第432話-1 彼女は捕虜をオラン公に引き渡す

 天幕内には見知った顔が少なくない。オラン公とその側近、そして観戦武官として同行しているルイ・ダンボア卿である。


 彼女が斥候隊長の引き渡しを行い、オリヴィと姉の手紙から得たロックシェルの混乱状態を伝える。


「なるほど。だが、総督府はそこまで混乱していなさそうだな」

「そうですね。市民の混乱とは隔絶しているようです。神国でも異端審問が日常化しているので、感覚が麻痺している。もしくは、住民との意識が乖離していることが気にならないのでしょう」


 元々、『ネデル植民地』なのである。本国以上に扱いが悪くても気にならない。新大陸では原住民を全て奴隷としているとも聞く。ネデルの住民からすれば、それまで共存共栄でやってきた封建領主がいつの間にか皇帝家にとって変わられ、その孫とはいえ他国の王が総督を派遣し、外国人によって強権的に支配されているというのは何一つ納得できないであろう。


 まして、自らの信仰を否定され、異端審問にかけられると本人は処刑、家財没収となる。


「私達の遠征で、それが間違っている・おかしいと声をあげられる余地が増えればよいのだが」

「逆にさらに締め付けが強まるかも知れません」

「……マリアが心配だな……」


 姉の手紙に有った内容を伝えたいのだが、公にするわけにもいかない。


「私の姉もロックシェルに滞在しているのですが、近々知人の女性と共に王国に引き上げると伝えてきました」

「……そうか……」

「ミアンに暫く滞在するので、遠征の後に向かうつもりです」

「男爵の姉君は、たしか、ニース辺境伯の身内になったのだな」


 聖エゼル海軍の司令官が三男坊の表向きの肩書だ。オラン公は、その辺り情報として耳に入れているのかもしれないと彼女は考えた。


「ニース商会を預かっております。その関係で、帝国や法国、ネデルにも足を運ぶことが多いようです」

「なるほど。王国人でありながら、さながら一人商人同盟ギルドのようであるな」


『一人商人同盟ギルド』……姉を表すのにはぴったりの表現かもしれない。帝国騎士団が東方へ殖民を行っていた時代、商人同盟ギルドはその後ろ盾となって多くの富を共有し、帝国とその周辺に大いに威を張る存在であった。それも、今は昔の話となりつつある。


 それは、ネデル商人と神国の新大陸経営の影響と、東方殖民地が大原国との戦争に敗れ、多くの領地を失った事の影響があると言える。市場を失った商人同盟ギルドは、中小の都市が離脱しそれぞれの地域の君主の庇護下に入り、帝国自由都市として経済的に独立したルベックなどのいくつかの都市が独立を維持するだけとなっている。


 ネデルの商人が食い込む余地があるというのであれば、ニース商会も食い込む余地がある。王国は独立した市場であり、ネデルの商人の影響を受けにくい。とは言え、以前は法国製の高級品が、今はネデル経由で入手される薄手の毛織物などが王国内でも人気となっている。この辺り、商会レベルでは対応が難しい。


 原神子教徒の多くは新しい事に取り組む気概を持つ商工人が少なくない。薄手の織物、新しい染色、新大陸からもたらされた新しい食品、商業の世界においてネデルは世界の先端であり中心なのである。


 それが、総督府の強権支配のもとで滞り、揺らぎつつあると言えるだろうか。


「公女マリアをよろしく頼む」

「……畏まりました閣下」


 長男ヴィルが総督府によりネデル内の学校から神国へと移送されたという話は既にオラン公に伝わっている。救出は間に合わなかった。


 長女であるマリアは刺客を放たれ身を隠す事になったのだが、王国で保護するに至っていない。姉に任せて万が一面白い……危険なことにはならないと思うのだが、それは彼女自身が一番信用できていない。


 何か、可笑しな仕掛けをしていなければ良いのだが……


 斥候隊長は別途騎士に連行され、改めて取調べを受ける事になるようで、幕営から連れられて行った。


「男爵……リ・アトリエはこのあとどう行動するのか?」


 オラン公は、今後の行軍計画を簡単に説明する。


「包囲をするのであれば、その周辺に待機し魔物や斥候を狩ります。但し、野戦になるようでしたら今回は退避いたします」

「それは妥当だな。こちらも野戦をするつもりは毛頭ない。寄せ集めの軍では神国の精兵に嬲り殺されるだけだからな」


 オラン公も無理な野戦をせず、ネデルにおけるプレゼンス確立のためにパフォーマンスをするだけのようである。


「資金供与……ようは脅されて供出したという形にする為に兵を集めたというのもある。向こうも安易に資金を差し出せば、異端審問行になりかねないから、協力を得るのも難しいのだよ」


 彼女は改めてその理由に納得する。


「故に、余り早急に軍を進めるのも本末転倒だ。大軍で周囲を威圧するように行軍するが野戦を避けゆるりと包囲し、安全に西に脱出できれば遠征は終了となる」

「王国内では、武装解除をお願いすることになりますが」


 流石に二万五千の完全武装の兵士を王国内に黙って引き入れることは出来ない。


「『アンゲラ』に向かう。あの周辺は大きな都市もなく、大軍を野営させるスペースも確保できる。そのまま聖都を経由してトラスブルまで移動すれば帝国内で軍を解散することができる。トラスブルが次の活動拠点となる」


 トラスブルは原神子派の重要拠点であり帝国自由都市としても最大級の経済的規模を有する。特に、出版関係や機械細工・工房が充実している。オリヴィの第二の故郷とも聞いていた。


「既に王国へはエンリを通して内々に伝えてある。恐らく、王弟殿下が立ち合い人としてアンゲラに来られるはずだ」

「「王弟殿下……」」


 ルイダンと彼女の声が思わず重なる。王弟殿下は爵位を得てアンゲラに在住する可能性もあるのかもしれない。王都総監の次のポストは『公爵』かはたまた『総督』などであろうか。


 連合王国との玄関口である『カ・レ』にもほど近いとも言える。連合王国は経済的にネデルと関係が深く、また、原神子派の国でもある。王国への工作が頓挫し、ネデルとその周辺であるランドル・王国北東部へ干渉する可能性も考えられる。


 王国の婚約者候補である王弟殿下のお膝元で騒ぎを起こす事を女王陛下は躊躇するかもしれない。その可能性だけでも王弟殿下が駐留することには意味がある。


 南都に王太子、西部のレンヌに王女、北東部に王弟がいるという状態は、王国の安定にとって良い影響があるだろう。


 また、南西部のギュイエと保護国扱いである南東部のサボアが婚姻を結ぶことも内外に効果があるだろう。ついでに、ニースと姉の伯爵領(予定)もそれに寄与する。


「一先ず、遠征が終わるまでよろしく頼むとするよ男爵」

「冒険者として魔物討伐の依頼を受けるだけです閣下。それと……」


 北部遠征で出くわした『魔鰐』と魔物使いの件の注意喚起を再度行う。


「川沿いに野営するのを避け、不可避の場合は本営を川から離れた場所に設置し警戒を厳にする……か」

「南都に現れた竜『タラスクス』には劣りますが、それに近い能力です。魔力を持つ騎士複数人による討伐、魔銀製の武器で魔力によるダメージが必要かと思います」


 彼女は次いで「背中の骨板は銃弾を弾くほどの強度があります」と付け加える。オラン公だけでなく、幕舎内の全員が息をのむのが分かった。


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