第576話-2 彼女は一人三階に向かう
『猫』が先行し、偵察をすると、階段の上がり際には魔物はいないという。そのかわり……
『広間の中央に仕切りがあり、正面左手の衝立の陰に何かが潜んでおります主』
と告げる。半ば精霊である『猫』には、アンデッドの種類がはっきりと認識できなかったようだ。
「生きているようだったかしら」
『いえ、確実に死体に見て取れます』
すると、レイスかワイトか、あるいはリッチのような存在か。少なくとも、魔術師ではなかったであろからリッチの線はないと思われる。
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広間を横切り衝立の陰を覗き込む。そこにいたのは、地下でも見かけたワイトに良く似た黄色味を帯びた魔力を纏う半ば干からびた死体。
『良く来た、歓迎する』
振り返ったワイトは、無表情にそう答えた。
「始めまして、リリアル副伯です」
彼女は生真面目に挨拶すると、相手もつられたように言葉を返す。
『第二十二代総長 ティーポ・ゴディです。私も王国の騎士でした』
ラス前の総長であるゴディ卿は、アッカ陥落から一年ほど勤めた人物でかなりの高齢であったと記録されている。年長者であり、長らく修道騎士団に所属した長老格であったこと、本拠地を失いある程度統制がとれる人物が望ましかったことから選ばれたとされている。
とはいえ、実権は二十三代となったモレが有しており、その背景には実家の主家筋にあたる帝国皇帝家の影響があったのではないかとされている。
「それで、ここでなにをされているのでしょうか」
『……さあ、随分と長くこの場にいるような気もしますし、つい最近、ここにやってきたような気もするのです』
腰に帯びている剣の柄には黄色みがかった魔水晶が嵌め込まれている。恐らく、ここに本体である霊が収まっているのだろう。
『私は反対したのです』
東方に残り、ドロス島を拠点にサラセンとの戦いを継続すると決めた聖母騎士団、帝国東方の異教徒の地を新たな遠征の地と定めた駐屯騎士団に対し、修道騎士団は諸国を回り、再び聖王国の復活の為の遠征を行うよう働きかける活動を主とするとしたのだという。
実際、王国の国王自らが内海を渡り聖征を行ったものの、結果を出すことなく遠征先で死去したり、戦闘をすれども聖王国建国当初のような勝利を得ることは出来なかったのだから、当然だと言えるだろう。
『教皇庁の求心力は度重なる敗北により低下し、民衆の熱狂も冷め、なにより、聖騎士団を支えてきた諸侯の力が弱まったという事があります』
聖征の当初、今と比べれば当然だが百年戦争の始まる前と比較しても、国王・皇帝の権威権力は低いものであった。対外的な戦争における盟主という役割以上の物を持っていなかったと言える。ところが、聖征の間に、諸侯と国王の間には優位さが明確になってきた。王国は尊厳王の時代、特にそれが顕著となったと言える。
『ですので、教皇庁からは聖母騎士団と修道騎士団を統合して聖騎士団として役割を纏めるべきとの指導がありましたが、受け入れることはありませんでした』
「それは、既得権者として既に相当の力を持っていたからでしょうか」
彼女の問いにゴディ卿は答える事は無かった。
彼女は質問を変える。
「あなたが今の姿になったのは自ら望んだからでしょうか」
『……いいえ。私はアッカからの退却時にすでに戦傷を負い死ぬ寸前であったと記憶しております。そして、気が付くと、体の傷がいえる事はありませんでしたが、不思議と痛みもなく眠気や空腹を感じる事もなくなっておりました』
『勝手にワイトにされて、自分の死体を操るように仕組まれたってところだな』
モレはアッコからの退却後、即座に総長に就くのに問題があったのだろう。故に、死にかけていたゴディ卿に一時総長の座を預け、その間生きているかのように偽装する為、魂を魔水晶に封じ込め、遺体を動かさせていた……というところだろうと『魔剣』は推測する。
「なるほどね」
『……だから……記憶があいまいなのでしょうな。既に死んでいる……所謂……亡者と言う奴です……今の私は』
吸血鬼化した修道騎士達のことや、背後で動いていた『真祖』である吸血鬼の親に関してもゴディ卿は思い当たる事がほとんどないという。しかしながら、歴代において驚異的な強さを誇る少数の聖騎士達がおり、それは神の加護を受けた真の聖戦士であると言われていたが、正直、眉唾ものではないかと感じていたという。
「それは何故でしょうか?」
『戦いには確かに強かったのですが……その戦い方が獣のような荒々しいものでしかなかったからです。大きく口を開け、大声で何か喚きながらサラセンの精鋭に襲い掛かっているような姿を見たことがありますが、聖騎士と言うよりも、蛮族の狂戦士のように思えました』
それが、吸血鬼となった聖騎士が、魔力持ちの魂を求めて暴れている姿であるとすれば、全くおかしい事ではない。その戦い方は先ほどまでの階下の戦闘で感じたことでもある。死を恐れる必要がない故の戦い方は、狂戦士のような雑な戦い方で十分脅威となったであろう。
「負けなかったのでしょうか、彼らは」
『いいえ。そうであれば、いまでもアッコは我らの手の中にあったでしょうし、聖王国が滅亡することもありませんでしたでしょう。サラセンにも魔力を持つ勇者は沢山おりましたから、やがて討ち果たされたのですよ』
吸血鬼も殺せないわけではない。首を斬り落とせば殺す事ができる。首は人間の急所であり、グレートヘルムやチェインの頭巾をかぶっていても完全に守る事は出来ない。魔力を通した剣や槍で突かれるか、手足を叩き潰され首を落とされるかすれば倒すことも可能だろう。最後は斬首刑となる。
『さて、そろそろ終わりにして頂いてもよろしいでしょうか』
「ゴディ卿がよろしければ、私が天に帰して差し上げられると思います」
『おお、あなたの手で。では、よろしくお願いします副伯閣下』
「……アリーとお呼びください」
『では、アリー殿よろしくお頼い申します。王国と、御神子教徒たちを守って下さい』
膝をつき、祈るような姿となるワイト。だが、本体は剣の柄なのだが。
彼女はその首を魔力を込めた剣で斬り落とし、倒れる体に吊るされた魔水晶の嵌められた剣の柄を、自らの剣の峰の部分で叩き割る。
PAKINN!!
水晶は割れ、帯びた魔力は宙へと掻き消えるように散っていく。
『タノミマシタゾ』
修道騎士団も多くの騎士達は、善良な神に仕える戦士であったのだろう。しかしながら、巨大な組織の中で一国を左右するほどの富と権力を世襲ではなく実力で得たと勘違いした幹部の中には、永遠の命や他者から奪う魔力で自己を強化するという始原の喜びに目覚めた破戒者も少なくなかったという事ではないだろうか。
死なずに、吸血鬼となり長く修道騎士団に潜み、組織を支配していく。修道騎士団は多くの管区・支部があり、定期的な移動が当たり前であった。つまり、いつまでも若かったり、非常に強力な聖騎士であったとしても、異常性を認識できるほど深いかかわりとなる事が少ない。
婚姻もせず、常時、日の当たらない城塞で過ごすか、外出時は完全武装で日が射さない装備を身につけることができる『聖騎士』の仕事は、全くもって吸血鬼の隠れ蓑に最適であった。
『誰が最初の吸血鬼だったのか、聞けばよかったな』
「それは、下の芋虫にでも聞けばいいわよ。卿は恐らくご存知なかったと思うわ」
『確かに、いいおじさんだったもんな』
好々爺然とした優し気な口調の騎士であった。王国人として故郷を偲び、聖騎士として団を大切に考えていたのであろう。ワイトにされた事も不本意であったろうし、彼女達と同じ王国人として敵対する気持ちは微塵もなかったと言える。
「さて、この階はここまでね」
『上に居んだろ、仕掛けたやつがよ』
彼女は、割れた魔水晶を柄頭に持つ剣を再び回収すると、螺旋階段へと足を向けるのである。
四階は、全くの闇であった。
全ての銃眼・矢狭間を兼ねた明り取りが埋められており、壁や仕切りもなく、ただ広い広間の中央に、何やら『聖櫃』のようなものがぼんやりとみてとれる。
「魔力を持つ物が潜んでいるわね」
『……あの石棺のところにか?』
彼女には確信が持てない。故に、手に持った松明を石棺に向け投げることにする。
すると、石棺の背後に、聖征時代の騎士の姿をした何かが立っているのが浮かびあがる。
『良くここまで来た。しかし、貴君の死に場所はここになる』
グレートヘルムの中からくぐもった声が聞こえる。それは生身の人間に近く、恐らくは『吸血鬼』であると彼女は確信していた。
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