005 いわくつきの物件
「では、こちらの物件はいかがでしょうか?」不動産の担当者がアパート情報の載った用紙をテーブルに取り出した。
「築三十年、二階の角部屋で日当たり良好。水回りも三年前に取り換えております」
カップルはまじまじと用紙を見ながら担当者の話を聞いていく。
「かなりの人気物件でして、今を逃しますといつ入れることやら……」
「それで……出るんですか?」用紙に目を落としていた女が担当者の顔を見上げて質問をした。「幽霊が」
「はい。五年程前に仕事でノイローゼになった男がリビングで首を吊って死に、それ以来心霊現象が度々目撃されています」
「例えば、どんな?」今度は男が身を乗り出して聞き返す。
「夜中に人影が見えたり、腹の上に黒い何かが乗っていたり、人によっては首つりしている男が見えることもあるそうです。それに何と言っても、取り換えたはずのユニットバスの鏡にも男が映り込むことがあるそうです」
「頻度はどのくらいなの?」女が目を輝かせて質問を浴びせる。
「前に住んでいた方は週に一度程。その前の方は月に一、二度程度体験していたとお聞きしております」
「多くて週に一度かぁ。ちなみに賃料はこの金額なの?」
「はい、こちらの金額になります」担当者が用紙の賃料の欄にペン先を当てた。
「その頻度でこの金額は高くない?」
「と、申されましても人気物件でありまして……知ってらっしゃるかと思いますがこういった物件は年々高くなっている傾向があります」
「知ってるよ。にしても高いなぁ」
「でも他に空いてる物件なかったじゃない? ここに決めよ?」
「んー、しょうがないなぁ。じゃあここに決めるよ」
「ありがとうございます。では必要書類をお持ちしますので少々お待ちください」
きっかけはとある大手不動産が心霊現象の起こる部屋、所謂『いわくつき物件』を大々的に取り上げたことだ。中古の一軒家やアパート、マンションなど日本のいたるところに不動産があるわけだが、その中でもいわくつき物件というのは数がとても少ない。そういったいわくつき物件に希少価値を持たせ販売したことで全国的にいわくつき物件のブームが起きたのだ。あらゆる体験ができ、デジタル化で家にいても何でも体験できる現代で心霊現象を間近で体験できることはとても貴重なことなのだ。Youtuberでも、その体験を売りにするためいわくつき物件に住んでいるものも多い。
「本当に部屋を見なくていいの?」女が尋ねる。
「別に寝るスペースがあってトイレと風呂とキッチンがあればなんだっていいじゃないか。それよりもいわくつきって事に価値があるんだ。内覧している間に他のやつらに取られないとも限らないし。ネットで予約を入れる事だって出来るんだし」
「まあ、それもそうね」
ちょうど書類を持って担当者が戻ってきた。男は書類に必要事項を書き込んでいったがハンコを持ってくるのを忘れ、翌日正式に契約を済ませた。
引っ越しが済んだのは契約してから二週間後だった。元々家財が少ない二人は運び込むものが少なかったのだが、やれベッドを新調したいだのガスレンジをIHにしたいだのと女が言い始めたのでそれらを全て買いそろえるまでに時間がかかったのである。築年数はかなりいっていたがフローリングの手入れもきちんとされ、張り替えたばかりの白い壁紙は角部屋である部屋を更に明るく染め上げていた。
「本当に出るのかねぇ」女がユニットバスをのぞきながら男に問いかける。
「担当者も言っていただろう。ここはいわくつき物件で間違いないんだから」
「こんなに明るくて綺麗な部屋なのに出るのが信じらんない。綺麗すぎて成仏してたりして」
「そんなんで成仏するんなら誰も壁紙とか水回りを新調しないよ。金をかけて価値を下げるようなことはするはずないだろ」
ソファーに座り、スマホをいじりながら男は答えた。
「まあ、それもそうよね。あー早く出てこないかな」
引っ越しを済ませて三日程経ったころだった。一日目、二日目と期待を胸にベッドに潜り込んだ二人だったが一向に心霊現象に出くわさないため三日目の夜は自然と寝てしまっていたのだ。最初に異変に気付いたのは女だった。
「……ねえ……ねえ。何か軋む音がしない?」女が男を揺さぶりながら語り掛ける。
「ん……確かに聞こえるね……」男は目を瞑ったまま答えた。
「ちょっと見てくるね」枕元の照明をつけ、女は立ち上がった。
アパートは寝室、リビング、キッチンと三部屋に分かれておりリビングの方からその音が聞こえてきている。女は電気を消したままゆっくりとリビングに入っていった。
「こんばんはー」未だ現れない幽霊に挨拶をしながら静かにドアを開ける。幽霊は暗がりの中でも見ることが出来るんじゃないかと部屋を見渡したが何も見えない。静かにリビングへ入り電気のスイッチに手を伸ばす。ラップ音は既に聞こえなくなっていた。
明るくなった部屋は見慣れたものと何ら変わりはなかった。液晶テレビの裏、観葉植物の影、テーブルの下……そんなところに幽霊が隠れているとは思わなかったが一応確認を済ませた。
「なーんだ。音だけか」ひとりごち、寝室に戻ろうとしたのだがふいにカーテンの向こう側から視線を感じた。窓の外には洗濯物を干すだけの小さなスペースはあったものの、部屋は二階であり隣の部屋のベランダとは壁で仕切られていた。誰もいるはずが、なかった。
女はゆっくりとカーテンの傍まで歩み寄る。まるで木の枝に止まっているトンボを捕まえるときのようにゆっくりと、ゆっくりと前に進む。カーテンに手が届く距離まで来た。生唾をゆっくりと、飲み込む。左右のカーテンに手をかける。一秒、二秒と間を置き、一気にカーテンを開いた。
そこには窓の外に広がる深い暗闇とガラスに反射して映る自分とリビングしか存在していなかった。
期待通りにいかなかった女は少々ふくれながら寝室に戻った。
「……どうだった」半分眠りかけていた男が話しかける。
「ラップ音で終了ー。窓の外にいたような気がしたんだけど、だーれもいなかった」
「それは残念だったねぇ……まあ、今日だけじゃないんだし。明日も早いから、早く寝ようぜ」
「はーい。じゃあ、おやすみ」
「俺は今日出ることにするよ」
「そうか……次に行く当てはあるのか?」
「それがまだないんだ。しばらくは外を彷徨ってみようかと思ってる」
「それがいいかもな。いわくつき物件として広まるとどうしても住みづらくなるしな」
「本当にそうだ。前の住人の時なんて散々だった。ドアの影から覗けばスマホを向けてくるし部屋を移動すれば毎回起きてくる。ユニットバスの鏡に映ったときなんかここぞとばかりに話しかけられたんだよ。ほんと幽霊をなんだと思ってるんだ」
「だから俺みたいに人前に顔を出さなきゃ良かったんだ。永く住むには住民に気付かれないこと。それに限る。」
「昔は良かったなぁ。いわくつきの物件っていゃあ住人を驚かせ放題だった。近所で集まってはやれ枕元に立って悲鳴を上げさせたとか呪いの言葉を浴びせて住人を退去させたとか、みんなでそんな話に花を咲かせたよなぁ」
「ほんと楽しかったよな。それが今じゃ上げる悲鳴は歓喜の悲鳴と来たもんだ。そんな時代に住民に気付かれちまったお前が悪いな」
「前の住民が転勤でいなくなったから気を許していたよ。三日で見つかりかけるとはな。まあ、死ぬことはないし暫くは宿無し生活で我慢するよ」
「そうしな。俺はもう少し賃貸物件を満喫するわ」
暗闇の中、二人の幽霊の会話は闇にかき消えていいた。
「もう、いわくつき物件はこりごりだ」
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