第4話 謎かけ男-2
ある日のことだ。
「あ、俺、別件で急ぎなんだ。後は頼んだぜ!」
アランが出かけようとしている。
「ちょっと待ってください。さすがにバイトの俺じゃまずいですよ」
今日は、クライアントとの初のデザインミーティングがあるのだ。
それなのに、アランは聞き入れそうもない。
「なんだ。それなら職員のふりすりゃいいじゃないか。俺のプランは打ち合わせ済みだよな?」
確かに、アンケートをもとに作ったアィディアは説明されている。
が……。
あまりにも唐突過ぎる。
「じゃあな♪」
戸惑う夏樹を気にかけることもなく、アランは出かけてしまった。
残された夏樹は呆然とする。
だが、このままではいけない。アランは行ってしまったのだ。
アンケートを取ったのは自分だし、プランは頭に入っている。
なんとかならないことはない。
「あとは……」
見た目だろう。
パーカーにデニム。
いかにもバイトのいで立ちだ。
しかも東洋人は年齢よりも幼く見える。そして、日本人の中でも、自分は童顔の方だと思う。
「はい。夏樹」
気が付くと、マリエットがジャケットを持ってきた。
ネクタイもある。
「これで少しは
「あ……ありがとう」
相変わらず気の回る人だと思う。
洗面室で着替え、鏡の前で髪を整える。
デニムが気になるが、少しはましだろう。
もう一度鏡の中の自分を見る。
確かに服装はどこかちぐはぐだし、童顔だ。
だが、自信と意欲に満ちた目の輝き。
それに、自分で言うのもなんだが、端正な顔立ちだと思う。
客も信頼を寄せるはずだ。
「何とかなる!」
顔をぴしゃりとはたく。
クライアントがやって来た。家族連れだ。
夏樹を見た瞬間、彼らは怪訝な顔をする。
「ア……アランの代理で、北山夏樹と申します」
平静を保ちながら自己紹介をする。
途端に、ほっと安心したような表情を見せた。
事前アンケートでの対応で、すでに信頼を得ていたようだ。
(助かったぜ……)
第一印象は悪くない。
冷や汗をかきながらも、内心ほっとする。
だが、本番はこれからだ。
新築の住居の設計だ。
フランスでは、日本に比べ、一般家屋の建築は少ない。大抵はリフォームや修繕だけをして何年も住み続ける。
このミーティングを基にアランが設計をするのだ。
顧客の要望を正確に読み取らなくてはならない。
要望はあらかた事前に調査済みだ。それを確認すると共に、客さえも気づかないアイデアを引き出していく。
併せて、こちらからも提案し、イメージを固めるのだ。
夫婦に子ども二人、二階建ての家。
「一階の玄関とリビングですが、落ち着いた雰囲気をご希望ということですね。壁をライムストーンのタイル張りにしてはいかがでしょうか?」
言いながらスクラップブックを開く。
「ジュライエロー、モカクリーム……いずれも品がよく落ち着いた雰囲気が出せます。床を同じ色調のクッションフロアにするのもいいと思います」
(ここでイメージが固まってくれれば……)
今後の工程が効率よく進む。アランのプランは素晴らしく、あとは客にいかに受け入れられるかにかかっている。そして、それが、今の自分の役割なのだ。
声色や表情に気を配りながら、ミーティングを続ける。
(これはプレゼンだ)
自分は、パスカルの仕事ぶりをつぶさに見てきた。
その姿を思い起こす。
客たちが目を輝かせながら、スクラップブックを見ては家族で相談を始める。
彼らにとって、最も幸福な時間だ。
新しい人生がスタートしようとしているのだから……。
「それから……子供部屋ですが、間仕切りで開閉できるようにすれば、個室になりますし、遊ぶ時には一部屋にして、スペースを広げることができます」
ミーティングは順調に進んだ。
「それでは、ご検討ください」
客たちが満足げな顔で帰っていく。
夏樹はほっと安堵の溜息をついた。
「お疲れ様。夏樹。見事切り抜けたわね」
マリエットに
「ありがとうございます。あ、服はすぐに返します」
今日は、本当に助かった。もっと丁寧に礼を言いたいが、あまりにも疲れすぎていた。
「ああ。いいのよ。返すのはいつでも。それより疲れたでしょ? コーヒーでも飲んでらっしゃい」
事務所にはセルフでコーヒーを淹れるスペースがある。
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて」
相変わらず気の回る女性だ。
「あのねぇ。夏樹……言いづらいけど……アランは、後からあなたのやった仕事を綿密にチェックしているのよ」
「そんな! なんだって!?」
「そうなのよ……まぁ、あなたには悪いけど、そう簡単に人を信じる人じゃないわ。多分、今日の分も……」
それは無理もない。
確かにパスカルのサポートをした。
だが、自分はあくまでもバイトなのだ。
だが……
―― なにを考えってんだ!!?? ――
そんなことをするならば、初めから自分でやればいい!!
二度手間ってもんだ!!
アランは人を喰ったところがある。
夏樹には、彼が全く理解できない。
仕事が終わり、一人部屋に帰る。
今日は食事も外で済ませた。
「疲れた……」
今日はアランに振り回されてしまった。
「疲れたときは、ハーブティーがいいって言っていたな」
棚からドライカモミールを取り出す。花の形がそのまま残っているものだ。
カモミールは小菊のような小さな花だ。色は白い。りんごのような甘い香りを持ち、効能は様々で、リラックス効果もある。
耐熱ガラスのポットにスプーン一杯のカモミールを入れ、熱く沸かした湯を注いで蓋をする。
カモミールが花開くように広がり、ガラス越しに金色の
ゆっくりと広がるカモミールの花。
夏樹はそれを静かに見つめた。
そして一人考える。
大切な時間だ。
「そろそろ飲み頃だな」
カップにハーブティーを注ぐ。
口に含むと徐々に体が温かくなるのを感じた。
「やれやれ……。今日は、大変な一日だった」
ようやく一息つくことができた。
由里から送られた茉莉香の画像を見る。
様々な表情の茉莉香が写っている。
「はは。撮った順番がわかるな。先に店内で撮影して、そのあと緑地帯に出たんだ。店内のはカチカチになってるぜ」
ポットを手にした茉莉香の表情はぎこちなく、次第にリラックスした姿に変わり、庭で咲く花に手を添えたものは、柔らかな笑顔をカメラに向けている。
茉莉香は変わった。パリに再び旅立ったときよりも、いっそう美しくなった。
『睡蓮』を翻訳したい。
茉莉香はそう言っていた。
今は、何から手を付けたらいいかわからない状態だろう。
だが、目標が定まれば、どんな努力をすればいいのかが、次第にはっきりしてくるはずだ。
チャンスにも敏感になる。
チャンスはいつも、身近なところに隠れ、ある日突然姿を現す。
だから、常に身構えて備えなくてはならない。
茉莉香は自分の目標を見つけた。
不器用な娘だが、真面目な性格で困難を乗り越えていくだろう。
「また先を越されちゃったな」
自分はまだ見つけていないのだ。
就職。
それもいいだろう。
独立。
それも素晴らしい。
だが、自分が求めるのはそういうことなのだろうか?
それで満足できるのか?
(茉莉香ちゃんにしても、シモンにしても……)
彼らの危なげで不安定な様子を思い浮かべる。
だが、当人たちはそれを苦にする様子もなく、泰然と構えている。
まるで、自身の弱さを楽しむかのように……。
「不器用な人間の方が目標にたどり着きやすいのかな……」
“器用貧乏” そんな言葉で自分を卑下する気持ちはさらさらない。
機転が利くことや、器用であることは、そうでないことよりも、いいに決まっている。
それはどんな仕事に就いても言えることだろう。
だが……。
ふと、考え込む。
「いや。夜も遅い。早く寝なきゃ」
明日も早い。
少しでも体を休める必要がある。
夏樹はテーブルを片付けると、就寝の仕度を始めた。
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