第694話-2 彼女は謎の本を手にする

 翌朝、明るくなったところで早々に『カタラックCatarac』を離れる。城塞の隠し扉を確認したが、外見上戻して違和感のない状況であった。あの扉が動いていないのであれば、監視する側も特に問題視しないだろう。


 その昔、彼女の姉が頂き物の箱の中身だけしっかり食べてしまい、側だけ綺麗に戻して知らんぷりをしていたことを思い出す。持てばわかる頂き物であればともかく、地下墳墓はそうではない。獲哢の不在に気が付いたとしても、奥の扉を開けるには人狼の血が必要となる。


 その事に気が付かなければ、あの場所は永遠に開けられず秘密のままとなる。故に、墓泥棒ではない。無くなった事に気が付かないのだから。


 そう考えると、人狼の血を提供したルシウスの役割りはそれなりに重要であった気もする。





 馬車の中で昨晩手に入れた『本』を手にする。古い黴臭い革の装丁、羊皮紙が湿気を含んで膨らむ事を前提とした帯留めの金具。そこには鍵穴などなく、丁番で止められている。


「この丁番、亜鉛の合金かしら」


 その昔、『偽金』であるとか、『オリハルコン』なと呼ばれていた亜鉛の合金は、青銅より硬く錆びずに良く切れる物が存在した。鋼の無い時代においては鉄を凌ぐ性能を持つ物もあり、「神具」と処される事もあったとされる。それ故、重要な本の装丁にも使用されたのであろうか。


『魔力を帯びているからな。魔鉛も混ざってるだろうぜ』


『魔剣』の指摘になるほどと納得する。この書を手にしてよいものは、魔力持ちであるそれなりの社会的地位を持つ者であろうという前提か。


 留め具を廻し、掛け金を外す。表紙に書かれている文字は薄っすらと輝いていたが、彼女は読めなかった。中身は……


「これは」

「何、なんなんなの」

「宝物の地図とかですかぁ!!」


 そんなものではない。断じてない。


「読めん」


 人狼が拍子抜けしたように口にする。何やら線と線とを組み合わせた文様めいた文字であるとしか言いようがない。種類は……凡そ十六文字。彼女の知る文字はそれより十前後種類が多い。


「期待していたものとは違っていたようね」

「……そうだ」


 人狼が探していたものとは何なのだろうかは凡そ想像できる。





 『オーム文字』 あるいは 『精霊文字』は先住民が用いた文字で、目の前の書物、恐らくは魔導書・魔術書と同じような目的で作られた文字である。


 その文字ごとに象徴する樹木を充てていたので『木のアルファベット』とも呼ばれる。


 千年またはそれ以前に発生したと考えられ、古帝国末に盛んに用いられた。横線を基準としてその上下に刻んだ、縦または斜めの直線1-5本ほどで構成され、直線的で比較的単純な形をしており、線の数で音の違いを表現するなどの特徴がある。一種のアルファベットであることから、古代語文字をもとにして作られたという考えが有力で、先住民の社会に古帝国の影響を受けた時代に成立した頃、ここで古代語文字の影響を受けて成立したともいわれる。


 碑文は土地の所有者などについて記したものが多い。またドルイドによって神聖視され、祭祀に用いられたともいわれる。


「俺が知らない文字がいくつかあるかと思っていたが、全くわからないし読めない」


 古代語と相対する文字がかなりある為、読み方や文章は文字の置き換えさえすれば基本的には読めるのだという。


「この、なんか模様みたいなのは何なんでしょうね」

「怪しい護符のようですぅ」

「怖いですわぁ」


 文字のような線と線の組合せを複数放射線状に配置した文様が見て取れる。


「これも、貴族の紋章みたいなものなのかしらね」

「図象ではなく記号でと言うことね」


 子供が地面に木の棒で描く線画のようにも見える。


「考え方は同じなんだろうな。木の幹を削った面や木の板に刻むのに適している縦線と斜め線の組合せか……横線がない」


 縦線に左右にあるいは真横に横線を描く文字があるのだそうだが、横線が一切ないので、精霊文字ではないことが確定。別のルールで作成された文字だと言うことがわかる。


 ここで、『魔剣』がぼそりと呟く。


『悪いがそりゃドルイドの文字じゃねぇ。入江の民が持ち込んだもんだし、獲哢も一緒に持ち込んだ魔物だ』


『魔剣』の言葉を人狼に伝えると、人狼はがっくりと膝を折る。人狼の血が必要なのは戦勝の供物としであったのだろう。勝って血を捧げた上で扉の奥に進めと言うことだ。


 つまり、この扉の奥にある宝に、先住民の末裔である人狼に何の権利も本来はない。とはいえ約束は約束、、扉の開き賃として1/3の権利は認める。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 何やら本当に骨折り損のくたびれ儲けであったのかと、獲哢退治に参加したメンバーが肩を落とす。だがしかし、忘れてはならない。


「そういえば、棍棒を持ち帰ったわよね。三本」


 他に手に入れたものは何もない。三つの頭と胴体は回収した。これも賢者学院への土産になるかどうかは怪しいのだが。


「獲哢の頭はぜーったいみませんよぉ」

「ですわぁ」


 馭者台で賑やかしい居残り組の二人。灰目銀髪はその背後で疲れが残っているのかうたた寝中である。めずらしい。


「この棍棒……」

「ちょ、大きすぎないこの場で出すには!!」


 魔法袋から取り出した棍棒は、長さは3mはあるだろうか。しかしながら、太さはハルバードやスピアの数十倍太い。人の胴程の太さがある。


「これ、薪木くらいなるかしらね」

『あ、これ魔導具……魔呪具まじゅつぐの類だな』


 不穏な名前が『魔剣』から告げられる。『呪具』というからには、なにやら良くない効果を与える魔導具と言うことになるのだろうか。


「いやまて、この木は……楢(オーク)からできている。オークの棍棒の魔呪具といえば……なんだ、あれだ」


 何やら喉元迄言葉が出かかっているようだが、出てこないらしい。


『先住民の伝承に出てくる大神の棍棒か。ダグザとか言ったか』


『魔剣』の朧げな記憶に出てくる、先住民の伝承には、神々の父が持つ生死を司る棍棒があったという。


『片面で打てば相手は死に、片面で打てば蘇るらしいな。まあ、どっちがどっちなのかわからねぇな。この棍棒じゃあ』


 片面だけトゲトゲがついているということもない。左右対称の棍棒なのだが。彼女は、『ダグザの棍棒』の名前とその性質を皆に伝える。


「おお、それだ。けどよ、どうやったら真贋がわかるんだ」

「片方で思い切り叩く。死んだら、その反対で叩けば蘇るぅ」

「ですわぁ」

「いやちょっと待ておかしいだろ!!」


 仮に、生き返る側を先に叩けば何も起こらない。そして、先に死ぬ方で叩いて死んだ場合、生き返らない可能性もゼロではない。たぶん生き返らない。


「まあ、これあんたの物って事で良いから。黙って殴られなさい」


 伯姪は人狼にそう言い放ったのである。

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