第24話 道を歩く

「本当に夢みたい!」


 電話の向こうで、興奮した茉莉香の声が響く。


「おめでとう茉莉香ちゃん。夢を叶えたんだね!」


「ありがとう! 夏樹さんも……」


 茉莉香が何かを言いかけて、


「寒いから体に気を付けて」


 と、言った。


「ああ、茉莉香ちゃんも」


 互いをねぎらい、電話を終わらせた。


 


 夏樹は自転車を走らせ、事務所へ向かう。


「また先を越されちゃったな」


 一度は敗色が濃厚だったと聞いている。

 その時の失望は想像もつかないものだろう。

 だがその間、茉莉香は一度も泣き言を漏らさなかった。


 不器用な茉莉香が、粘り強く勝利を勝ち取ったのだ。


「今度は俺が勝負をつけなきゃな……」


 力いっぱいペダルを漕ぐ。


 今日は実務講習がないので、正規職員と同じ時刻の出勤だ。


「さてと……」


 デスクの前に座ると、奥に図面を広げ、手前にカッターマットを敷き、その上にスチレンボードを置いた。


「図面は頭の中に入っているけどな。まぁ、一応」


 二次審査に使うプレゼン用の模型を作るのだ。

 一次審査の結果はまだ出ていない。


(果たしてこれを使うことがあるのか……)


 今は考えまい。


 模型作りはバイトの仕事で、いくつも組立てている。


 今回は、この模型を基に建物が建てられるかもしれない。

 初めての経験だ。


(こんなに早くこんな機会が来るとはな)


 少し前なら、思いもよらないことだった。


 展開図にそってカッターでスチレンボードを切っていく。


 敷地、壁、屋根の順に切る。

 断面を確認する。切り口が滑らかでないと、組み立てるときに隙間ができてしまうからだ。


 窓を表現する穴を空け、裏返して確認する。

 問題はない。裏面まできれいに穴が空いている。


「失敗したことないけどな」


 ケント紙を張って、外壁の質感を表現する。


 それを組み立て、スチのりで張りつける。

 敷地の上に外観が作られた。


 建物の周りには、針金と綿で作った樹木と、紙製の椅子やテーブルを置く。

 綿は緑色に着色してあるものだ。


「外装はこれでいいな。今度は内装か……」


 ふと、目をやるとコーヒーが置いてある。


(いつの間に……)

 

 思わず手を伸ばし、カップに口をつける。


(ぬるっ……)


 淹れられてから時間が経っているようだ。だが、甘みが心地よく、一気に飲み干す。

 壁の時計は四時を指していた。

 ここでは、休憩はそれぞれのスケジュールに合わせて各々に取るが、仕事に支障ががなければ、三時頃にお茶を淹れて一息つくのが慣習になっている。

 このコーヒーは、おそらく淹れてから一時間は経っているのだろう。


 誰だろう?


(マリエットか……)


 そう言えば、ここのところ彼女が話しかけてこないことに気づいた。


 マリエットだけではない。

 今、事務所の誰一人、夏樹に話しかける者はいない。


 このプロジェクトに関わってから、夏樹はすべての雑務から解放された。

 それまでは、なにかにつけ用を言いつけられていたが、それが全くなくなった。

 仕事に集中できるようにとの配慮だろうが、それが責務の重さを物語る。

 誰もが遠巻きにして、自分を見ているような気がした。


 夏樹はプレッシャーに弱い方ではない。だが、現在自分の置かれている状況がただならぬものであることは、身に染みて理解している。


 自分に期待をかける者もいれば、危ぶむものもいるだろう。


 “なぜ彼に重大なプロジェクトを任せるのか?”


 不信感を抱く者がいても不思議ではない。


 だが……。


 夏樹の心は静かだった。

 目の前のことだけに集中することができる。


 心を揺らすものはない。

 一陣の風も吹かぬ、朝凪あさなぎの海のように……。

 

 成功に対する夢も、失敗に対する恐れもない。

 今、自分の前に道が開かれ、その道に引き込まれるように歩いている。


 図面は頭に叩き込まれている。

 それに沿って手を動かすだけなのだ。


 先日のミーティングで、ガスパールに図面を見せ、アイディアを話すと、


「やってみたまえ」


 と、彼は言った。


 その表情からは強い期待が感じられ、夏樹の心を励ました。


 一瞬茉莉香のことが頭によぎる。


(もし、成功すれば……)


 認められる。

 何に臆することなく、一緒に暮らすことができるのだ。


 だが、そんな想いさえも消えていく。

 過去も未来もない。“今” だけが目の前にあるのだ。


「次は内装だな」


 新たに敷地を作る。

 内壁を作り、壁を作り、階段を一段一段カッターで切り、組み立てていく。


「あと、やっぱりこれだよな」


 小さな長方形を紙でいくつも作り、組み立てる。

 

 書架だ。

 それを廊下に並べる。


 それ以外にも、ソファーや家具を組み立てては並べた。


 夏樹の中に生まれたイメージが図面になり、それが模型として形を成していく。

 それはやがて、地面にそびえる建築物になるかもしれない。


 夏樹は時を忘れて作業に打ち込んでいた。









 

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