推しを求めて200海里
丸井零
第一章 あるVの失踪
1-1 密会
空には青、その下には青い海があった。どの方角、どの方向を見ても青い色しか見えなかった。台風や嵐を避けながら地球上のあらゆる海を航海し続ける大型居住艦『兵庫』は、うららかな南洋を悠々と航行していた。
兵庫には約五万人もの人間が住んでいる。船は五層構造になっており、上の二階を地上、下の三階を地上と呼んでいた。人々は地上と地下を自分の人生や性分に合わせて、一定の割合で棲み分けていた。
地上はいわゆる普通の街だった。日の光の下で、大人や子供や老人が健康に、笑いながら日々の暮らしを営んでいる。ゴミはきちんとゴミ箱へ捨てられ、給料は勤め先から振り込まれるのが当たり前だった。対照的に地下の世界は荒廃していた。どこを見てもゴミが落ちている。金の稼ぎ方は悪い意味で多様だった。
『睡蓮にとっては池が住みやすく、サボテンにとっては砂漠が住みやすい。これは向き不向きの問題であって、善し悪しの問題ではない』
地上の人間はこのような標語を使って地下の人々を慰めようとする。あるいは、自分自身の罪悪感を拭い去ろうとする。
人類がかつて陸地に生きていた時代、南北問題と呼ばれる現象が各国で発生した。陸地を失った今でも、同じことが続いている。人々は現状を上下問題と呼んでいた。
人類は新しい大航海時代を迎えていた。人々は孤立したが、船同士で電波のネットワークを形成した。このネットワークによって僅かながらも繋がりを維持していた。
兵庫の地下三階を一人の女性が歩いていた。酒や煙草、オイル、そして吐瀉物の匂いが入り交じった空間を、ひるむことなく進んでいく。彼女が羽織っている上着の襟元には黄色い星形のバッジが光っていた。
「同志
虎徹と呼ばれた女性は、自分を出迎えてくれた痩せた男を鋭い目を向けた。男はしきりに眼鏡の位置を気にしていた。
「同志
「とんでもない。立ち話になりますが、構いませんか?」
「誰にも聞かれないようにこんな奥地まで来たんだ。ここでいいさ」
虎徹は辺りを見回しながら答える。
一息置いてから、餓狼は話し始めた。
「我々地下革命隊は地下の人々の生活環境の改善を目標に活動しています。しかし一向にその願いは果たされません。我々が活動を開始してから二年が経過しているというのにです。このままでは何も変化が起きません」
餓狼は一旦そこで言葉を句切った。その瞳には東京から来た虎徹への非難も含まれていた。
「そこで兵庫支部として、独自の戦略を取ろうかと考えています」
「その戦略とは?」
尋ねながら虎徹は煙草のパッケージを取り出した。煙草を一本抜き取り、ライターで火を着ける。心地よい金属音が辺りに響いた。
虎徹が息を吸うと、煙草の先端が淡い赤色に光り、灰になっていく。
「バーチャル配信者の活用です」
虎徹は男の顔を見た。特にふざけているようには見えなかった。
「娯楽の活用か。プロパガンダも来るところまで来たというわけだな」
おかしそうに笑う虎徹を餓狼は睨み付けた。
「プロパガンダで済むのならそれに越したことはないのです。下手に暴力に打って出たところであっと言うまに鎮圧されてしまうでしょう」
虎徹は驚いて餓狼を見た。革命隊の中央を批判するしているのと変わらない。下手をすれば連行され地下裁判にかけられる可能性すらある。
「これは禁句かもしれませんが、あえて言いましょう。このままでは革命は果たされません。東京は時間をドブに捨てている。地下の人々がどれだけ苦しみ喘いでいるか、地上から指揮をするエリートたちには到底理解できないことでしょう」
一瞬の間の後、虎徹は大仰な動作で拍手をした。口に咥えた煙草から灰がポトリと落ちた。しばらく地面で赤い光を灯していたが、すぐに消えてしまった。
「非常に現実的だ。感心した。どこにでもいる中央の操り人形とは違うらしい。それで、バーチャル配信で革命が成功するのか?」
期待と侮りが混ざりあった笑みを餓狼に向けた。
「ええ、近年は艦営のVも増えております。ほとんどがプロパガンダ目的です。現在の階級社会を固定させる思想を植え付けようとしています。我々がそこに一石を投じなければならない。また、地上の艦民の興味を地下に向けることにも役立ちます」
「今から素人をデビューさせて、世論に影響を与えることができるとは思えないが」
「連れてくればいいんですよ。経験者を」
餓狼は神経質そうに眼鏡の位置を整えた。その奥には強い意志を感じさせる瞳があった。虎徹はコンクリートの壁に煙草を押しつけ、携帯灰皿に放り込んだ。
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