短編
塗木恵良
ナノハナ
ぼくは明日死ぬ。というのも、ぼくがナノハナだからだ。
ことり。ぼくの目の前に置かれたのは見慣れ過ぎた固形食(タブミール)で、ため息をつく。
「死刑囚だって最後の食事は選ばせてもらえるのに……」
「食べさせてもらえるだけ感謝しな」
いつもだったら食事を置くなり部屋から消えてしまうカンナおばさんは、今日に限っては残ってくれた。ぼくは張り切って文句をいう。
「これだって結局、浄化のためじゃないか。カンナおばさんだって食べてみればいいんだ、化学物質まみれのケミカル味ったら、ひどいもんだよ」
「そうかい」
「感謝してほしいのはこっちなんだからね」
ちょっと前に、戦争があった。”ちょっと”っていったってそれは人類の歴史上ですこしという意味であって、ぼくはまだ生まれていない、卵子や精子としてすら存在してないころだけど。
残念ながら、人間というのは賢くなったけれど愚かなままだったから、たくさん人を殺せる武器を作れたのにそれを正しく制御する理性を持ち合わせていなかった。トンカチを持つ人間には全てが釘に見えてしまうように、新しいおもちゃを手に入れた人間たちはそれを使わないことには気が済まなかったんだろうな。ラグナログだとかノストラダムスだとか仰々しい別名をつけられた化学兵器がぽんぽん生まれてはバカスカ使われていった。とっても悲しいけれど、そうして人類の住める土地はそれまでの一割になった。たぶんその頃の偉い人たちはきっと、自分たちを絶滅させようといっしょうけんめいだったんだろう。
当たり前だけれど心中に付き合わされたほうはたまったものじゃなかった。どうにかこうにか生き残った人類は途方にくれた。土地が汚染されきっていたからだ。一割残ったまともな土地だって、そのうち雨や風によって運ばれてきた猛毒に侵されて死んでしまう。
そこでナノハナだ。
チェルノブイリの菜の花にちなむぼくらは、死ぬためにうまれる。お母さんのお腹から、その体に蓄積した毒を全部かかえて這い出してうまれてきて、その身にたくさんの化学物質を詰め込めるだけ詰め込んで、なるべく分解し、そしてその化学物質が体内でおかしな変異を起こす前に殺される。
うん、そう、人権ってやつはぼくらにはない。ナノハナだから当たり前だ。植物は人じゃない。したがって権利もない。
「あたしに、ありがとうって言って欲しいのかい」
「それくらい言われてもいいんじゃないかな。それくらいのことをしてるはずだけど」
「ただ食って寝てるだけだろうが」
「その食って寝てで人が助かるんだからいいじゃないか。いやあ、この世でいちばん楽な救世主業だね。ほんと」
「減らず口だねえ、ほんと」
「そういうところがかわいいでしょ」
ぼくの言葉に、カンナおばさんの目がほそくなった。それがどういう仕草なのか、初めて見るからよくわからない。けれどあまり快いものではないんだろうな、と思った。
「早く寝ちまいな」
眠ればぼくはもう二度と目覚めない。あの舌が痺れるほどまずいタブミールともおさらばだ。
「カンナおばさん、お願いがあるんだけど」
「だめだよ」
「なんで!別に執行を遅らせてとか本物のハンバーグが食べたいなんて言わないよ。ね、聞くだけでもいいから」
「……はあ、聞くだけだよ」
カンナおばさんはつっけんどんだけど、こういうところが優しいから大好きだった。”水やり係”の中でも一番情にほだされやすいことを、ぼくは知っている。
「ぼくの体はバイオ燃料になるんでしょ?」
「ああ、そうだ」
「ぼくだった燃料は、カンナおばさんが使ってね」
まんまるに目が見開かれる。目玉がこぼれ落ちちゃいそうだな、とおもった。ぼくはいたずらが成功したときのような優越感でいっぱいになる。ああ、きっとぼくは気持ちがよく眠れるぞ、と思った。
ぼくはナノハナだ。世界をきれいにして、燃料になって、最後の最後まで人の役にたつ。そしてぼくには口があるから、誰の役に立ちたいかを主張することができるのだった。
「約束だからね」
何も言ってくれないおばさんの小指をさっと自分の小指で掬った。しわしわの手だ。つめたい手だ。ぼくだったものがこの優しい人の体を温めてくれるなら、どんなにいいだろう。ぼくは幸せだった。
ぼくはナノハナだ。ぼくは明日死ぬ。植物だから怖くはない。ぼくは笑顔で眠りにつく。永遠の眠りに。
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