皐月23日

17

 記入者:青葉マーナ


 インターン中止のため、本日以降日誌を中止します。



「遅刻! ……じゃ、ないか」


 飛び起きて声に出して気づき、振り絞るように溜息を吐き出す。

 のろのろと起き上がる。頭がきしむように痛い。どうやって寮まで帰ってきたのか覚えていなかった。パジャマのまま廊下へ出て洗面所へ行く。歯を磨こうと鏡を見ると、泣いていたのか両目が腫れていた。

 そういえばホクトさんは鏡で自分の顔を見ることができないと言っていた。……なんて不意に思い出してしまって、胸が苦しくなってしまう。

 どうにか着替えて寮の外へ出る。昨日はあんなに悪天候だったのに、今日は雲一つない晴天だ。

 遠くに大きな剣が刺さっているのが見えた。


「特別な力なんて、ないのに」


 脳裏に焼きついてしまった、倒れた言祝ぎ姫。割れた杖。

 もしあたしに特別な力があれば言祝ぎ姫をあんな目に遭わせずに済んだのに。

 現実は、あたしはただの学生で、力なんてこれっぽっちもない。気を抜くと涙がこぼれてくるので乱暴に袖で拭う。両手で頬を叩く。


「しっかりしろ、しっかりするんだ、あたし」


 言葉にしないと、小枝のように折れてしまいそうだった。


 大学校の敷地は広い。

 離れにある工房で、自習室の利用申請をする。模擬ディクショナリウムは四角い箱。学生の練習用だ。

 改めて、指輪の模擬ディクショナリウムは貴重だったと思う。その後、すぐに本物を見ることもできた。

 三日月のバレッタを髪から外して、箱へ向ける。


「『マーナが命ずる。ニムロドの加護のもと、言葉の共有と復活たらんことを』」


 箱が開いて言葉が溢れてくる。

 言葉には色やかたちがあることを、あたしはインターンで初めて知った。ニムロドと同じで、言葉の見え方もひとによって違うのだろう。

 そっと輪郭をなぞる。


【コロッケ】


「……イノルさんたちと食べた」


 ほかほかで、慌てて食べようとすると口のなかを火傷してしまいそうになる。挽肉がたっぷり入っていて、黒胡椒はちょっと多め。食べ方をまちがえると耐油紙からはみ出て手がべたべたになってしまう。


【カレー】


「……ホクトさんが好きな、食べ物」


 毎日カレーを食べているホクトさんにとっては人生。カレーだっていろんな種類があるけれど、同じものを食べ続けるのはあたしにはできない。

 呟いて気づく。こうやって、言葉にはいろんな記憶が蓄積していくんだ。


【さびしい】


「今の、あたし」


 そう。【うれしい】を知ると、【さびしい】も強くなる。あたしはあんな短い時間でも、イノルさんやホクトさんたちと一緒にいられてうれしかった。

 うれしかったんだ……。


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