第508話-1 彼女は大使と相まみえる
『フランツ・ウォレス』は、どうやら女王陛下の側近である『ビル・セルシル』卿の子飼いの法律家であるらしい。
「以前、山国の大学に数年間法律を学ぶために留学しておりました。山国は王国と地理的にも政治的にも近しい存在です。そんなことで、私は王国の大使として上司であるセルシル閣下の推薦により、女王陛下から大使の任を与えられる栄誉を得たのです」
ということらしい。
セルシル卿は父王時代の国王秘書官に見いだされたのち、側仕えを長く務め、姉女王時代一時遠ざけられたものの、女王陛下の即位から一貫して国王秘書官を務めている。
国王秘書長官は宰相に継ぐ王の助言者である側近と見なされる。また、国王秘書次官が存在し当初長官のみであったが、父王時代に二名に変更され長官・次官となる。
女王陛下の意思決定に最も影響を持つ側近であると言えるだろうか。セルシル卿も法律家出身であり、王国の『評定法院』に所属する王都大学出身の法曹家の出自を考えると、所謂、小貴族・騎士階級が王の廷臣として仕える一つの階梯であると考えられる。
王の権力を行使するために、法律による裏付けを用いる為、下級貴族出身の法曹家を必要としている国王と、自らの出自の低さを国王の権力を背景に変えようとする小貴族のパートナーシップといえばいいだろうか。
この男の主義主張は、女王陛下の意思の代弁であると考えてもおかしくはない。この男自身に権威も権力もないが、迂闊なことを言えば、痛くもない腹を探られる事になりかねない。
王弟はどう考えているか分からない……恐らくは何も考えておらず、ウォレスの希望に気前よく応えただけなのだろう。有能な敵より怖ろしいのは、無能な味方とはよく言ったものだと彼女は考えていた。
「それでは、山国では『神学』を学ばれたのですわね」
彼女は法律家であるウォレスが『法学』ではなく『神学』を学んだのだろうと敢えて言葉にした。
原神子派の影響を受けた山国は、元々帝国との関係が良くなかったということもあり、教皇を支持する皇帝に対抗する意図もあり、原神子派が主流を占めるようになる。また、多くの都市がトラスブル同様、原神子派の参事会に取って代わられ、修道院の廃止や聖遺物などの破棄などを行い、より厳格な原神子派である『ジャミトフ派』となっていた。
ちなみに、ジャミトフ派は多くの異端とされる原神子信徒を生み出しており、ネデルの原神子信徒もジャミトフ派が大勢を占めているという。また、連合王国にいても『ピュリシア派』と呼ばれる原理主義的過激派が存在する。
つまり、山国で原神子原理主義にかぶれた『女王の犬』のさらに飼い犬が、大使として穏健な御神子信徒の多い王国にやって来たという事である。
王国にも、原神子派は存在し、さらに少数ではあるがジャミトフ派も存在する。山国と関わりのある王都の商人や、連合王国と取引のあるルーンやギュイエの港湾都市にはそれなりの信徒がいる。
大使とその一行という国家公認の諜報員たちが、その辺りと接触し魔物以外の暴動などを起させ、王国の統治を揺さぶろうとしている可能性は少なくないと考えられる。
『こいつ、魔術師だぞ。魔力持ちで、それなりに上手く操っている』
『魔剣』が魔力の有無・操練度の質を見抜き彼女に伝える。おそらく、法曹家であり、女王の犬の狂信者であり、『賢者』なのであろう。リリアルに探りを入れるには、悪くない人選だ。
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社交においては「お互いを知る」という意味で、ある程度自分の情報を開示する必要がある。そういう中で、互いに親密度を上げるという行為なのだが、当然そこには、配慮が求められる。
祖母や姉の受け売りではあるが、外交でありがちなのは、自分が情報を得るために相手に自分の情報を伝え、相手の情報を受け取り理解することで、共感を感じ仲間意識を持ってしまうことであるという。
連合王国は長きにわたる敵国であり、表面上、友誼を結んだとしてもそんなものは社交辞令に過ぎない。とくに、いま統治している女王は、教会を否定し、王国人を奴隷として連れ去り、『賢者』や魔物を利用し王国に害をなす存在である。
あばたを隠すために金属を加工して作った有害な白粉を塗り、風呂に入らず、感情の振れ幅が大きなお菓子好きな年増が彼の国の女王陛下である。
そんなものが送り込んできた人間、それも生れながらの貴族ですらなく、法律を学んだ原神子原理主義者である悪相の男。目の前の王弟殿下以外、誰も相手をしないだろう。
おそらく、王家にも宮中伯にも断られ、最後に王弟に頼んだのだろう。意図も理解せずに、相手にされない者同士とばかりに快く紹介すると答えたのだろうと推測される。
「リリアル学院ですか。大変興味深いですね」
「少し変わった孤児院という程度ですので、大使閣下が目にして面白いものなどないのではありませんか」
「いえいえ。我が国にも魔術師を育成する
『
内心「やはり」と思いながらも、リリアルの内偵をすることを任務として与えられているのだろうと彼女も察する。
「そうですか。大したお持て成しは出来ませんが……ねぇ」
「折角だから、騎士学校も見学していただいてはいかがかしら?」
彼女が同意するつもりで、伯姪に話を促すと、伯姪はナイスアシストを発揮する。騎士学校を見せる事で、潜在的な王国の力を見せる事ができるだろう。
人口は三倍、その三倍の人口を背景に、大陸軍を編成するための士官を養成する騎士学校。本来の騎士を育てるのではなく、軍の中核を担う『騎士』を育成する組織なのだ。
今期は、王立騎士団・リリアルからも騎士候補が入学している。タイミングがよければ、ジジマッチョや王太子殿下も顔を合わせることになるだろう。
「それはいい考えだね、ニース卿。それでは、私は王都大学に案内しよう。王国の官吏の多くは、王国の貴族の子弟であり、大学で神学・法学を学び王の臣下となる者が多い。たしか、連合王国にも……」
「良くご存知ですね殿下。『ソードブリッジ』と『オルクスフォード』などが有名でしょうか。王都大学と同じくらいの歴史がある大学ですが、研究施設の割合も多いのが特徴でしょうか。必ずしも、神学・法学だけでなく、錬金術・医術も研究対象です」
それは『賢者学院』も同様だろう。もしかすると、賢者学院と『ソード・オルクス』の研究者は教員として入れ替わりながら活動しているのかもしれない。
大学の研究者が『賢者学校』で講師を務めるなどというのはありえる話だ。騎士学校においても、彼女の姉やジジマッチョ、恐らく今期は彼女が講師として呼ばれることになるだろう。
そして、連合王国からの帰国後も同様である。
まずは、この目の前の男とある程度情報交換できる程度の繋がりを形成する必要がある。
「もしよろしければ、私たちがあなたの国を訪問する際に、『賢者学院』や『大学』を見学させていただけますでしょうか?」
「ええ、もちろんです。お互い良く知る事が、諍いを失くす事に繋がりますから。それに、我が国は神国とも仲良くしております。王国とも今まで以上に友好な関係を築ければ、三国にとって安定した外交関係となるでしょう」
王が変われば宗教政策も替わる連合王国の王に、どの程度の求心性があるかは不明であるが、ネデルや帝国の原神子教徒が連合王国と深く繋がる事で、王国の立場も変化することになりかねない。女王の人となり、国内の状況を把握するために、怪しげな水先案内人でも雇わねばならないのだろう。
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