宗教勧誘

蛙鳴未明

宗教勧誘

「主の素晴らしさを、知っていますか?」


 ドアが開くなりそう言った。ひょっこり出てきた老婦人の上品な顔は、あいまいな笑みを浮かべている。……やってしまった。また焦りすぎてしまった。


「何か御用ですか?」


「あの、えと――」


『失敗』という二文字ばかりが頭の中を駆け巡ってまったく言葉が出てこない。老婦人はそんな僕を見てゆっくりと一礼した。


「御用がないのならこれで――」


「あ、ちょ――待ってください!」


 咄嗟に手が出た。閉まりかけた重厚な扉を強引に開き、できた隙間に隙間に半身をねじ込む。


「せめて――お話だけでも……!」


 息を荒げて老婦人の顔を見る。と、彼女の目が僕の指に向かい、彼女の眉がすいと上がる。


「あなた、その指……」


 見ると銀に光る指輪。


「あ、これはユノン会の――」


 言いかけてふと我に返った。ドアを押さえる自分の手。ドアから半分はみ出ている自分の体。


「すすすすいません!初対面でこんな失礼なこと――失礼します!」


 上ずった声で叫んで慌てて体を引っこ抜こうとしたその瞬間、ひんやりとした手に手首をつかまれ力強く引き戻された。鈍い音を立ててドアが閉まる。混乱する僕を、老婦人はにこやかに見上げた。


「失礼でも何でもありませんわ……私、知り合いにユノン会の人がいらっしゃって、一度お話を聞いてみたいと思ってましたの。ささ、おあがりなさい……」


 訳の分からないまま夫人に手を引かれるままに靴を脱ぎ、廊下に上がる。おじゃまします、と小さく言うと、


「いらっしゃい」


 婦人は笑って僕の手首に指を滑らせ手を放すと、暗い廊下の奥へと歩いていった。



 案内されたのは、骨とう品らしきものが壁一面に並べられた広い部屋だった。絵だの彫刻だの甲冑だの、果ては刀剣までずらりと並べられている。その異様な光景に呆気に取られながら、案内されるがままに部屋中央の大理石のテーブルにつく。


「ごめんなさいね散らかってしまっていて。私こういう関係の仕事をしているものですから……」


「いえいえとんでもない。散らかってるだなんて……」


 僕はぶるぶると首を振り、再び辺りを見回した。無造作に置かれた無数の骨董品、そのどれもが、素人目に見ても数千万は下るまいという代物ばかり。そんなものに囲まれている状況に内心震えながら、僕は正面に首を戻した。


「散らかってるだなんて……どれも凄そうなのばかりです」


 ふと、老婦人の肩越しに、空っぽのショーケースが見えた。重々しい台に乗せられて、尋常ではない気配を放っている。


「――あの、あれには何が入っていたんですか?」


 老婦人は人差し指を柔らかに口元に当てた。


「それは言えませんわ。とても貴重なものである、とだけ言っておきましょう。でも、とてもありふれたものでもあるの」


 僕がよほど変な顔をしていたのか、婦人は、ほほほ、と上品に笑って椅子の肘掛けを押した。僕の椅子の肘掛けに穴が開き、白い小さなカップが現れる。


「ユノン会のお話、お聞かせになって?」


「あ、はい」


 僕はカップの茶を飲み干し、真っ直ぐに座り直した。


「えー、ユノン会とはユノン導師が設立された、主の教えに従って物が溢れた日常から脱却し、清貧を貫こうという会です」


「……清貧」


「ええ、私物は最小限に、お金は稼がず、食べ物は穀類と野菜を中心に塩以外の調味料は使わないで、また酒やタバコは一切やらず――」


「塩しか使ってない料理だなんて、美味しいのかしら」


 婦人は首を傾げる。話をさえぎられてちょっとむっとしながらも、僕は律儀に答える。


「塩しか使っていなくても案外美味しいものですよ。色んな香草も使いますし……」


「香草?」


「ええ、畑で色々育ててるんです。料理には欠かせませんよ」


「……なるほど」


 婦人は目を伏せる。その口が、どうりで、と小さく呟いたように見えた。彼女は唇をぺろりと舐める。


「……あの、どうかされました?」


 婦人が目を上げると、その顔にははち切れんばかりの笑みを浮かんでいた。


「いいえ、なんでもありませんわ。ユノン会の教えに感激してしまって」


「ほんとですか!」


 思わず身を乗り出した。婦人はええ、ええ、と何度もうなずいた。


「とても素晴らしい教えで、こんな教えがこの世にあったのかと――もう、今すぐ入信したいくらいです」


 身体中に電流がほとばしったかのようだった。出そうになった歓喜の叫びをかろうじて押え、身を乗り出して老婦人の手をとる。


「ありがとうございます!ありがとうございます!ああ良かった……」


 布教の喜びがこんなに大きなものだなんて、思ってもいなかった。


「主に感謝しなければ……こんな素晴らしい出会いがあるなんて!」


 そう言って婦人の顔を見ると、彼女は穏やかな笑みを浮かべて僕を見つめ返した。両手で優しく僕の手をおおう。


「ええ、主にに感謝しなければなりませんね……」


 婦人が僕の手に目を落とし、僕の指を愛おしげに撫でる。


「だって――こんなに美味しそうなんですもの」


ふ、と体から力が抜ける。胸に響く鋭い痛み。そして僕は、闇の中へと落ちていった。

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