第172話-1 彼女は吸血鬼を思い聖都に向かう

『帝国にはね、少し前に吸血鬼騒動があったんだね』


 いつもの古ぼけた騎士爵の館を訪れた彼女がポーションを差し出すと、『伯爵』は喜んで受け取ると、「そういえば」と話を始めた。


『帝国の東側に「森奥国」という地域というか、国がある……いやあったかな。今はサラセンとの係争地になってるから微妙だ』

「その地域で……吸血鬼騒動が?」


 その国の王族にも連なる高位貴族の家系のとある伯爵夫人が吸血鬼化したというのである。


『使用人からの密告で捕まったみたいなんだけどね。王族の血が入っているから処刑するわけにもいかないので地下牢に幽閉された……事になっている』


 地下牢というのは所謂、城塞の地下の基礎部分に作られた空洞であり、そこに籠城用の資材を保管したり、捕虜や犯罪者を押し込んだりする。あくまで空洞であり、居住空間ではない。降りるにはロープで懸架されて降ろされるため基本的に脱出不可能。日も差さず、水とパンだけの食事が日に一度といった

長く苦しめて殺すための処分である。処刑は表面上しないが、実質死罪に等しい待遇なのだという。


『でもね、吸血鬼、それも高位の吸血鬼であれば……脱出可能だと思わない?』

「変化……でしょうか。ネズミや霧、蝙蝠に姿を変えると言われていますね」

『正解。それにね、吸血鬼の能力は血を吸い殺した人間の魂の数に左右される。自ら吸血鬼となる為に、伯爵夫人エリザは……判明している数で六百人を殺している。多分、かなりの強力な吸血鬼だね』


 恐らく、生前に殺している人の数は『伯爵』の方が多いだろうが、戦争の一環であり、吸血鬼になる為の行為ではなかったはずである。


『やろうと思えばできたかもしれないけどね。そこまで情熱を注げなかったからかな』

「では、夫人は何か情熱的であったと?」

『女性ならわかるかな。永遠の若さだよ。彼女、若い頃からクール・ビューティーで有名だったみたいだね。自分が老いていくのを防ぐために小国の王妃ほどの規模の領地を持っていれば、若い女性を集めるなんて難しくない。お城の使用人として小作人の娘たちを募集して、皆餌食にしたおかげで、領地では若い女はほとんどいなくなる……なんて事になったらしい。噂にもなっているしね』


 勤めに出た娘たちがみな帰ってこなければ、それは噂になるだろう。


「では、聖都で活動している吸血鬼がその伯爵夫人であると」

『いいや、それは無いと思うよ。取引をして、ある程度帝国内で自由に暮らすだけの財を与える代わりに、自分の配下の吸血鬼を派遣しているんじゃないか……というのが、商会の情報網から上がってくる類推の答えだね』


 彼女のように最初から使用人と共に働く気のあるのは下位貴族の非嫡子であるからであり、小国の女王であり王族の血を引くような高貴な女性には自ら活動するという事はないのであろう。


『おそらく、軍人貴族系従属種が潜入しているんじゃないかな。騎士崩れでエリザ夫人同様、処刑を免れなかったような存在が配下にいる……とかだと思うよ。高貴な女性には、仕えるべき騎士が必要だからね。そういう倒錯した関係のある従属種の吸血鬼が実働部隊の指揮官だね。だから、手強いよ』


 元騎士の吸血鬼……油断をすれば即、死につながると彼女は気を引き締めるのである。


『で、男爵。そこの、小さいオッサンはなんだね』

「……歩人族の従者でセバスと申します。ご挨拶なさい」

「お目にかかれて光栄です伯爵様。リリアル男爵の従僕を務めておりますセバス・チャンと申します」


 伯爵はジロリと歩人を見ると「潜入する時は、名前は帝国風に変える方がいいよ」とアドバイスする。


『セバス・チャンは帝国風ならシュテ・ファンだね』

「王国風ならエティ・エンヌね。どちらが好ましいかしら?」

「……お嬢様……エティとお呼びください……」


 どちらも嫌そうであったが、彼は王国風を選んだ。因みに連合王国風ならスティー・ブンである。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 翌日、学院の仕事を祖母と伯姪に任せると、二人は一路聖都に向かい二輪馬車に乗るのである。着替えは最小限……それは『シスター』であるから当然なのである。庶民は下着以外取り換えることもなく、下着も数日は同じものを着用するのが当然なのだから余り持っていない。


「野宿ではないから、それほど汚れないので問題ないわね」

「……風呂無しですかお嬢様……」

「あら、歩人に入浴の習慣はないでしょう。あって水浴びよね」

「いや、普通に入るから。入らないのは土夫だから」

「帰ったら聞いてみましょか」

「嘘です、土夫は綺麗好きです。毎日お風呂に入ります!!」


 鍛冶を生業とする土夫族は湯を沸かす火に困ることはないのだから当然だろう。余計なことを言うと、老土夫と癖毛(土夫の血脈)から攻撃を受ける可能性が高い。口は禍の元である。


 彼女は馬車に揺られながら、『伯爵』から聞いた吸血鬼の特性について思い返していた。


『吸血鬼』となるには、吸血されるだけではなく、その直後に吸血鬼の血を体に入れる血液の交換が必要となる。吸われた側が純潔でなかった場合、グールと呼ばれるアンデッドとなる。レヴナントに近い存在だが知的なレベルはかなり低く、力もさほど強くない……アンデッドのゴブリンといったところだという。


 『始祖』『支配種』『従属種』『劣等種』という支配構造となっているのが吸血鬼のヒエラルキーであり、『始祖』が知られることはまずないという。


 仮想敵である伯爵夫人エリザは『支配種』と呼ばれる存在のようだが、彼女が『始祖』から吸血鬼にされて『支配種』となったのか、『従属種』から純潔な人間の魂を取り込んで『支配種』となったかは不明だという。


『伯爵様の話からすると成り上がりだろうな。じゃねぇと村娘何百人も殺さねぇだろう』

「ええ妥当ね。すると、やはり『従属種』が『劣等種』とグールを引き連れて活動している……というところかしら」


 『従属種』は『支配種』から吸血されるか、『劣等種』からの成り上がりかになる。恐らく、数十人『劣等種』が魂を吸い取れば、『従属種』になれるだろうというが、推測の域をでてはいない。


「吸血鬼は異性に対して魅了を発揮するのよね」

『ああ、だから、夫人は騎士の従属種を送り込み、そいつは女の劣等種を生み出した。その上で、沢山の魂を取り入れて『従属種』となった……で、男の劣等種が溢れているってところだろうな』


 劣等種は「ブラッド・サッカー」と呼ばれる吸血専門であり、従属する吸血鬼を作り出すことができず、グールのみ生み出す。


「時代を問わず、騎士に憧れる娘、若い娘に鼻の下を伸ばすオッサンには事欠かないわね。どう思うセバス」

「……おっしゃる通りでございますお嬢様」

「オッサンの心理のわかる従者でなければ、吸血鬼の捜索には不向きなの。学院生には無理だもの」

「お嬢様は騎士に憧れる乙女心はお判りでしょうか?」

「姉の演技を見て想像するくらいね。自分自身が騎士なのに、憧れるわけがないじゃない。貴族の娘は平民の娘より現実的に生きているものよ」


 想定されるのは、男爵もしくは、帝国では貴族ではなく戦士階級の騎士とその連れの若い女性で……男好きのするタイプの二人連れなのだろうが……


「シスターでは会えそうにないわね」

『夜の盛り場くらいしか考えつかねぇな。いや……別のルートもありだ』


 『魔剣』は何やら思いついたようである。


「若い女はどこ行ってもそれなりに活動できるから……検証してみる必要がありそうね」

『先ずは、周辺の村巡りだな。家から出てこなくなった奴がいれば、吸血鬼化しているかもしれねぇしな』


 調査の期間はそれほど長くとれるわけではなく精々数日だ。効率よく確認するためには、聖都内の施療院を回りおかしな存在の有無、奇妙な噂の収集。その後、聖都周辺の村や廃館を回り、可能性があれば盗賊団のアジトなども確認しておきたい。


 帝国の破壊工作が『吸血鬼』だけとは限らない。盗賊団、もしくは……その混合的な存在。吸血鬼の盗賊団は最悪だ。


『心配しなくても問題ないだろうな。その手の失敗は経験済みだろう』

「どういう意味かしら」


 『伯爵』がうっかり殺した破落戸をアンデッド化した結果、派手に王都で暴れ始めたことを『魔剣』は思い出させた。不死身の力を手に入れた途端、傭兵崩れが何をし始めるかは火を見るよりも明らかだ。村を襲い、人を楽しみの為に殺す。生身でも行うのだから、死ぬ心配がなければ暴走するだろうし、支配する上位種もそんな厄介な手下は不要だ。


「暴れまわらせるだけなら、グールで問題ないもの。吸血鬼を量産するなら、もう少し頭の回る存在が良いわよね」

『……聖職者とかか……』

「悪くないけれど、聖水とかで火傷しないかしらね?」


 想定外の事は起こるものだが、だからと言って何も考えずに迎えるほど彼女は状況を楽観視してはいないのだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る