第457話-2 彼女は父と娘の再会に立ち会う
先遣隊が野営地跡に到着してしばらく後、比較的秩序だった三千ほどのオラン公直衛軍が到着する。野営地に残っている資材を使用し、速やかに幕営地が整理されていく。疲労は積み重なっているだろうが、先に彼女が訪問した際に見かけた無秩序な傭兵達とは一線を画している。
「少し落ち着いたころに話をしに行こうと思うの。同行をお願いするわ」
彼女は『ゼン』に伝える。この中で貴族の身分を持つ存在は、彼女と『ゼン』のみである。赤目銀髪は……未成年であるので「人質」の騎士としては不適切だろう。
「私は騎士らしい風体にした方がよろしいですよね」
「その方が帯剣も許されるでしょうから。騎士らしさは大切だと思うわ」
オラン公がリジェに入場する際、王国・レンヌの親衛騎士である『ゼン』を安全を保障するために彼女が人質としてオラン公軍の幕営に留め置く。
交渉の際には良くある保証である。
「形だけよ。たぶん」
「……良い経験になります。これも公太子殿下に良い土産話になります」
爽やかに笑う。
西門から密かに彼女と『ゼン』は馬で出発し、オラン公の野営地へ入る。負傷者も少なく、騎士の平服姿である二人を認めるが特に誰何されることもなく、奥へと進む。
「リジェの代理人としてオラン公にお目通り願いたいのですが。閣下はどちらに?」
見知った側近の騎士に声をかけ、幕舎へと連れられる。
幕舎の中は騒然としているが、先般よりは落ち着いているように見て取れる。ネデル総督府軍との会敵が終了し、追撃の心配も今はない。リジェ司教領に兵を差し向けるには、事前に断る必要があるからだ。
総督府は、ここで多少時間を掛け派兵する事で、リジェに対する優位性を確保したいのだと考えられる。辞を低くして頼まれたので来てやったという状況を作りたいのだろう。
リジェはネデルの一部ではあるが、神国領ではなく独立した君主が統治する領地であり、リジェの街は帝国自由都市である。故に、自分の領地のように軍を派遣することはできない。領邦制の面倒な所だ。
「そろそろ来ると思っていた。手応え有りだろうか?」
疲労の色は濃いものの、来着の意図は推し量れる程度に落ち着いているオラン公。
「非公式ではありますが、司教猊下、参事会幹部が会談に応じます。立会は、私と私の姉であるニース商会会頭夫人、そして、ダンボア卿となります。この騎士を人質としてこちらの幕営に留め置くことになります」
彼女は『ゼン』を正式な身分で改めて紹介する。
「……レンヌ大公の親衛騎士団長の子息にして、公太子の側近。子爵家の嫡子殿か。申し分ない方だな」
「恐縮です閣下」
陪臣ではあるものの、レンヌ大公家所縁の者ということは、何かあれば王国の面子を潰す事になる。彼女が不幸な事故に見舞われる事よりも、事態は悪くなるだろう。王女殿下の輿入れ先ということは、帝国・神国においても周知の事実である。王国の王女殿下の嫁ぎ先は相当に注目されていたからだ。
「予定はどうなる」
「リジェ司教宮殿での会食となります。その後、宮殿にお泊りいただき、疲れを癒していただけるかと思います。それに、会食には公女殿下も同席されます」
つまり、最初の段階では顔見世と信頼関係の構築の為に会食をし、公女の保護に力添えしたこともアピールしたいという事だろう。細かい話は、その時の感触で、改めて食後に会談に繋げるという事になるだろうか。
「どの辺りが妥協点になるか、推測はつくだろうか?」
彼女は外交の専門ではない。恐らく、姉の方が妥当な所見を述べるだろうが、彼女なりの見解であると断り、述べる事にする。
「帝国では、原神子派と御神子派の貴族・皇帝が戦争をし、現在は和約が結ばれております」
『聖霊和約』と呼ばれる取決めが、十年ほど前の帝国議会にて結ばれている。主な内容は、『帝国内に二派の両方の信教を認める』とするものだ。但し、原神子派分派の少数派は異端認定されている。討伐軍も双方の信徒軍が連合軍として編成された。
また、『領邦内における宗派は、その領主の信ずる宗派を認めるものとする』ということになっている。リジェであれば、リジェ司教領の街や村では当然御神子派のみが認められる。これは、教皇庁が『原神子派の司教を認めない』と決定している為であり、司教が改宗した時点で司教ではなくなるからだ。
そして、例外として『帝国都市においては双方の宗派を認めるものとする』とされた。つまり、リジェの街の中においては御神子でも原神子でも構わないということである。
「信教の面で互いに干渉しないという点で歩み寄れるのなら、教皇に原神子派を異端認定する総督府との立場の違いをもって、関係が築けると考えます」
「……なるほど……まずは交渉の余地を認めさせ、それは帝国基準では問題ないと互いに確認する前提だな」
帝国において小康状態を保てているのは、この和約があるからである。というよりも、メイン川以東の領邦君主はほぼ原神子派であり、皇帝と一部南部の領主だけが御神子派なのである。和約を結ばねば、皇帝と言えども危機的な状況であったのだ。
ネデルの締め付けが厳しいのは、帝国本体では異端審問する余地がないための行為ではないかと彼女は考えている。ようは、鞘当てである。
側近たちに『ゼン』の扱いを指示し、また、明日の正午の鐘までに彼女が責任をもって幕営に送り届けるという約束を交わしたうえで、オラン公を帯同し再びリジェに戻る事にした。
轡を並べゆっくりと北門へ足を向ける彼女とオラン公。
「娘が世話になった」
「私より姉ですわ。それに、公女殿下はとても辛抱強くかつ聡明な方でしたので、それほど困難ではなかったと聞いております」
公女マリアはとても良い気質の子である。公爵とは言え領民に支持されなければ立場を失うネデル貴族故の立ち居振る舞いが身についているからだろう。
「男爵が保証して、万が一があったら大変だな」
嫌なフラグを立てて欲しくないと思いつつ、彼女は自身の見解を述べる。
「司教猊下にはそのような考えはないでしょう。むしろ、ネデルの原神子派と話し合う場を設け、教会の立場と面目を保つ事ができるとなれば、教皇庁からも重んぜられるでしょう」
問題は参事会員である。原神子派が多数であり、金は払わないが口は出したいような連中だ。
「閣下の存在のお陰で、ネデルにおいても帝国都市内の原神子派の権利が保証されることになるでしょうから、市の幹部たちには相応の見返りなり、協力なりを要求すべきだと思います」
「まあ、今は食料の提供くらいで十分だ。国外に出て活動する際の……」
窓口・手足・耳になってもらえるのが一番である。原神子派優位のネデルを作ることができるのは、今回の遠征で『オラン公しかいない』と認知されただろう。
国内に残った原神子派貴族は、疑心暗鬼の総督府からすれば言いがかりでも何でも付けて処分したいと考える事は容易に予想できる。政敵でありライバルでもある原神子派貴族が総督府により一掃されれば、さらにオラン公の原神子派信徒からの信望は高まる。
時間を掛けて総督府を削り、国内に味方を扶植する事が公の今の政策なのだ。
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北門をくぐると、そこには見知った顔が並んでいた。
「お父様、よくぞご無事で……」
「久しいなマリア。お前も無事で何よりだ。アイネ殿、娘が大変世話になった」
下馬をし娘と抱擁を交わしたのち、オラン公は彼女の姉に礼を述べた。
「大したことはしておりませんわ閣下。一人、ロックシェルに潜伏した公女様の勇気こそ、褒められ賞賛されるべきですわ」
「それはそれだ。ニースとは宗派こそ違えど、商売ではよい関係が結べるように力を尽くそう。勿論、王国ともだがな」
今は流浪の身とはいえ、時が来れば君主としてネデルに戻ることは確実なのである。思えば、王国においても『救国の聖女』が導いたとされる王太子は流浪の身であり、王都から離れた場所で生活していたではないか。
勝ちにつながる負けであれば、何度負けようともそれは負けではない。商売というのは時に損をしてでも最後の利益につなげるものなのだと、オラン公も姉も考えているのだろう。
貴族王族というのは、どうしても目先の勝ち負けを大切にしなければ、求心力を失ってしまう事がある。オラン公は、最初から勝てない戦争を仕掛けたが、求心力を失う敗北ではなかった。それで十分なのである。
密やかに司教宮殿へと進む一行。そして、先ずは司教と参事会の代表との顔合わせ。その前に、戦塵を落とさねばならないだろうか。
宮殿の使用人はオラン公の客室に案内すると、当然のように湯の用意をし、入浴を勧めてきた。同行するルイダンと共に入浴を済ませる。ルイダンは護衛兼従者のような役回りを担っている。特に彼女との会話はないが、視線が恨みがましい。
『王族のそばに侍っていれば、一昔前の騎士なら、半年一年野営なんてざらだったものだがな』
『魔剣』のいう一昔というのは、バルディア戦役の頃であろうか、それとも百年戦争のことであろうか。
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