花火


 重くなった心臓を捨てるために体育の授業をサボっていた。みんなが体育館にいる間、僕は教室の隅でひたすらペンを動かす。課題とか、趣味とか、そういうものではない。いわゆる精神統一というやつだ。


『貴方と一緒に罪悪感を抱え、海にでも行きたいが、その勇気は遠い昔に置いてきた』


『僕は明日、夜祭へ行くが、貴方はたぶん気づいてくれないだろうな』


『どうしたら貴方を振り向かすことが出来るか考えたら、自殺を思いついた』


『貴方と一緒に眺めることの出来ない花火なんて、騒音と変わりない』


『貴方はまだ、夜の暗さと火の温かさを知らないだろうな』


 こういった下らない妄想やら考えを書き綴ることで心臓を削ぎ落とすのだ。削ぎ落とせば当然痛む。白紙には削りカスが付いて汚い。


「やっぱり」


 教室の戸を開く音に続き、文香の声が聞こえる。


「体育サボって何してるの」


「……課題」


「先生怒ってるよ。ま、気が向いたら来てね」


 そう言って文香は去って行った。僕はペンを置き、深くため息をついた。また心臓が重くなったからだ。


***


「ねぇ、今日一緒に帰らない?」


 放課後、いつもなら一人で帰るのだが、文香が話しかけてきた。僕は動揺して口を半開きしたまま頷く。


 放課後の学校はとても騒がしい。しかし今日はそんなこともなく、穏やかであった。多分、隣に文香がいるからだ。それだけ自分にとって文香が大きな存在なのだろう。彼女にとって、僕も同じような存在であればいいが、そんなことはないだろう。


「今日の体育さ、幼馴染だからって理由であんたを探しに行ったんだからね? もう少し考えて行動しなさいよ」


「ごめん」


 一緒に帰るのはお説教のためだったのかと、同時に肩を落とした。


「それはまぁいいとしてさ。ちょっと相談があって――」


 並木道を包む蝉時雨と爽やかな風が程よくうるさくて聞こえなかった。いや、聞こえなかったのではない。理解したくなかった。


「え?」


「だから、あんた直人と仲良いでしょ。明日の祭りに連れて来てよ」


 文香の照れた表情には隠せていない感情があり、理由は明白であった。それなのに、僕は聞かずにはいられなかった。勘違いだとか、気のせいだとかがあるかもしれない。そうやって僕は自身の首に手を当ててしまった。


「どうして?」


「え、どうしてって……好き、だから。馬鹿なの? 鈍感なの? 察してよ! 恥っず」


 文香の顔は真っ赤に染まった。これが暑さのせいであればよかったのに。


「……わかった、呼ぶよ」


 それから文香と直人をくっ付ける作戦を考えさせられ、あとは大した話もできずに家まで歩いた。


 部屋に入り、体育の時間に書いた下らない言葉たちを取り出した。いつもなら夜中に庭で燃やすのだが、今日はクシャクシャにして窓から捨てた。文香が拾って読んでくれることを期待して。


***


「おいおい、二回も連続で体育休んだんだって?」


 直人は呆れた顔で前の席に座り、弁当を広げる。


「誰から聞いたんだよ」


 そう言いながら弁当箱へ手を伸ばす。彼とは別のクラスなので、そのことは知らないはずだ。


「文香から聞いた」


 その瞬間、首を噛まれた兎の気分になった。いや、別に直人が文香のこと好きかどうか分からないので、まだ負けていないはずだ。それなのに、僕は文香の笑う顔を想像したら、むしろ直人とは両想いになって欲しいと思ってしまった。


「……なるほどね」


 食欲が失せて弁当へ伸ばしていた手を止める。


「どうした?」


「いや、今日の祭り、一緒に行かない?」


「急にどうした。あんなに『一人で行きたい』とか言い張ってたくせに」


「気が変わっただけ」


「ふーん。恋人にフラれて一緒に行く人がいなくなった、とか?」


 痛いところを突かれた。直人にだけは言われたくなかった。自分の惨めさが際立ってペンを持つ気力さえもなくなってしまう。


「まさか。そもそも、彼女できたことないよ」


 傷を縫って、笑顔を作って、息を吸って、心臓を刷って。


***


 作戦通り、直人と一緒に祭りへ行き、文香との待ち合わせ場所で待った。すると、すぐに彼女はやってきた。


「あ、蒼真と直人!」


 手を振る彼女は花柄の白い浴衣を来ていた。髪もお団子にして、簪(かんざし)を刺して、大人っぽい雰囲気を帯びていた。


「お、偶然だね。もしかして一人?」


 僕が何か言う前に直人は口を開いた。


「友達もいるよ。でも、はぐれちゃって」


「じゃあ一緒に探すよ」


 僕は何も喋ることなく、作戦はスムーズに進んだ。


 人混みの中を三人で歩いているうちに、隙を見て僕はその場から離脱した。これで文香と直人を二人っきりにできた。そして僕は一人ぼっちになった。


 別に気にしてなんかいない。元々一人で来る予定だったのだから。人の流れる道から外れて屋台の裏の茂みに腰を下ろす。眼前を行き交う人々はみんな幸せそうに笑っていて、明るくて、その全てを妬み燃やしたいと思った。花火が隕石のように降り注ぎ、辺り一帯を火の海にしてくれればな。


 いくら屋台が並んでいても、やりたいことなんてない。射的も風船割りも瓶釣りも輪投げも。小さい頃は文香と一緒にそれら全てを遊び尽くした。その記憶が傷に染みる。


 雑草から伝わる湿った空気が僕には相応しい。そう言い聞かせて雑草を撫でる。


 ――電灯が消えていく。もうすぐ花火が打ち上がる。


 文香は今、直人と一緒にいるのだろうか。どのくらいの距離なのだろうか。触れているのだろうか。告白するつもりなのだろうか。どんな表情なのだろうか。どんな気持ちで、どんな震えで、どんな見え方で、どんな勢いで、どんな手で、どんな息使いで、どんなどんなどんな……。


 辺りは真っ暗になり、月明かりと所々から漏れるスマホの光だけが頼り。庭で言葉たちを燃やす時もこんな感じだ。そして、二時の方向から熱が飛び上がる。パッと開いた花火は綺麗で、でも温かさを感じなかった。ライターから漏れる熱は温かくて、むしろ熱いくらいであったのに。


 花火に手を伸ばすが、届くはずもなく。次々と散って行き、歓声を塗り潰す開花音も止んだ。


 小さい頃は、花火が終わったら文香と余韻に浸りながら線香花火をした。しかし、僕は線香花火がやりたかったわけではなく、文香と線香花火がしたかったのだ。


 僕は帰ったらさっさと言葉たちを燃やして寝ようと思った。

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