第42話

「……あぁ、誤解しないでくれ。過日の件について、今さら何か言うつもりは無いとも」


 そう言って口角を吊り上げるヨーク男爵の顔は、その言葉とは裏腹に何だかとても恐ろしいものに見えた。


「私の抱えている魔術師はまだ多いとも言えないが、東西南北と町の中心ぐらいは監視下に置いていた。君達が娘を巡ってやり取りをしている姿を見ていたのは、彼らの使い魔のうちの一体だよ。すぐに現場に騎士を向かわせようとしたようだが、川舟の手配に手間取っているうちに娘はエルフの冒険者に連れられてどこかへ行ってしまった後だった……と言うわけだ」


 何か言うつもりは無いと言いながらも、こうして事情をひけらかす様に喋るあたり、やはりこの男爵は自己顕示欲が強い人らしい。

 わざとらしく肩をすくめる仕草もヤケに芝居がかっていて鼻につく。


「……これはいったい何の話だい? ボクには、ヨーク卿の娘とジャン君は面識が有るように聞こえるけど。それからセルジオ君もかな?」


 見かねたカール先生が口を開くが、今度はヨーク男爵も余裕の態度を崩さない。


「いえね……母親任せにしていたせいか、お転婆に育ってしまった庶子が私の意に反して逃げ出すのを、結果的に手助けしてしまったらしいのがそこのジャン君でして。反対にセルジオ君は、私が冒険者ギルドに出した依頼で動いてくれた側だったのです。ジャン君は娘の素性を恐らく知らなかったのでしょう」

「そう。それなら確かに、一言チクリと言いたくはなるかもね。でも、あんまり誉められたものじゃないよ。寛容も美徳だと思うけどな」

「ええ、ですから今さら罪に問うことなどは致しませんとも。娘に嫁ぎ先を無理強いするつもりも失せました。だからこそジャン君なのですよ。行動をともにした短い時間で、随分と親しげになっていたそうですから」

「ふーん、なるほどね。まぁ、一応の筋は通ってるかな。悪かったね、横から。ボクとしてはジャン君が罪人扱いされないんなら、別に構わないよ」


 頼みの綱のカール先生も、ボクの身に危険が及ばないと分かったせいか、口を閉ざすことにしてしまったようだ。

 貴族の世界では政略結婚なんかは日常的に有ることらしいし、つい最近までそうしたことを頻繁に見聞きしていただろうカール先生としては、自分が口を挟むようなことにも思えないのかもしれない。


 それにしたって……


「男爵、お忘れでしょうか? あくまで私は庶民に過ぎません。男爵のお嬢様を娶ることは難しいと思います」


 エルのことが嫌いなワケじゃないけど、彼女の気持ちを尊重するなら、やはりここでボクが勝手に婚約を了承することは出来ない。

 さっきはワザとはぐらかすような話の持っていき方をされてしまったし、男爵が例の件を知っていることを匂わせたせいで有耶無耶になってしまったが、身分の差を盾に穏便に断ることを試みる。


「何の問題も無いとも。君の御祖父は名誉爵位とは言え各国で貴族位を得ている。拡大解釈をすれば、君は叙爵される前の貴族の子弟と大した差は無いのだからね。そういう意味では当のエルサリアと何ら変わらないわけだ」


 ダメか……。

 そして、やっぱりそういう狙いも有ったのか。

 祖父と母さんは実質的には義絶状態だけれど、正式に絶縁されたワケでも無いらしい。

 祖父からして見れば、ボクみたいな孫が居ることさえ知らない可能性は有る。

 しかし話の持っていきよう次第でヨーク男爵が、世界有数の大商会の会頭である祖父と縁戚であるというアピールを、公の場ですることが出来ないとも限らない。

 それが実際どう役に立つかまでは分からないが、この国の王都にも祖父の商会の支店が有るぐらいだ。

 場合によっては有利に働く場面が有るかもしれない。


「そういうことなら、私としても前向きに考えさせて頂きたいと思います。しかし、お嬢様が嫌だと仰せになるなら、その意志を尊重して頂きたいのです」


 不本意だが、こう答えざるを得なかった。

 少なくとも今の段階では……。


「それは、もちろんだとも。これは目出度い。バルガス、エリオット。頼もしい未来の義息子のために一席設けたい。手配を頼む」

「畏まりました。閣下、おめでとうございます」

「誠にめでたい限りですな! 早速、我輩が伝えて参ります」


 エリオットというらしい口ヒゲの騎士隊長は特にニコリともせずに頭を下げ、太眉のバルガスさんは言葉の通り部屋を出て行った。


「ランバート師。それからアレック君達も是非とも……」

「うん、まぁ……ご馳走になるとしようかな」

「ご厚意ありがたく……」


 ◆


「それでアレックどうするの?」


 帰り道。

 またも用意されていた豪勢な箱馬車に乗り込むと、アネットさんが早速アレックさんに尋ねた。


「実はもう決めているんだ。断ることにするよ」

「ふーん……何で?」

「あの男爵に仕えるのは肩が凝りそうだ。僕には耐えられそうにないよ」


 ちょっとだけ意外な気がした。

 自分でも何でそう思ったかイマイチ分からないが、アレックさんに騎士という肩書きが似合いそうだったからだろうか?


「それに、ララは多分それを喜ばないと思う。可能ならアネット達と少しでも長く冒険者でいろって言うんじゃないかな?」

「そうだね。ララだしね」

「そうね。アタシもそう思うわ」


 微笑を浮かべる三人。

 対してセルジオさんは浮かない顔のままだ。


「セルジオはどうするのよ? アタシ達と一緒に冒険者を続けるの? それとも、あの男爵の密偵頭でも目指す?」


 ミオさんが尋ねるが、依然として難しい顔をしたまま口を開かないセルジオさん。

 ミオさんは、そんなセルジオさんの態度が気に食わないのか露骨に不機嫌そうな顔になって、普段は滅多にローブの外に出さないシッポを使ってセルジオさんの頬をつつく。


「やめろよ、くすぐってぇな! オレだってスパっと断りてぇよ!」

「だったら、すぐにそう言えば良いでしょ!」

「そう簡単にいかねぇんだよ! 例の件が男爵にバレてたんだぞ? しかも知らねぇ間に、グースカ眠らされてた情けねぇツラまで見られてたときてやがる。どんな間抜けだよ、ったく!」

「セルジオ……」

「セルジオ、それってそんなに気にすること? 不意を衝かれただけなんでしょ?」

「不意討ちだろうと何だろうと、オレがしてやられたことには変わりねぇじゃねぇか。それによ……」

「それに?」

「良いのかよ、こんな間抜けが一緒で? アネットもアレックも、おまけに坊主も才能の塊だ。ミオだって大したもんだろ? オレがこの先、お前らの足を引っ張るたぁ思わねぇのか?」

「思わないけど?」

「……あ?」

「思うワケないでしょ? なぁに言ってんの、今さら。それにね、アンタとアレック、それからジャン君には声が掛かったけど、私とミオには見向きもしなかったんだよ、あの男爵」


 言われてみればそうだ。

 アネットさんにしても、ミオさんにしても、一流の力量を持っているのは、アレックさんやセルジオさんと何ら変わらない。

 第一、それを言うならカール先生にもヨーク男爵は全く声を掛ける素振りさえ無かった。


「そう言えばそうよね。まぁ、理由は分からないでも無いけれど」

「あ、そっか! キミ達はヨーク卿の人となりを、あんまり知らないんだよね。彼はガチガチの人族至上主義らしいよ? この辺りじゃ珍しいけどさ。ついでに男尊女卑思考の塊なんだ」

「マジかよ、今どき」

「大マジ。人材コレクター気取りのクセに、自分で自分の選択肢を狭めてるんだもの。笑えない話だよね」

「……それでか。僕とセルジオに声を掛けておきながら、アネットとミオに声を掛けない理由が無いもんな」

「カールさんにも声を掛けないぐらいだもんね。ジャン君に目をつけたのは凄いと思うけどさ」

「……オレが悩んでたのがバカみたいじゃねぇか。今どき、そんな基準で判断してる大将に先は無ぇな。あの知恵者気取りも癇に触るしよ。ま、これからもヨロシク頼むわ」

「うん、ヨロシクね」

「……最初から、そう言えば良いのよ」

「あぁ、ヨロシク頼むよ」


 良かった、良かった。

 あんなに高度な連携の出来るパーティが分裂するのは、見るにしのびない。

 ボクの方はまぁ、まだ先の話だし……。

 これ、マリアには絶対に内緒にしておかないといけない話だよなぁ。


 頭を抱えたくなる気持ちのまま揺られるボクを乗せた馬車は、町中を殊更にゆっくりと走る。

 すると、ふと覗き窓から外に目をやったボクの目に、思いもかけなかったモノが飛び込んで来た。


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