第660話-2 彼女は灰色乙女と再会する

「それで、吸血鬼討伐にわざわざ渡海したという事なのでしょうか」

「依頼と言えば依頼になると思うけど」

「ヴィの場合、依頼の押売りですね」


 それまで黙って聞いていたビルが口を開く。


「リンデの支配層にとって、ノルド公とその領都『ノルヴィクNorvic』は利害が対立しているのです」


 連合王国の中でも南部や西部の貴族は、素材としての羊毛を単純に輸出するのではなく、ネデルや王国から毛織物の商人・職人を呼び込み、自分たちで加工した製品を販売しようとしているのだという。原毛あるいは素材としての羊毛を輸出するより、完成品を輸出した方が利益も単価も大きくなるのは当然だからだ。


 しかしながら、ノルド公は考えが違う。ネデル総督府と結びつき、原毛の輸出量を増やす事で簡単に売上利益を増やせると考えているのだという。


「それって、単純に羊を飼う数を増やすってことよね」

「はい、その通りですね。しかしながら、これには様々な問題が発生しています」


 ビルが続けて説明する。


「ノルド公の領内において、領主あるいは地主たちが農村の共有地を勝手に柵で囲い込み、放牧場に変えてしまっているのです。あるいは、森を切り拓くなり、湿地を干拓するなどですね」


 共有地と言うのは、村全体に利用権が認められる場所であり、そこで植物を採取したり或いは秋には豚がドングリ等木の実などを食して冬備えに用いたりする場所である。これを勝手に取り上げられたのでは、農村は立ち行かない。


「それだけではなく、耕作地まで取り上げ小作人を追い出したりもしているのですよ」

「「……領主とは思えないわね……」」

「まあ、この国の貴族なんてそんなものよ」


 そして、父王の次の弟王の時代事件は発生した。


 『ケットの乱』と呼ばれる住民叛乱である。


 弟王は護国卿(摂政に準ずる大臣)を通じ、農地を収奪する行為を認めない布告を出したため、小作人たちは地主が作った柵を破壊し、農地を取り戻す事に対し正統性を得たと考えた。


 しかしながら、領主層は私兵を持って農民たちの集団を攻撃し、その中で争いは暴動へと変化していった。


『ケット廃城』に集まった農民たちは評議会を開き、その代表者らは攻撃する領主らに対し逮捕状を発することにした。ノルド各地から集まった農民の数は一万二千を数え、ノルビックの人口を越えるほどとなる。


 リンデ市議会に彼らは代表を派遣し自らの姿勢を表明、また、ノルヴィックを包囲し、領主らの行いを責める29か条に渡るリストをノルヴィックに送りつけ、市長らと代表は話し合う事もあった。


 その後、ノリッジはケットの反乱軍に制圧され占領されてしまう。これに対し、ノルド公は1400人の傭兵を基幹とする私兵を送り、大きな損害を出し反乱軍はノリッジを退却することとなった。


 その後の追撃戦で数千の反徒が死亡している。


 首謀者らはノリッジに集められ裁判で有罪判決を受け、街の城門に反逆者として吊るされた。


 とはいえ、これは反乱と言うよりも、生活手段を取り上げた結果窮した農民が暴動を起こしたという当たり前のことであり、為政者としての無能さを示す証左でもあると考えられる。


「それで、公爵は何も咎められなかったのかしら」

「いえ。一度は爵位を取り上げられたようですが、先の女王の時代に代替わりをして公爵位を再び認められたようです」


 現ノルド公の父親は若くしてなくなり、処罰を受けた祖父の公爵は蟄居させられていたのだという。孫が成人したので当主を譲り、孫は公爵として復帰した。


「そして、この反乱を鎮圧するために雇った『帝国傭兵』の中に、『ウリッツ・ユンゲル』が含まれていたというわけです」

「けど、ネデルってなんでそんな吸血鬼と強くつながっているのかしら」


 伯姪の疑問に、オリヴィとビルが沈黙する。彼女は「別に気になるというわけではないのだけれど」と思ってその沈黙を見守る。


 しばらくの沈黙ののち、オリヴィが口を開く。


「ネデルに総督が置かれたのはそう古い事ではないの。その時は寡婦となった当時の皇帝の妹が総督となったの」


 五十年ほど前、サラセンが大沼国に侵攻。当時、大沼国とベーメンは同じ王を頂き、帝国皇帝の妹を妻としていた。サラセンとの戦いで国王が戦死し、大沼国の大半はサラセンに占領され、また、王位を継ぐ者のいなかったベーメンは帝国皇帝が国王を兼ねることになった。これは、ベーメン王の妹を皇帝が妻としていた「二重結婚」の結果である。


「それで、その妹さんがどう関係するのかしら」

「……婚姻の後、彼女は吸血鬼に見初められ吸血鬼になっていたとするならばどうなるかということね」

「皇帝の妹が吸血鬼……」


 王国がサラセンとそれなりの関係を築いているのとはわけが違う。


「皇帝家はそれを認めないでしょうし、公にはなっていない」

「けれど……」

「夫を失い修道女となった妹は、その後、ネデル総督となり開明的な活動を大いに支援したわ。要は、芸術家や学者のパトロンになり、サロンを開いて交流の場を提供し生活を支援したのよ」


 ネデルは豊な地域であり、その結果、芸術家や学者が育つ環境が整っていた。宗教にも抑圧的ではなかったという事もあるだろう。先代神国国王の時代は、そこまで厳格な御神子原理主義を求めなかったということとはあるだろうが、総督が上手に抑えていたという事もある。


「その間に、吸血鬼の『巣』を完成させたみたい」


 『巣』というのは、ある種の吸血鬼によるネットワークを意味する。身分があり、権限と権力を有している女吸血鬼の総督のお陰で、ネデルの都市にはそれなりの吸血鬼が潜む事が可能となったのだという。


「農村や小規模な街だと、吸血鬼は活動しにくいのよ。

捕食する相手が目立って消えたら気付かれるような場所はね」


 他国や他の都市との取引で、人の出入りの多いネデルの諸都市は吸血鬼にとって都合の良い住処であると言える。


「それに、原神子信徒の教会ってのも、いいのよね」

「どういう意味でかしら」


 彼女の疑問にオリヴィは答える。御神子教会は、教皇庁と教皇を頂点として組織が存在する。


 司祭や司教の任免は独自にできるわけではなく、人事の移動も存在する。故に、吸血鬼の『巣』とする場合、外部に隠す事も難しい。


 しかしながら、原神子信徒、特に『厳信徒』系の教会は、吸血鬼の隠れ家として最適なのだという。


「何が違うのよ」

「原神子教会は、その考え方で個々に分派が容認されているのよ。この国の聖王会の場合、頂点は国王とされているけど、厳信徒はそれを認めていないの」


 聖典を唯一の存在として考え、教皇庁や国王の存在を認めない厳信徒の閉鎖的な思考は、『吸血鬼とそのシンパ』にとってとても都合が良いのだ。


「聖騎士に紛れ込むのもその延長線と考えていいわ」


 修道騎士団の異端とされた理由の中には、騎士の誓いに問題があったとされたり、悪魔崇拝をしていたという事も挙げられる。これが言いがかりではなく全くの事実であったとすればどうなるのだろうか。


 そして、その悪魔が『元聖騎士総長』らを吸血鬼化した『真祖』であったとしたならば、大塔での出来事も理解できる。修道騎士団は、教会組織から独立し上には教皇のみを頂く組織であった独立性も、厳信徒教会との類似性を感じる。


 全部が全部ではなかったとしても、教皇庁あるいは国王から独立した教会組織の中に吸血鬼は潜みやすいのだと彼女はオリヴィの話を聞き納得するのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る