第90話-1 彼女は街娼に話しかける
彼女はその街娼を見知っていた。まだ、彼女が薬師を目指していたころ、少し年上のように見えたその少女に、薬を何度か渡したことがある。彼女は元孤児で、住込みの仕事を紹介されたのだがそこはいわゆる私娼窟であったのだそうだ。
屋根のある場所に住めるとはいうものの、客の払う金のごく一部しかもらえず、そのうち嫌になって街で客を取ろうと店を抜け出した。とはいえ、見よう見まねで始めた街娼なのだが、当然店のようにはいかず、金を踏み倒されたり、暴力を振るわれることもあり正直上手くいっていなかった。
そんな中、体調を崩している様子を見て、彼女が声を掛けたのである。
「これ、売り物にならないけど効果はあるはずだから、飲んでみて」
「……いらない。毒なんじゃないの?」
そんな会話から話が始まった。彼女に「空腹だと薬が効かないから」と水とパンを差し入れし、一緒に並んで食べたりした。そして、彼女もいっしょに薬を飲んで見せた。
「いいの? 薬って高いでしょう」
「自分で薬草集めて作ったものなのよ。これは、薬師ギルドで買い取ってもらえなかったいわゆるB級品よ。ちょっと効果が弱いけど、効き目はあるから。今日は帰って休んだ方が良いのではないかしら」
「……帰るところ……ないから……」
いわゆる彼女はホームレスであったのだ。流石に彼女を屋敷に連れて行く訳にもいかず、知り合いらしい知り合いもいないので……また会う約束をして彼女は別れた。そして、何度かギルドの近くで見かけ薬を渡したのである。
――― 錬金術師になり、冒険者となってから会う事がなくなった娘であった。
『でも、あいつ、死んでるぞ……』
「ええ、心得ているわ。残念だけれど、その通りみたいね……」
彼女は街娼のレヴナントになっていた。
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「久しぶりね。体調はどうかしら?」
『……ああ、あんたか。ん、最近は調子いいよ、痛いところもないし、熱も出ないしね』
確実に死んでいるのだから、熱も痛みもないのは当然だろう。
「……あなた、少し……いえ、随分と変わったわね……」
『そうかな? いつもと同じ場所で同じように立ち、同じように……客をとるだけだけどさ』
以前と比べ、血色が悪い顔。そして、ところどころにシミのような血の滞ったような場所がみられる。鬱血しているようなあざだ。
『客を取れなきゃ、野宿するしかないからね。住むとこなんてないからさ』
「……そう。もう少し早く、出会えていたなら……」
彼女は街娼『だった』少女にそう話しかけて口を噤んだ。王都には、高級娼婦から彼女のような街角に立つものまで、自らを売る者たちは少なくない。そこで蓄えたお金で正業に就くものもいれば、途中で病に倒れたり身包み剥がれて殺されることもある。そのような女性を片端から助けるわけにもいかないからだ。
「一つ聞いていいかしら」
『なに?』
「あなた、いつから死んでいるの?」
レヴナントの中には、生前と変わらぬ生活を続ける者がおり、中には自分の葬式に参列する者がいたという逸話もある。彼女も、その一つに数えられるだろうか。自分のテリトリーに毎日のように欠かさず立ち、客を取り糊口をしのぐ。とはいえ、彼女は食事をすると言えばおそらくは、客の生気を吸い取ることになるのであろう、その肉体が朽ち果てるまで。
『し、死んでなんかいないわ。それに、客だってちゃんととれてるし……』
「いいえ。辛く悲しいことは忘れてしまいがちなのよ。自分の心臓の音、聞こえているかしら。確認してみてちょうだい」
ドクドクと脈打つ心臓の音が聞こえるだろうか。そして……
「あなたの体、ひどく冷たいと言われていない?」
『……い、言われてない。言われてなんかない!!!』
少女はプイと顔を背けると、彼女に背を向けて歩き出した。
旧知の少女が知らぬ間に事件の当事者に……レヴナントになっているとは思いもよらず、動揺する彼女に『魔剣』が問いかける。
『いつからレヴナントなんだろうな、あの子さ』
「さあ。少なくとも昨日今日ではないわね。事件が起こり始めた……その後しばらく経ってからなのでしょう」
彼女がまだ冒険者となる前にあった頃、街娼の少女に何度か薬をあげたことがある。遠慮して受け取ろうとしない自分と変わらぬ年齢の少女に、「上手くできなかったから、効かないかもしれないから」と誤魔化して、咳止めや熱さまし、痛み止めをあげたことがある。ひどく殴られたような跡があるときは、治療もした事がある。その時は、とても感謝されたことを思い出す。
『もう死んでるんだから、仕方ねえ』
「そうね……あとはちゃんと死なせてあげるくらいしかないわよね」
魂が死んだ体に残っているものを、神様の元へ送ってやらないといけないと、彼女は思うのである。
レヴナントは昼間でも生きている人間と同じように活動できるようで、恐らく街娼の少女も普通に生活しているのだろう。とはいえ、昼間から客を取る街娼は少ないだろうから、夜活動する商売として都合がいい。
吸血鬼の手下として活動しているとすればである。
『聞いた話だけどさ、処女童貞が吸血鬼に血を吸われた場合は、吸血鬼に成るみたいだけど、そうじゃねえ場合はレヴナントになるってことだな』
一説には、吸血鬼が自分で判断して吸血鬼にするかレヴナントにするかを選べるという話もある。実際に確かめてみなければ何とも言えないのだが。
「レヴナントの発生理由が不明であることもあるのよね」
『だな。死んだはずなのに、生き返ったかのように死人が生活し始めるって事件もあったようだが……それって、吸血鬼に殺されたの気が付かなかっただけなんじゃねえのかな』
そのレヴナントとなった者がどうなったのかについての逸話は残されている事がない。忽然と姿を消すのだろうか。居づらくなったのか、主に呼ばれたのか、少なくとも生き続けているということはなさそうだ。
「彼女をレヴナントにした主がいると仮定して、追跡しなければならないわね」
『主、私が後を付けましょう』
「お願いするわ。彼女もあなたも、寝ないで活動することが可能なのだろうから、そうしてもらえると助かるわ」
『猫』は街娼の少女の魔力を追尾することが可能なのだ。それに、『猫』も妖精とは言え不死の存在なのだから、噛み合わせは良いだろう。街娼のテリトリーに『猫』を残し、彼女は一旦、子爵家へと戻るのであった。
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