コンビニにて:第14話

自分探しの旅に出る人がいるらしい

自分が生きる意味を模索する人がいるらしい

私には生きる理由を探す理由が分からない

生まれてきたから今生きている

そしていずれ全ての人は必ず死ぬ

どんな人生を歩んでも、どんな境遇にいても、他人から羨ましがられるような生活をしていても世界中から可愛そうだと同情されるような死に方をしても

それを自分が幸福せと感じようが不幸だと悲観しようが人は必ず死ぬ

そこに意味を見出だそうとする必要なんてないと思う

ただ、受け入れれば良いだけの話だ


消灯後にベッドの中で物思いに耽け入りながら眠りに溶け込もうとする時間に、2・3日前までは羽音を聞いた

冷蔵庫の上の小皿に乗せたマーマレードを食べにキリギリスが静かな羽音を立てて部屋の中を飛んでいる音だ

キリギリスは冬眠をするのだろうか?

蟻とキリギリスのお話の中では反面教師の役だけど、本来キリギリスとは越冬をする生き物なのだろうか

私が部屋に上げたことで暖房の中での暮らしになり冬眠をするタイミングを失してしまったのかも知れない


生物なんてひょんなことで簡単に死んでしまう

気候変動とかで勝手に絶滅する種だって今までたくさんいた筈だ

人間だけが余計なことを考えて自らの命を絶つと云う奇怪な行動を取る

どっちにしろ人間は死ぬのにそれを早めたところで何の意味があるのか理解出来ない

人生なんて然して素晴らしい物でもなければそこまで悲惨な物でもないと思う

ただ、生まれたから生きている、そしていつか死ぬ

ただそれを受け入れれば良いだけで、そこに意味や意義を見出だす必要なんてない


昆虫が犬や猫みたいに人間に懐くなんて思ってもいなかった

名前を付けて呼んだところで返事や反応がある筈もない

特になんら努力をしなくても毎晩小皿に乗せられたマーマレードにありつけたのだからあのキリギリスはある意味で幸福せだったと思う

けど、私に捕らわれて私の部屋に閉じ込められていたと考えると、それは幸福せとは呼べないのかも知れない


あのキリギリスにどれだけの思考能力や意思があったかは計れないけど、私はあのキリギリスに自由意思で部屋を出ると云う選択肢も与えていた

この部屋は3階で、窓を開けても隣のビルの壁で塞がれているので泥棒が侵入してくる心配もない

仕事に出掛ける時は換気のためにも窓は開けていたし、夜もユニットバスの小さな窓は開いていた

キリギリスのサイズなら換気扇から出て行くことも出来ただろう


その部屋を出て行くと云う選択肢にあのキリギリスが気付かなかっただけかも知れないけど、私が思っていた以上にあのキリギリスは私の部屋に長いこと居候していた

あのキリギリスが部屋を出て行ったと決めつけるにはまだ早い

もしかしたら冷蔵庫の裏やベッドの下でキリギリスの死骸を発見することになるかも知れない

体内時計で本能的に冬眠をしなければと部屋の何処かで仮死状態になって、体内時計が春を告げるのを待っているのかも知れない

何れにしても、もう今日からはマーマレードを置かなくても良いだろう


くだらないことを考えていたら、初雪の所為で芯まで冷えた身体を温めるには充分過ぎる程に長湯をしてしまって、軽くのぼせてしまった

私は湯槽から上がりユニットバスのドアを開けて手だけを出して床に落ちている買い物袋を取った

タオルで手の平だけを拭いてビール袋の中に手を突っ込み、残り18本の煙草の入った箱から1本を摘まんで口に咥えた

覚えたての煙草に火を点けながら軽く煙を吸い込んで、教わった通りに口の端をちょっと開いて外の空気と口の中の煙とを混ぜるようにして肺の中に吸い込んだ

ゆっくりと息を吐くと白い煙がふわっと広がり、換気扇の方に流れて行った


2口目を吸おうと煙草を口に運び、何の気なしにユニットバスに据え付けられている鏡を覗き込んでみた

そこには濡れた髪で煙たそうに片眼を細めているオトナの女性の裸体が写っていた


確かに、捨てたモンじゃないかも私

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