第334話-2 彼女はエッセに向かう
その日の午後遅く、彼女たちはエッセに到着した。エッセは、貴族の子女を主に生活させる女子修道院の門前町が大きくなったもので、都市としてはこじんまりとしており、尚且つ排他的でもある。
「相変わらずスカした街なのよね」
「貴族の子女とその従者が多くを占めるのですから、そんなものではないかしら」
彼女の祖母が贔屓にしている工房はそうでもないが、一般に貴族相手に商売をしている商人は自分も貴族にでもなったかのように振舞うので、あまりつき合いたいと思うような人たちではないことが多い。
近衛騎士と騎士の違いのようなもので、ある意味楽な商売をしている故に、商人としては怠惰な部類で得るものが少なくもある。既得権を守る事に汲々としていると言えばいいだろうか。
「この街に滞在しないのはその辺りもあるのでしょう?」
「まあね。高い不味い感じ悪いの三拍子だからね。鍛冶師以外に用事が無い街なのよね」
「ヴィーはここに泊まるくらいなら、野営の方がいいといつも言いますからね」
実際は、隣の街の宿等を利用するのだという。トレモニアは以前は気安い街であったが、戦争続きで徐々に荒んだ感じがし始めているとも言う。
「帝国全体が疲弊しているんだと思うわ」
「メインツは良い状況という事ですね」
帝国第一の司教座都市が戦火に巻き込まれるというのも考えにくいが、その他の都市は、二つの宗派の勢力争いが続き、街の空気がギスギスしている所も少なくないという。
『鉄脚工房』のダインを訪問する。オリヴィの馴染みの土夫の鍛冶師。彼女と同行するオリヴィ達を見て、令嬢と従者と護衛の冒険者と判断した門番たちは、訪問目的を聞き愛想よく挨拶をする。
「どのような目的で訪問ですかお嬢様」
「土夫の鍛冶師に依頼があるのですわ」
「そうですか。この街の鍛冶師は腕が良い。必ずやあなたの期待に応えるでしょう」
「そうであることを願っております。お勤めご苦労様です」
オリヴィが苦々しそうな顔をし、それを見てビルはとても愉快そうである。
「どうしたんだお前ら……でございますお客様」
「いや、ヴィーが珍しく拗ねているので、面白くなったのです」
「いや、だって、いつもは『何しに来た』みたいな態度なのに、何で今回は感じがいいの。納得いかないじゃない!!」
彼女が貴族の子女らしく見えたので、条件反射で丁寧に対応しただけなのだろうが、オリヴィは面白くない。そんなこと言われても、貴族の令嬢である彼女が悪いわけではないのだから仕方ないのだ。
『鉄脚工房』は、鉄腕に対抗しているのかは知らないが、ギミック有の物を作るのは割と得意な工房だという。
「ダイン、いるかしら」
「お、若作りじゃねぇか!」
「ウッサイわね、焼き鏝当てるわよ!!」
気安いを通り越して失礼な挨拶で返されるが、土夫はこんなものなのだと
彼女は思う事にした。
「この前のソケット、一先ず同じものを十二個ね」
「おお、毎度あり。まあなんだ、面白いな。最近は、戦争戦争で作りやすくで扱いやすい武器が良く売れる。ネデルでまたドンパチあるんだろ?」
「そうね。それとは別に、こんな感じの跳ね扉を作りたいんだけれど。素材は……アリサ、出してちょうだい」
扉一枚分の聖別された鉄塊。ダインの目が大きく見開かれる。
「お前、これって……」
「そうそう。聖別された鉄? ちょっと必要なのよね」
「……また吸血鬼……追いかけてるのか」
「失礼ね、今回は無断で家に来るから、追い返す為の扉よ」
「まあ、素材が特殊だけど、鉄の扉なら時間はかからない。格子戸でいいのか」
「それで願いするわ。いいわよねアリサ!」
オリヴィと土夫の掛け合いに割って入るタイミングが無かったため、話を聞きながら様子を伺っていた彼女に、オリヴィが急に声をかけ少々たじろぐ。
「なんだ、偉い別嬪さんだな。お前の妹か」
「まさか、いないわよ姉妹も家族も。彼女はアリサ、いま、仕事でつき合いがある商会のお嬢さん。ちょっとした防犯対策よ。ねぇアリサ」
「よろしくお願いします」
令嬢然とした物言いと仕草に、少々たじろぐ土夫の鍛冶師。急に畏まった可と思うと、おもむろに彼女に応える。
「お、おう。まあ、吸血鬼が狙いたくなるようなお嬢さんだというのは分かる。任せとけ、特急で作ってやる。明日の夕方には取りに来て構わない」
あまりの速さに驚くオリビィとビル。
「あ、ちょっと、いつもと全然違わない?」
「そうだな。まあ、相手を見ているところはある。一刻も早く防犯扉に変える方が良いだろうからな。ソケットはメインツに送ってやるから、送り先を教えろ」
「……まあ納得いかないけど、個人的な事だからまあいいわ」
彼女が代金を支払い、送り先であるメインツの黄金の蛙亭を指定する。恐らく、まだ宿に滞在する事になるだろうからだ。
ベッドより早く完成するとは思っていなかったのだが、それはそれで有難い。
「武器って、かなりの需要なの?」
「今の所は大したことは無い。だが、一戦あれば損耗するだろう。一気に、
注文があるだろうと思って、売れる物は作り込んでいるぞ」
片手剣やハルバードは消耗するので、問題なく売れるのだという。マスケットも当然作り込んでいるだろが、この工房ではそれは対象ではないので別口だ。
「コロニアも暫くはそっちが優先だろうな。けど、あの街自体も騒がしいんだぜ」
「へぇ、どういう感じで」
コロニアの司教座の持つ教区180のうち40は原神子派の教区となっているというのである。
『コロニアの宗教改革』と呼ばれる一連の施策の影響である。これは、帝国の宗教政策で御神子も原神子も両方の宗派を尊重し合うという合意に基づくものであったのだが、教皇はこれに反対している。
つまり、大司教は皇帝の意を受けて原神子に対して寛容に接し、教区も与えているのだが、教皇とその姿勢を支持する多くの教区は大司教の姿勢に反対の意を示している。
大司教は教皇の元にあると同時に、帝国においては選帝侯を兼ね皇帝を擁立しその支持母体となる存在でもある。大司教は皇帝と教皇の姿勢が異なる為に、身動きが取れなくなりつつあった。
「まあ、そんな感じで、大司教猊下が身動き取れないから、下が勝手にそれぞれの主張をしているからよ。一触即発までは行かねぇが、きっかけ次第で騒乱になりそうなんだよな」
コロニアに寄るなら、その辺りの空気も確認するべきなのだろう。
デュッセル公国はメイン川流域でコロニア司教領の周辺域の公爵の治める領地であるが、コロニアが不安定になる事が自領の不安定化につながるとして、教区の教会を通じて大司教に働きかけをしているという。
残念ながら、オリヴィはこの公爵家との縁は無いらしい。
この騒乱の要因は、コロニア大司教領を『原神子派の公国』に変えようというムーブメントが底流にあるとも言われている。人口四万を数え、帝国内でも最大級の商業都市であるコロニアには、有力な原神子信者の都市貴族や有力者が存在し、ネデル領との取引も少なくない。
影響を受け、神国軍の弾圧が自分たちにも悪い影響を与えかねないと考えるならば、コロニアの原神子教徒が機先を制して自分たちの国を立ち上げようとする事は何らおかしくないだろう。
富裕層に原神子信者が多いという事は、その子女も当然原神子教徒であり、その婚姻の前提を「宗旨替え」に求めるとすれば、身分のある女性を娶る為に原神子派に宗旨替えする者が増えて行く事になるだろう。
「結婚に宗旨替えが必要ねぇ」
「同じ宗派にしなければ、同じ教会に属さなければ婚姻も届け出られないでしょうから、上手な搦手の作戦ではありますねヴィー」
生まれた時から何とはなしに通う御神子の穏健な信者が、結婚する為に原神子信者の相手に合わせて宗旨替えする事は容易に考えられる。その働きを面白く思わない御神子原理主義者も存在し、時間が経つごとに増える原神子信者に対する危機感が高まっているのだ。
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