第9話 公務
休暇とはいえ宮中に戻った女性皇族には、皇族の義務たる公務が待ち構えている。
妹との食事を終えた私は侍女のユリアによって皇室庁の用意した車に押し込まれ、帝都ミリシャ中を引き回される。
午前中は孤児院の訪問に始まりアルフィー兵器廠の視察、在郷軍人会との昼食を経て、午後は一度宮殿に戻って礼装に着替えてから陸軍病院を訪れた。陸軍病院では戦闘で英雄的な活躍をし負傷した兵士に、皇帝陛下の代理として勲章を授与。
皇族に本当の意味での休暇というものは存在しないものかと改めて実感し、嘆きたくなる。
特に午後に参加した勲章授与式では、皇族という立場がこの帝国においてどれほど微妙な立場であるかを嫌でも分らせてくれた。
ドルネシア帝国はサバーニャ大陸随一の領土を保有する覇権国家であるが、広大な領土を持つが故に隣接する国と領土問題を数多く抱えている。
とりわけドルネシア帝国と国境を多く接するノーラッド帝国が領土として実効支配するハザーン地方は、古くからドルネシア系住民が多く住む地区であり、別名小ドルネシアと呼ばれている。
このハザーン地方の領有権を巡りドルネシアとノーラッドの二つの帝国は長年の対立関係にあり、現地国境守備隊同士による小競り合いが絶えない地であった。
私が勲章を渡した負傷兵も、このハザーン地方で発生した戦闘によって受勲するに至った。
国家に奉仕する軍人が戦闘によって負傷し、それに対し勲章が授与されること自体には何も問題はない。
問題はドルネシア・ノーラッド両国間において、ハザーン地方の帰属は明確にされていることだ。
即ちハザーン地方はノーラッド帝国領ハザーン自治区としてノーラッド帝国の主権が及ぶ正式な領土であり、ドルネシア帝国もそれを承認している。
つまりこの二国間において領土問題は存在しないのだ。領土問題が存在しない以上、地域紛争もまた起こり得ない。
しかし現実に起きている事実だけを見るならば、ハザーン地方は常に両国の部隊による小規模な戦闘が頻発する紛争地帯である。
構図は実に単純だ。旧ドルネシア帝国領であり、ドルネシア系住民が多数を占めるハザーン地方の奪還を切望するドルネシア帝国と、自らの支配地域を固守するノーラッド帝国の対立。だがドルネシア側の実態は酷く複雑なものだ。
ドルネシア帝国皇室ならびに政府は、ハザーン地方の領有権がノーラッド帝国にあることを公式に認めている。しかしドルネシア国民の間ではハザーン地方の奪還を望む声が多い。
その声は東部のノーラッド帝国との国境に近くなるほど大きくなり、それはそのままハザーン地方を放置する政府の不満へと繋がる。
特にノーラッド帝国方面に配置されている東部方面軍はハザーン奪還を切望する東部出身者が大半を占めており、小ドルネシア問題に対する政府の対応を弱腰として批判的であった。
東部方面軍は政府の意向を無視する形でハザーン地方周辺の配備を強化し、ノーラッド帝国との緊張をいたずらに煽った。結果として小規模であるものの度々衝突に至る。
度重なる戦闘によって負傷者や死者が出ているが、国民から強い支持を得る東部方面軍に政府は強く出ることが出来ず、辛うじてハザーン進駐を抑えるに留まっていた。
本来であれば方面軍首脳陣の更迭と大幅な組織改編が必要となる軍の独断先行は大きな問題だが、ポピュリズムを巧妙に利用する東部方面軍に対し強い措置を講じれば、皇室や政府は民衆の支持を失うばかりか、小ドルネシア併合論が根深く浸透している軍部さえも敵に回す恐れがあった。
特に皇室や政府は、
よって政府は不本意ながらも軍部の独断を半ば黙認。軍部の造反を防ぐために本来なら処罰対象である東部方面軍とその兵士に褒賞や勲章を授与して懐柔を計らざるを得ない状況にあった。
だがその懐柔は上手く行っていないと断言出来る。
こうして負傷した併合派の兵士の為に、略式とはいえわざわざ体裁を取り繕ったような式典を行なっているが、授与される側のなんとも嬉しくなさそうな顔を見れば、そのことはよく分かる。
戦闘の結果によりもたらされる勲章は兵士にとって名誉なことだ。それは自らの能力と功績の証明であり、何より国家への貢献の証である。
だが帝国における小ドルネシア問題に限っては話が違う。併合派将兵は「勲章よりも併合こそが我が名誉」と考える。
つまり皇帝陛下の名前で勲章が下賜されようとも、彼らは何ら有り難みを感じることもなく、それどころか真面目に問題を対処しようともしない皇室が形だけの褒美を餌に自分達を飼いならそうとしていると彼らの目には映り、余計に反感を買う。
そしてそれが事実なだけに、タチが悪い。
皇帝陛下の名代として受勲に携わる私も、勲章を受け取る側の兵士も互いに幸せになれない最悪な式典であった。
むしろ、式典で私の周囲にいるのが併合派や比較的併合派に近い立場にいる将兵達ばかりであることを考えれば、迂闊な発言をしてしまわぬようにと神経質にならざるを得ない。
もし仮に彼らにとっての粗相を私がしでかせば、いくら皇族と言えども万が一は起こり得る。
そうならぬように護衛のユリアがいる訳であるが、いくらほんの僅かだけでも気を許せる侍女であろうとも彼女の所属は近衛師団。併合派将校が多数を占める部隊の一員である彼女もまた併合派ではないという保証もなく、油断をすれば身に危険が及ぶかもしれない。私は彼女のことを何も知らないのだ。
こうして気の抜けない一日の公務を終えて宮中に戻った私は、ディナーまでの数時間を休養のために使うべく自室に引き籠る。
「今日も一日お疲れ様でございましたエカテリーナ様」と労を労ってくれる侍女に「今日疲れた原因の半分はお前のせいじゃい」と言いたい気持ちをぐっと堪え、そのユリアが提供してくれるオイルマッサージの気持ち良さに身を任せる。
皇族を守るのが役目なのに、その大半が反皇族に近い立場の近衛師団。その近衛師団に所属している私の親愛なる侍女様には、自分の身内が私にかけた心労を責任もって癒やして貰おうじゃないか。
しかし何よりひんやりとしたアロマオイルが、ユリアの柔らかく細い指先通じて私の素肌になめらかに流れていくこの感覚は何よりも形容し難い心地よさだ。
前世でもオイルマッサージを受けたことはあるが、あの時はホットペッパーのクーポンを使って安く済まそうとしたのがいけなかったのか、塩対応の店員が雑にオイルをびしゃびしゃに塗るだけという嫌な記憶しかなかった。
対してユリアのこのオイルマッサージのなんと気持ちの良いことか。彼女の手が私の背中をゆっくりと撫で、優しくオイルを揉み込んでゆく度に疲れが癒やされていく。
やや際に近いところにも触れられるが、嫌という気持ちよりも気持ちよさが私を優しく支配し、心地よい微睡みが私を包み込む。
クーポンを使っても結構な額を取られたあげく、ただ不快だった前世のオイルマッサージよりも遥かに気持ちが良い。
この軍人でありながら使用人としての仕事をこなし、なおかつマッサージまで上手いときているものだから、ほんと正直何者なのだろうか。
そんな、うつらうつらとぼんやりする頭でユリアについて考えているちょうどその時、何者かが来訪してきたことを告げるノックが部屋に響いた。
「どなたですか? エカテリーナ様は只今お休み中でございますが」
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