第437話-1 彼女は姉と合流して夜を迎える
彼女は連れを「聖エゼル海軍提督の妻であり、実の姉」と紹介した。侍従らしき司祭は一先ず司教猊下にお伺いを立てに向かう事になり、彼女と同等の客間が誂えられることになった。連れの二人は客間に連なる使用人用の寝室を使うことになるという。身分的には、公女マリアが主寝室を使うべきなのだが……
「ま、仕方ないね」
「……失礼極まりないけれど、素性が知られるのは困るもの」
オラン公の娘がリジェに滞在中と知られれば、司教猊下はともかく、街の住人が騒ぎ出し、最悪危害を加えかねない。実際、オラン公の軍に連なる傭兵達に街や村を襲われ避難してきた司教領の住人も滞在しているのだ。
司教猊下は、彼女の姉からロックシェルからここまでの情報を得たいとのことで、彼女と姉との会食を希望していた。
「マリアちゃんを差し置いて司教様と会食か……」
「お気になさらずに。それに、子供が会話に参加することは出来ませんわ」
身分としては公爵令嬢であるが、公女マリアは未成年である。流石に、司教領の君主であるリジェ司教との会食は親同伴でなければ気が引けるということもある。
「それでは、行きましょうか」
「コース料理楽しみだね。王国が懐かしいよ」
ミカエル山修道院でもそうであったが、修道院の夕食はとても豪華である。肉と魚、野菜と果物、ワインは必ず付く。まして、司教猊下の夕食であるから、選び抜かれた素材と、リジェで一二を争う料理人が携わっているはずである。
とは言え、王都には王宮や公爵家で料理人をしていたシェフが引退後、自分で店を持つという形の料理店も少なくない。姉が贔屓にしている商会の資本の入ったホテル兼レストランなどは、その手合いであるから、そういったものに口が慣れているということでもある。
「面白い料理が出れば、王都の土産話に追加だね」
「ネデル料理というのは帝国とは相当違うのかしらね」
「この辺りは、古くは王国の勢力圏だからね。言葉も王国語の方言だから、あんまり帝国っぽくないんじゃないかな」
確かに、ランドルは元はランドル辺境伯領であり子爵家のご先祖様はランドルの庶子の姫であったと聞いている。
「その辺りから、多少、話ができればいいんだけどね」
「司教猊下は姉さんを男にしたような性格で、見た目は先の辺境伯様をお若くしたような感じなのだけれど」
「それは『げぇ』だね!!」
本人も自分の性格に関しては扱いにくいと理解できているようである。
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リジェに限らず南ネデルの料理は王国風がベースなのだが、地域の食材を用いている特徴がある。
「ムール貝がやっぱり出るのね」
「……美味しいから良いのでは?」
「ネデルではムール貝は良く獲れて、馴染みの食材なのだ。料理の種類も豊富だから、敢えて出したのだが……」
「とてもおいしいです」
「海の味。まあ、カキには負けるけれど」
「……美味しいです」
姉は最近、内海料理の海産物を良く食べるので、王国の外海の海産物を用いたおおざっぱな料理が苦手なのだ。いうなれば、内海の海の幸を用いた料理は、古の帝国時代の風雅な料理がルーツにあるからだ。
王国の料理も、法国遠征時に連れてこられた法国人料理人が今の主流の料理を提供し始めたきっかけであり、法国の料理自体が古帝国時代の料理を復刻させたものが多数含まれている。
特に、海産物を使った料理では多い。
「けれど、この牛肉のエール煮込みは絶品でしょう?」
王国ではワインを使う煮込みだが、ネデルは麦を使ったエールで牛肉を煮込む。柔らかく、臭みも取れとてもおいしく感じる。
「一緒に煮込んだキノコに味が染みて二度おいしいね」
「はは、この辺りは牛肉もキノコもエールも名物だからな。名物詰め合わせ料理だ」
「これは……面白いかも……」
姉の頭の中には「カルボナード」とこの牛肉のエール煮込みが書き込まれた。
「ジビエをだしたかったんだが」
「包囲中ですから難しいですね。家禽ではジビエとは呼べませんし」
「そうだ。それで、アイネ殿、外の様子を教えてもらえるだろうか」
一通り食事が終わり、会話の時間となる。席を改めることなく、ダイニングで話は続く。
「ロックシェルは相変わらず。総督は二万の兵をマストリカの直ぐ西に展開してオラン公の軍を待ち構えていたんだけれど、オラン公は渡河できなかったみたい」
ムーズ川の東側を遡上してきたオラン公軍は『ウィルハイム』に本営を置き、マストリカを包囲するつもりであったが、できなかったという。
そこで、軍を二つに分け、マストリカの下流に迂回して渡河する部隊と、リジェを包囲する部隊に分けたのだという。主力は渡河部隊であり、リジェに来る部隊は後発・寄せ集めの諸侯軍が主力で指揮官もはっきりしていないという。
名目上、ナッツ伯弟である『ルイ』が参加しているが、率いる部隊も小規模であり、また、北部での敗戦で名を落としたこともあり指導的ではないという。
「では、三万の包囲ではないと」
「一万くらいじゃないのかなという話。ようは、ネデル総督バレス公フェルナンと対峙するのに足手纏いの部隊を切り離す名目にしたのではという事だね」
バレス公は歴戦の将軍、率いる部隊も子飼いのものが多い神国兵の精兵。数が多くとも、寄せ集めの傭兵等味方にとって阻害要因にしかならないとオラン公は考え、一見楽で金になりそうなリジェの攻略に、ムーズ諸侯軍と共に向かわせたのだというのが周囲の見解だと姉は説明する。
「一体誰に聞いたのかしら?」
「ん、酒場で仲良くなった神国軍の士官の皆さんだよ。ほら、貴族の若い女とか神国士官を蛇蝎の如く嫌っているのがネデルだから。優しくされたり、相手にされると何でも話してくれちゃうんだよね。やー 美人って得だよね」
自分で言っていれば世話がない。司教猊下も「なるほど」と言いながら渋い顔つきをしている。同族嫌悪だろうか。
「そんな感じで、ニース商会もリジェに支店を持とうかと思ってるんだけど、猊下はお味方していただけるかな?」
「……教皇庁の覚えめでたいニース辺境伯と聖エゼル海軍提督の御身内をリジェに招くことができるのであれば、ありがたく思うが。参事会がな……」
「え、それこそ大丈夫でしょう。わ・た・し、リリアル男爵の実の姉だもの。リジェの支店に何かあれば、私も妹ちゃんも黙っていないってことだよね」
「……勝手に巻き込まないでと言いたいところだけれど、リジェ司教領と王国は安全保障の面で協力できる関係を築くべきではと思います」
ほう、と司教は関心を持つ。いや、ようやく本題かといったところだろうか。
「王国の考えかね」
「提案し、交渉する余地があるということです。そもそも、ミアンにアンデッドを送りつけた存在は、東にしかありえませんから」
ミアンに現れた一万を超えるアンデッドは、帝国もしくは神国領ネデルからの工作であると考えるのが妥当だろう。百なら偶然だったかもしれないが、その百倍の一万を超えるアンデッドが自然発生しているとは思えない。尚且つ、ネデルでは問題を起さずミアンに殺到したのだから、工作であると判断するのが当然だろう。
「デンヌを抜ければ西側にはアンゲラがあります」
「王国の防衛拠点か」
「アンゲラからリジェはロックシェルほどではありませんが至近の距離です。神国が何か起こすなら、リジェにいち早く伝わりますでしょう?」
リジェが攻められるならアンゲラから応援を出す余地がある。魔導騎士ならあっという間に到達する。また、神国が王国に侵攻するのであれば、武器の発注などリジェに多くなされるだろう。火薬の製造もだ。その辺り、ニース商会経由で情報共有できれば、王国と司教領は平和を守り共存できると思われる。
両国とも穏健な御神子派であり、原神子派や急進的御神子原理主義の神国とは一線を画している。
「参事会にはそれとなく打診しておく。ニース商会の『誘致』と王国との関係改善……といったところが表向きの姿勢になるか」
はっきりと結びつけば、ネデル総督府が踏み絵を踏ませることだろう。ニース商会経由の民間を通じた交流を表にする事で、総督府の干渉を避けることができるだろうとこの場の三人は納得する。
「内海の物資が直接仕入れられるのは悪くないじゃない?」
「商人同盟ギルドの勢力が弱まり、ネデルの商業の中心もランドルから北ネデルに移動しつつある。リジェもいつまで独立が保てるか不安ではあるから、安全保障の繋がりは理解されるだろう」
原神子派のオラン公を中心とした勢力とも、御神子原理主義の総督府とも距離を取りたいリジェ司教領としては、王国の後ろ盾は悪い判断ではない。むしろ、王国と歩調を揃える事で、二つの勢力から同様に距離を取り友好的関係を維持できると考えられる。
「この戦争が終わったら、リジェに支店を置くんだ……」
姉の聞えよがしのセリフに、司教と彼女は『フラグ立ててるぞ』と内心思うのである。
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