゃあて」

「そうですねえ」

「しっかりしてな、縁さん」

「まあ、考えておきますよ」

 そう言ってその場だけはやり過ごす。

 ……だがやり過ごす気でいたはずなのに、ふと、いつのころから自分はこんなふうになってしまったのか、と縁は思ってしまった。

 まずい。

 そう思うのはよくない。

 自分の中にある空洞を意識してしまうと、ぽっかりと空いた穴をのぞき込んでしまうと、そのまま吸い込まれて自分が消えてなくなってしまう。

 縁は笑顔を張り付けたまま、穴のイメージを振り払うように意識する。意識を自分の内側に向けるのではなく、今、自分は目の前のお多恵さんと向き合っているのだという自覚を強く持つよう心掛ける。昔から内向的だと自分の性格を評価していた縁が、社会に出てから習慣づけたことだった。

 父なら、こういうときにどう受け答えしていただろうか。父・隆行も、同じように氏子たちから訴えられ続けてきていたのだ。小古呂神社に昔の威厳と風格を取り戻せ、と。小古呂町の景気は小古呂神社にかかっているのだ、と。

 隆行はとかく神官として誠実であり、神社の経営者として堅実であった。小古呂神社を支え、大きくしていく、その役割を真正面から受け止めていた。一寸さえも疑問を差し挟む様子を縁の前で見せることはなかった。

 縁は、隆行とは違う。

 齢二十七になった今でさえ、自分が何者で、何ができて、何をすべきかを何一つ自分では決められていない。誰でも通り過ぎるモラトリアム。時が解決してくれるものだと、十代のころは呑気に思っていたものだ。ここまでこじらせ、引きずることになろうとは、思ってもいなかった。

 僕は父と、神社と、もっと早く向き合うべきだったんだろうか。縁はこのところそう思うことが少なくない。

「縁さん」

 お多恵さんが少しだけ皺に埋もれた瞼を開いて縁の名前を呼んだ。先ほどまでと纏う空気が少し違う。

「え、あ、はい」

 縁は、お多恵さんの視線がこちらの幕に覆われた瞳の奥を見透かして覗き込んでくるようで、少しだけどきりとした。

「お父さんを、大切にせにゃあ、あかんよ」

「……はい」

 生返事はできなかった。もう数か月の間同じように接してきたお多恵さんに対して、初めて気持ちの籠った声になったように思う。気持ちといっても、単に動揺が混じっただけのものかもしれないが。

「甘えておれるうちは、それが当たり前になって、いつまでも甘えてしまうし、甘えておる自覚もにゃあでおれるけど、わたしらみたいな老人はなぁ、あんたが本当に必要になった、そんときにゃあもうおらんようになってしまっとるかもしれんのだで」

 まさかお多恵さんから説教を受けることになるとは思ってもおらず、縁はすなおに頭を下げるほかはない。

「……そうかもしれませんね」

「そうだで、もうちょっと、エンさんも、身の回りのことを見て、考えてみやあて」

「……はい」

「そうそう。笑顔の縁さんも素敵だけどな、悩む顔もいい男だわ」

 突然、お多恵さんが謎の色気を発揮する。

「ふえ?」

 縁はたまらず声を上げた。

「そいじゃ、またお邪魔しますて」

「え?」

「また明日」

「あ、はいまた」

 お多恵さんがどっこいしょと立ち上がろうとする。

 気を取り直し、お多恵さんを支えようと立ち上がって、自分のほうが正座していた足の痺れでふらついてしまう。そんな縁をお多恵さんはかっかっかと笑うと、

「年寄をいたわるのも案外に難儀なもんだて、頑張んなされ」

 と言い残して広間の襖を開け、玄関口に出ていった。もともと静けさに満ちた広間が一層、しんとする。

 縁はたった今、お多恵さんが閉じた襖を見つめたまま立ち尽くした。

 なぜ、お多恵さんは今日になって突然、忠告めいたことを縁に言い残していったのだろう。単なる気まぐれとは思えなかった。自分の様子は今日は普通ではなかっただろうか。ふとしたはずみで意識が内側に向いてしまった、というのはある。でも、それだけだろうか。

 パワースポットなんて流行り言葉を持ち出してきてまで何か特別に訴えかけたいことが、今日のお多恵さんにはあったように思う。縁がこの神社のことについてどっちつかずにのらりくらりとした態度を取ってきたのは今日に始まったことではない。突然の父のリタイヤと、なし崩し的にやってきた神社の後継ぎ話。いまだに縁の腹には落ち切っていない。飲み込み、消化できていないものを、はい、やります、頑張ります、などとは、口が裂けても言えない。あいまいな態度をとり続けることも誠実であるとは言えないことは理解できる。いずれ、いや少しでも早くと、周りは縁に決断を求め続けている。しかし、流されるようにいい加減な決断を取ることもまた不誠実だ、とするのか縁の感性だった。

 また、考えすぎている、と縁は首を振るしぐさをした。頭の中だけで物事を処理しようするのは本当に悪い癖だ。

 机の湯呑みとお盆を給湯室に持っていって洗うことにする。一時間以上も正座をしたままでいた足はすっかりしびれてしまっている。このような長時間を和室で正座しているというのも、父が倒れるまでは、せいぜい親戚関係の葬儀に出席したときくらいのものだった。周囲からの要請を断り切れなくなって、出仕として神社勤めを始めてもう一年近くになるが、いまだにこの足は江戸から続く伝統の姿勢には慣れてくれそうにない。

 縁にしてみれば、自分と神社との関わりは血縁のみ。代々小古呂神社の宮司を勤める宇津見家の息子であるというだけだ。父が一人で問題なく神社経営を回しているのをいいことに、取り立てて神職としての勉強もろくにしてこなかった縁だった。誰もそんな放蕩息子の縁を見向きもせず、縁は野放しになっている自分の立場にそれほど問題も感じていなかったし、周りもそれでよし、としていたのだと思い込んでいた。縁はふわふわとしたどこにでもいる若者、という中身のない暮らしを続けていた。

 しかし状況は三年前に一転。周囲は昔からそんな縁をどうしてか父の後継者として見做してはいなかったのだとわかった。いまだに自分が父の跡を継ぐということの重みを背負える自信などない。自信以前にそもそも自覚がない。自分が宮司となり、小古呂神社を背負って立つ。そんなイメージなどどこからも湧いてこない。回りの期待が性急すぎるのだ、と思うしかなかった。ただでさえ自分はそのあたりが鈍いのだ、と縁は常日頃から思っている。回りが自分に期待すること、求めていることが何か、といった事柄に対する意識の働きが欠けているという気がしてならない。一言で表現すればマイペース。自分勝手と言われることもあるだろう。面と向かって言われたことは、記憶の限りではないが、内心、そう縁のことを認識している人もいるのだろう、と想像する。今の縁がお多恵さんをはじめとして周囲に取っている煮え切らない態度もまた、そんな印象を与える材料になっているはずだ。しかしそれが今の縁にできる唯一の反応であり、周囲への回答だった。防衛策、と言ってもいい。

 幸い、時間だけはいくらでもあった。

 突然に出仕になって神社での暮らしが始まりはしたものの、それからの日々は先ほどのような訪問客との語らいのほかは、禰宜ねぎ(宮司の補佐的な役職)の森村の助手として、仕事の様子を見たり手伝ったりしているくらいだ。閑古鳥がなく、という言葉を商売と言っていいものかわからない神社で使うのは適切なのかわからないが、とにかく日頃は参拝者もまれなこの神社では、助手などと言ってもできることはたかが知れている。縁がすべきことは、時間をかけて今の自分とこれまでの自分との折り合いをつけること。自分が神社の跡を継ぐことを受け入れるための根拠というか、解答のようなものを見つけること。腑に落ちるまでの猶予は十分。しかし答えなどあるのか、縁にはそれさえわからない。考えていてもしょうがないのでは、と思うこともしばしばだ。何も考えず、この日々に慣れてしまうしかないのかもしれない。自分の考えなどなくして、周囲から求められる姿に自分を馴染ませていく。それだけのことなのかもしれない……。

 しびれた足の歩みは遅く、廊下の向こうの給湯室がいやに遠く感じられる。




 ※ 冒頭の『古事記』の一節は、『古事記 (上) 全訳注(次田 真幸)(講談社)』より引用しました。

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