4. キュイハンの名前なんか

 俺とベレスフォードの住処の辺りは完全に寂れているが、M-50地区自体はむしろ活発な地域だ。昔ながらの人々の生活が賑やかに営まれている所もあれば、大企業のビルがそこら中で胸を張っていたりする所もある。

 特にこの目抜き通りは、「最新」という言葉をそのまま街並みにしたかのような派手さで、夜になり、様々な店がこぞってネオンや電子看板を光らせまくると、その派手さが最高潮に誇張される。俗に言う「眠らない街」という奴だ。

 ただ、今日みたいな爽やかな晴天の青空には、その派手さを発揮する事が『敵わず』に、とりあえず陽が沈むまで、日々成長を遂げる真面目な企業のビル群を装っているつもりでいるらしい。通勤ラッシュも落ち着いて、今は程よく穏やかな午前中だ。

 女の名は"ネイビー"と言うらしい。それが本名かそうでないかは、今はそれほど重要では無い。こいつが身を置いているであろう業界では、「名前」というものは個人を識別する以外には役に立たないのだ。

 だが俺自身はそんな不健全な世界だけで飯を食っている訳でもないので、そんなにたくさんの名前は持っていない。聞かれたらどうしようかと思ったが、何故か向こうからこちらを詮索するような事は無く、ほとんど二人黙って歩いているだけだった。

 やがてネイビーおすすめだという喫茶店に入る。奥に長い店の作りで、壁が左右から迫ってきているようで息苦しく感じる。あまり流行っている店では無いのか、店内はがらんとしていた。俺とネイビーは適当に窓際の席で、向かい合うように座る。一息ついた所で、ネイビーは奥の厨房に向かってコーヒー二つとサンドイッチ一つの注文を怒鳴った。少し間があって、あくびのような応答が聞こえた。どうやら店主の返事らしい。

「この店、ロボットがいねえんだな」

「そうなの。ロボットが信用ならないっていうプロトタイプの人間に人気なのよ」

 別にこの地区に限った話では無いが、日常生活を過ごす上でロボットは必要不可欠な存在だ。まず、企業の受付なんかはロボットが担当する仕事だと決まっているし、ロボットが調理を担当するパン屋だって、ここ最近ではそんなに珍しい事でも無い。どんな家だろうと、例えば家事を手伝うようなロボットが一台は居るし、オーダーメイドのロボットも日用品としてごく普通に存在している。ましてやこういった飲食店なんかでは余計に必要とされるのが常であるのに、店主は結構な変わり者に違い無い。

 さて、俺は早速話題が尽きたのを感じた。そもそも言い出しっぺは向こうなんだし、別に俺が気を遣う必要が無い事は分かっているが、こうして付き合ってやっているのにも関わらず、会話の一つも続けようとしないのは、何だか投げやりにされているような気がして気分が悪い。

 とりあえず窓の外に目をやると、いつの間にやら再び、交通量も忙しそうに通りを歩く人の数も増えていて、例の政府の下っ端ロボットも多くなっている気がする。店の時計を確認すると、十一時半を回っていた。街がより活発になり始める時間帯だ。頭が微妙に回らない訳だ。今日起床してから、俺は何一つ胃に収めていない。

「あのロボットって、嫌い」

 不意にネイビーがそう言った。あのロボット――下っ端ロボットの事を指しているのだろう。

「なんで?俺は別に好きでも嫌いでもないけど」

 というか、大概の人がそう言うと思う。その辺にいくらでもいるので、あいつらは言わば炉端の石ころとさほど変わらない。分かり切った道案内をしてくれるという点では、石ころよりほんの少しましかもしれないが。

「だってあれ、キュイハン社製でしょ」

 キュイハン社――世界に名高い、機械製造の大手メーカーだ。その種類は多岐に渡り、今やこの世にある機械全てを一通りは製造、販売しているのではないかというぐらい。俺達の身分を証明する小型コンピューター、通称「キューブ」もこのキュイハン社が製造しているし、ベレスフォードだってここの機械を多く愛用している。というのも、その本社がこの地区にあるから、こんな豪勢な事が出来ているのだ。要するに、宣伝を兼ねているという事。その辺のやり取りのおかげで、政府とも親しい関係にあるから、向かう所敵無しと言ってもいい。噂では、下っ端ロボットを始めとする、政府が従えるロボット達の管理まで任されているという事だ。

 とりたてて大きな不祥事や、機械が原因の事故も起きた事が無い筈なのに、一体どの部分を嫌う事が出来るというのだろうか。

「キュイハンの名前なんか――大っ嫌いだ」

 眉間に皺まで寄せて、忌々しそうにそう独り言ちた。窓の外でのんびりと移動しているロボットにさえ唾を吐きかけそうな程、嫌悪の表情が露わになっている横顔が妙に面白い。どんな物にも反対意見を唱える奴がいるという良い例と言えるだろう。

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