第638話-2 彼女は『シャルト城館』にて王弟殿下を迎える
晩餐会が開かれ、久しぶりの王国料理に王弟殿下の気分はかなり良くなった。姉が差し入れたワインの味も好みであったようで「ボルドゥよりシャンパーあるいはブルグントのワインがこの料理には合う」と喜んでいた。確かに、ボルドゥワインと王都の料理はあまり相性が良くないとは思う。
親善大使として、二月近くかけてリンデに到着したわけだが、その間にあった様々な歓待の様子を王弟殿下は彼女たちに語って聞かせた。実際、王配にならなくとも、旧ランドル伯領周辺の『公爵領』を賜ることになる王弟殿下に対して、海峡を挟んだ両岸の貴族・商人はその人となりを知り、歓心を買いたいと考えるのは当然である。
決して、王弟殿下自身の魅力によるものではないという事を、側近連中は良く理解しておいてもらいたい。本人は……まあいいだろう。
「副伯はどうであった?」
「原神子信徒は様々な理由を付けて、御神子教徒の庶民を虐待しているようですね。幾度か、襲撃されています」
「……は……そ、そうか。なかなか難しいようだなこの国は」
王国の治安が回復しているのは、王宮と騎士団が治安維持・戦力強化に向けて様々な施策を行っている事と並行し、リリアルの存在が裏にはある。後ろ暗い人間が活動することが難しい空気が作り上げられていると言っても良い。王都近郊は特にその傾向が強い。また、南都周辺は、王太子殿下の親政の影響がでている。不穏な場所はかなり限られている。
連合王国はリンデ周辺以外において……女王陛下のご威光は限られたものに過ぎないと評価されているのだろう。実際、治安は宜しくないのだから当然だ。
「それで、昨日は東方公と話していたようだが、副伯から見て彼の御仁はどのような人物だと思われたか」
「……あいさつ程度ですので……なんとも」
王配レースには、王弟殿下の他にも、東方や北方の君主・王族が名乗りを挙げている。とはいえ、年齢的にも地理的にも有利なのは、王弟殿下なのだが、ジロラモが事前に知らされていた以上に美丈夫であったこともあり、「俺負けた」とでも感じているのかもしれない。
「ニースのご令嬢でも構わない。どのような人物と感じただけでも良い」
「ならば印象だけでもよろしいでしょうか」
彼女の前に伯姪が話をしてくれるようだ。
「ニースの騎士と似た感触を持ちました」
「それはどういう意味なのだろうか?」
ニースの騎士は、弱きを助け悪しきをくじくといった「理想の騎士」らしくあろうとするのだという。その背景には、ジジマッチョの背中が語って来たニースの騎士の在り方があるのだろうが。
「騎士物語の騎士か」
「いえ、異教徒や海賊から民を護る騎士です。聖征の騎士のイメージを考えていただけば大きくははずれませんわ」
王弟殿下は「ふむ」と頷き、暫く何事か考えている。王太子と比べれば思考速度こそ劣るものの、学習・分析に時間がかかるだけで愚か者ではないという事を彼女は暫くの間の付き合いで理解している。打てば響く鐘の如き王太子と比較すれば、凡庸に見えてしまうのが残念ではある。
「騎士の理想を追う人物か」
王位継承権を持たない高貴な身分の才能ある貴公子。子供のころは聖職者にして枢機卿・教皇に育て上げるという事も考えていたようだが、本人の気質がそれを許さなかったとも噂される。
「で、副伯はかなり会話していたようだが」
「感じた魔力量は王太子殿下に匹敵し、また、頭脳も明晰・優秀な魔騎士であると考えます。ですが……」
「策略の類は苦手か。私と同類だな。ははは」
王太子と王弟殿下の違いは、実際、頂点の為政者として求められるものを準備しているかどうかにあるだろう。為政者と言うものは、下のものから見透かされてはならない。利用しても利用されてはならない存在だ。
祖母や姉はそれを体現しているが、彼女は王弟殿下やジロラモと同じ側の存在だと自覚している。優秀であっても、それだけに過ぎないのだと。
「ですが、王配としては目が無いと思われます」
「……それは、副伯の印象か?」
「いえ。神国が要求していることを女王陛下は認めることができないからです」
以前、神国国王は、連合王国の女王陛下と婚姻することを提案したことが有る。姉王とは王太子時代に婚姻し、王配ではなく『国王』としての地位を持っていたこともあるのだ。姉王の死後その関係は消失し、また、再婚もしているのだが、その前には女王陛下との婚姻の話もあった。
「女王陛下を御神子教徒に宗旨替えすることが婚姻の条件と聞いております」
「……それはそうか」
「先代の女王陛下の御世において、原神子信徒は相応に弾圧され、ネデルや王国に逃げたものが多数おります。父王時代の宮廷の重鎮やその後継者と目された郷紳たちは国を追われるか命の危険にさらされています。その彼らが、神国の後ろ盾を得るために女王陛下が宗旨替えすることを」
「認めるはずはない、だな」
「はい」
宮廷における女王陛下の支持層はリンデの原神子信徒である郷紳・貴族であり、実際、側近はその者たちで固めている。神国に国を身売りするくらいでなければ、女王陛下が神国の王族と婚姻を結ぶとは思えない。そこまで追い詰められないように、王弟殿下を当て馬として招聘したのだと彼女は考えている。
「リンデの貴族たちや、女王陛下の側近と面識を得るのは悪いことではないでしょう。殿下が、領地を賜るのなら、ある程度彼らと知己がある方が、何かと立場を得やすくなります」
「だが、原神子信徒になるのはまずい……か。ならば、王配の目はないな」
王配になるなら宗旨を合わせる必要がある。王弟殿下が女王陛下の王配となるのであれば原神子信徒としてなのだ。
神国は原神子信徒を排斥し異端扱いしているが、王国は原神子信徒を許容している穏健派の御神子教徒の国である。それぞれを尊重するのであれば、ともに王国の民として認め、王の臣下と認めるということだ。
「王配となるか、公爵領を賜るかは殿下のお気持ち一つかと思います」
「……そうか。そうだな……」
神国からの圧力を躱す為、連合王国の女王とその宮廷は王弟殿下の存在を出来る限り利用しようとするだろう。リンデ商人にしてみれば、ネデルで神国軍が行っている行為は対岸の火事とは言えない。ネデルの制圧が終われば、神国軍は同じ原神子信徒の国である連合王国に矛先を向けることは十分に考えられる。
王弟殿下の気持ちとはいうものの、実際はかなり低い確率であり、王太后と袂を分かつことになる宗旨替えは、精神的にかなり厳しい選択だろうと彼女は考えている。
王配になるという気を見せつつ、顔を繋ぎ、新公爵領の利を得られる関係を模索するのが上策ではないだろうか。ネデルからリンデに逃げた商人・貴族は少なくないが、受け入れは不十分だとも聞く。ならば、新公爵領に誘致するということも可能ではないだろうか。
リンデで行うべきは王配になる為の活動ではなく、王国に優位の人材をつれ出す為の人間関係作りが良いだろうと王弟は考えなくてはならない。相手の思惑に乗るのではなく、それを利用し利を得るということだろう。
王弟殿下はその後「また明日」とばかりに晩餐を終了させ、彼女と伯姪は自室に戻るのである。
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晩餐の後、彼女と伯姪は執務室にエンリを呼び出していた。
「こんな夜更けに呼び出されるとは、期待してもよろしいでしょうか?」
「ええ。これから大切なことを言うので、期待してちょうだい」
エンリも随分と打ち解けたものである。冗談はさておき、彼女は昨晩遭遇したノインテーターについてエンリにだけ話す事にした。
「ネデルから来たのでしょうか」
「恐らく。どうやら、背後にネデル総督府の関係者が働いているようです」
「……では……王弟殿下を狙ってくるとお考えでしょうか。それと、この話を私にするという事はどういう意図をお持ちなのでしょうか」
彼女はノインテーターの標的はリリアルだと考えている。とはいえ、王弟殿下一行が巻き込まれる可能性が二割くらいあると判断している。その上で、ノインテータ―について認知しているオラン公弟であるエンリにだけ伝え、事態が発生した場合、対応に協力させるつもりなのであった。
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