31. レンチらしい物
その規則正しい足音がとうとう隣室にまで差し掛かった時。巨体が俺達を押しのけんばかりの勢いで廊下へ出て行く。部屋の外で親しみやすさを必死に装った声が聞こえてくるまで、それがジャックだと分からなかった。
「や、やあ、ご機嫌如何?」
調子外れに上ずった、ジャックの声。俺達は呆気に取られながらも、追われているという自分達の身の程は弁えて、静かにドアの外を覗く。ジャックが、食堂で出くわした奴とはまた別人らしい政府のロボットと対峙している。一階の玄関で、こちらに向かって来ていた奴に違いない。生きていない機械人間が、この廃墟を複数でうろついているのだと思うとぞっとする。
「何考えてんだ、あのバカ」
イーライの心の声が、張り詰めた溜息と共に漏れ出した。
『あなたがこの建築物のオーナーでいらっしゃいますか』
「い、いやあ。その……」
『この建築物は生活課の登録台帳に記載されていない不明な建築物です。もしあなたがオーナーであるのでしたら、今すぐ生活課への同行をお願い致します』
「ええと……」
機械の杓子定規な語り口調に圧倒されて、何も言い返せないままきまり悪そうに頭をかいたりしていたが、やがて思い切ったように懐から何かを取り出し、それをロボットの目の前でかざして見せた。
「あっ、あれ、社員証じゃん」
持ち歩いてるなんて律儀な奴、とエドが独り言ちる。さすがは元キュイハン、非常に目ざとい。ロボットも自分の出生をしっかり心得ていて、かしこまったお辞儀を一つした。
『失礼いたしました、ベレスフォード様』
「わ、分かればいいのさ」
まだ少し震えが残る声を誤魔化す様に、仰々しく咳ばらいをする。ジャックは社員証をしまうと、一歩ロボットの側へ近づいた。キュイハン社の上の地位に就く人間らしい、堂々たる偉そうな雰囲気を身にまとっている。
「君、伝言を頼んでもいいかな」
『それはどういったご用件でしょうか』
「うん、ある極秘プロジェクトについてなんだが」
……なんだか雲行きが怪しくなって来た気がする。極秘プロジェクト、だと?ジャックの奴、この期に及んでまだ俺達を混乱に巻き込むつもりなのだろうか?
「その件で、この廃墟を買い取ろうと思うんだ」
「ハア?!」
図らずともイーライと声が揃い、二人揃ってエドに小突かれる。
「大きな声を出すな!」
思わぬ形でジャックを邪魔する事になったが、そいつは怒るどころか激しい手招きで「こっちへ出てこい」と示している。ジャックの意図がまるで読めない俺達は三人で顔を見合わせ、いたずらを叱られようとしている子供の様にぞろぞろとジャックの隣に並んだ。政府のロボットは、興味深そうな面持ちでこちらの動きを眺めている。
「こちらの三人。そのプロジェクトに携わってもらおうと思っている人員でね。はるばる遠くから越してきたばかりで、まだキューブを持っていないんだ。この三人分、発行してくれないか」
政府の発行したキューブを持つ――それはすなわち、政府に自分の存在を掌握されるという事。これじゃあまるで、俺達が政府に売られたみたいじゃないか。思いつく限りの罵詈雑言が腹の底で煮えくり返る。
「何をしようとしてるんだ、お前は!」
政府のロボットの眼前である事など気にも留めずに吠えるイーライを、ジャックが片手を挙げて制する。人差し指を立て「静かにしろ」という目配せをこちらに送り、反応させる隙も与えずに素早く言葉を繋いだ。
「ただし、そのキューブの住民登録はしないでくれ。如何せん彼らの存在もまた極秘だからね、管理はこちらで行うよ」
イーライの顔が一変、正に目が点になる。俺だって頭が追い付かない。
「ジャック、お前は一体何を――」
「そういう事だ。伝えておいてくれるね?」
『はい、かしこまりました』
俺の発言は完璧に無かった事にされた。ロボットはその場で目を閉じ、一時的に全ての動作を停止する。政府の下で働くロボット達、及び政府という組織は、全て独自のネットワークで繋がっている。俺が犯罪者に仕立て上げられた時の様に、この情報もすぐに知らせるべき人間の所へ到達するのだろう。最も、当事者である筈の俺達はこの状況に全くもって理解も納得も出来ていないのだが。
『重要なメッセージを送信しています……77%……86%……』
忠実なロボットが指令を遂行しようとしている間にも俺達は不満の声を上げ続けたが、ジャックはロボットを見守るばかりでまともに取り合ってはくれない。その内ロボットが再び目を開いた。
『報告を完了致しました』
「そうか、ご苦労様」
ジャックが笑顔で相手を労ったかと思うと、懐から何かを取り出しそれをロボットの胸に叩きつけた。わずか一瞬の出来事だった。政府の遣いの顔から一切の人間らしさが消える。まるで出荷時と同じ状態にまでリセットされたかのようだ。そのまま床に倒れこみ、派手な音と共に埃がもうもうと立ち上る。
「えっ……ええっ?!」
エドの驚きの声にも動じず、ジャックは倒れこんだロボットの胸の辺りを、どうやらレンチらしい物でとどめを刺すかの様に殴りつける。大きな静電気の音がして、妙に焦げ臭い匂いが漂い始めた。埃の匂いとそれが混じり、胸がむかむかしてくる。
「ジャック、お前、何したんだよ……」
「知ってるかい、この型のロボット達は、この胸の所に緊急停止スイッチが埋め込まれているんだ」説明しながら、へこんでしまった胸部を指でなぞった。「だからこうしてしまえば、もう僕達を襲う事も無い」
なるほど、キュイハン社の人間らしく、自社の製品の事は熟知しているという訳だ。ただその知識、もう少し早く活かして欲しかったと思う。よっこらしょと立ち上がったジャックの顔は、ひと仕事終えた満足感に溢れていた。
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