【8月23日】不変の美
王生らてぃ
本文
「
褥に横たわる白は、窓から外を眺めていた。
外には庭園が広がっていて、池に花びらが浮かべられている。
草花が美しく彩られ、虫たちの声がする。
わたしは彼女の姿を、部屋の入り口から眺めているのが好きだった。だけど、もうすぐお茶が冷めてしまいそうだったので、たまりかねて声をかけた。
「見てごらんなさい、
「ええ。とても」
わたしは白の傍らに置かれた小さな机に、昼食の粥と根菜の和え物、そしてお茶を差し出した。彼女は今にも折れそうな細い首を小さくかしげて、わたしに頭を下げた。
「白、今日は顔色がよさそうね」
「ええ。とても調子がいいわ。今日は外に出てみようかしら」
しかし、少し身をよじっただけで、ごほごほと彼女は咳き込み身体を伏せた。
「駄目だよ、無理しちゃ。さ、ゆっくりご飯を食べて」
「ええ」
「今日は畑でとれた根菜よ。とても美味しくできているの、今年は土の具合がよくてね」
ここは静かだ。
うるさい人も、馬も、役人もいない。わたしと白だけの場所だ。
白は十三歳のときから、ずっとここにこうして病に臥せっている。
十七歳になった今では、もう自分で立ち上がることも難しい。
最近ではずっと同じ服を着て、髪を整えることもしなくなった。だけど、彼女の裡から出でる不変の美しさには、ますます磨きがかかっているようだ。肌は朽ちることのない絹のように滑らかで、髪は黒々と美しく、瞳には愁いを帯びた色が宿っている。
「どう?」
「とってもおいしいわ。星の料理」
「よかった」
「ごめんなさいね。いつもいつも、あなたにばかり働かせて」
「いいの。わたし、好きでやっていることなんだから」
ゆっくり少しずつ嚥下する白を、その喉を、物を噛む口の動きを眺めていた。
お茶を飲むときの細い指先は、湯飲みの熱で溶けて落ちてしまいそうなほどだった。
窓の外に見える草花が揺れる音は、白の呼吸と同じようにさらさら流れていた。
「それじゃあ、お薬をどうぞ」
「ええ……」
食後の薬を白に飲ませる。
底の浅い皿の上に乗せられた、銀色に光る液体。白は食後にこれを必ず飲んでいた。
白は憂鬱そうな顔で、その苦い薬を飲み干した。
「うう……」
「我慢してね。これも、あなたの病をいやすためなのだから。これはね、都の薬師から特別に分けてもらっている、特別な薬なのよ。帝も病に臥せったときには、これを服用しているというわ」
「ねえ……」
「なあに」
「何度も聞いたわ、その話。だけど、そんな高価なもの、どうして星が持っているの?」
「わたしの人生は、あなたが全てなの。白」
わたしは空になった皿を手に取った。
白の服の裾に手をかけ、それを脱がし始めた。
「さ、身体を拭きましょう。食べたら少し、汗をかいてしまったでしょ」
青ざめたままで白はなされるがままになっていた。
美しい肌。
貝殻、真珠、天女の羽衣。いっさい余分なもののついていない、人間としての完全を体現したような肢体。そこにうっすらと浮かぶ汗や垢を、お湯にくぐらせた布でふき取っていく。
白は恥じらうこともなく、凛とした態度で肌を晒していた。
肌理の細かいひとつひとつが、太陽の光にきらめいていた。
「みるみる綺麗になっていくわね。白、あなたはとても美しいわ。きっと病が治る日も近いわよ」
「今日は外に出て歩いてみたいのよ」
「駄目よ。絶対に駄目。無理をして、これまでの養生が台無しになってしまうわ」
背中を吹き、髪の毛を梳いて、それから彼女を寝かせる。
お腹、胸、首筋。足の裏から、太腿の内側。
軽く、傷付けないように、ふき取っていく。
「んッ。くすぐったいよ」
「ごめんなさいね」
そうして服を着せているときに、白はまた溜息をついた。
「もう、月のものもずっときていないのよ。二年前のころからずっと」
「そんなの、気にしなくたっていいじゃない」
「でも……」
「気にしなくたっていいの。白は白のままで」
肌着を脱がせて、新しい服を着せて、彼女をまた褥に横たえた。
「さあ、わたしはまた外に出てくるから。白も、食事をして疲れてしまったでしょ。眠っているといいわ」
「うん……そうしようかな」
「ごめんね、またひとりにさせてしまって」
「いいの。星がわたしの分まで働いてくれているのだから……わたしだって、畑仕事をしたり、市に出て買い物をしたり……」
「気にしなくたっていいの。白は白のままでいいの。ずっとそのままでもいいのよ。だいじょうぶ、わたしがずっとあなたといっしょにいるからね、大好きよ。白、行ってくるわ」
食器と、それから肌着とを川の水で洗い、家の裏の小屋で干す。
それから畑の草を毟り、土の様子を見て、生育の良くないものは早めに収穫してしまう。これはわたしの食事になる。白が食べるものは、自然の中でも常に選ばれた、特別に状態のいいものでなくてはならないのだ。
そうこうしているうちに夕刻になり、日が傾き始めるころ、わたしは少し家から離れて、街道沿いへとやってくる。
ここは街道の中でも山奥のほうなので、行商の連中もほとんどやってこない。
しかし、時たまここを通る商人たちがいる。わたしが用があるのは、そういう人たちだ。
顔には布を巻きつけて、腰だめにに鉈を構える。
口元に竹筒を加える。
しばらくして、馬を一頭だけ引き連れた、若い男の証人がやってきた。荷の少なさ、馬車も引いていないことから、わたしの目的通りの相手だと判断する。
わたしは少し高くなった丘の上、森の木立に紛れて機をうかがう。
馬がやってくる。相当遠くから歩いてきたのだろう、疲れ切った様子がうかがえる。
あと少し、あと少し……
「いまだ」
竹筒を思い切り吹く。
先端から毒針が飛び出し、馬の首筋に細い針が突き刺さる。馬は痛みに暴れまわり、商人はそれに驚いたように一瞬たじろいだ。
わたしは鉈を手に、証人に躍りかかる。突然森の木陰から現れたわたしに目を見開き、身構えようとするがもう遅い。
振りかぶった鉈が男の手首を砕き、そのまま首にめり込む。半分まで刃が入ったところで、口から、鼻から、目から血を吹き出して男は倒れ、びくびくと地面にめり込んだ。その頃には馬のほうも毒が回り、もう動くこともできなくなっていた。
わたしは散らばった男の荷物の中から、目当てのものを見つけ出した。
それは焼き物の器の中に入れられ、厳重に栓をされていた。
中には白のための薬が入っていた。
銀色に光り輝き、波打ち、揺らめく――
かつて帝も愛用し、探し求めたとされる永遠の象徴。
「ただいま」
手を洗って帰ったとき、白は起きていた。
窓から見える紫紺の夜空を眺めて、光り輝くような溜息をついていた。
「薬を買って来たよ」
「ありがとう」
白は烏羽色の長い睫毛を伏せて、薄く微笑んだ。
それは絵では決して表わせないような、夜空の月よりも美しく輝く顔だった。
「見て、今日はね、星がとても綺麗よ」
「あなたのほうが綺麗だよ。白」
白は笑うだけで何も言わなかった。わたしはずっとその顔を眺めていた。そして溜息を聞いた。窓の外に向かう視線を追いかけた。
「ご飯作るね」
ご飯といっしょに、わたしは薬を用意した。
さっき商人を殺して手に入れた薬。
薄い皿の上に注ぐ。
それは銀色に光り輝く摩訶不思議な液体。銀のように光り輝きながら、水のようになめらかで、決して錆びることも腐ることもない永遠の象徴。天竺や西国の錬金術で用いられるという神秘の物質。
合金や化学の材料に使われるものを、かつて帝は永遠の象徴として服用していたらしい。
わたしはこれを、白に毎日飲ませ続けている。小さいころから、ずっとずっと。
おかげで、白は美しいまま、ずっとずっとわたしの元にいてくれる。
「おまたせ。夜のご飯を持って来たよ」
「ねえ」
「なあに?」
「もう、薬を飲むのはやめようと思うの」
「なに言ってるの。飲まないと駄目なの」
「疲れちゃったの」
「どうしたの?」
「生きるのに疲れちゃった。わたし、もう死んでしまいたいの。生きているのが苦しいのよ」
ご飯に手をつけようともしない。
ただ空を見上げているだけの白を、わたしはずっと見ていた。
触れることも、壊してしまうことも、どちらもわたしにはできない。だけど、このまま朽ちていくだけの白を、ただ見ていることもできない。
「わたしがあなたを幸せにしてあげるのよ」
「わたしはね。生きているだけでは幸せになれないの」
「そんなことない。生きていることはすばらしいことよ」
「違うの。ただ生きているのなんて、辛いだけ。わたしは自分の足で立って、自分の手で畑を耕したりしたい。こんな風に、ただ食べているだけの人生なんて御免だわ」
それきり白はそっぽを向いてしまった。
わたしは手にした薬の皿を、そのまま机に置いた。
窓の外を見ているだけの白の姿すら、あまりに美しかったから、そのままわたしは見惚れてしまったのだ。
あなたはこのまま、ずっと美しいままでいい。
汚れるのはわたしだけ。
わたしの血にまみれた手では、あなたに触れられない。あなたを壊せない。
それでもいいの。わたしは幸せなのだから。
【8月23日】不変の美 王生らてぃ @lathi_ikurumi
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