第4話 シャンパンゴールドの街

「茉莉香ちゃんの大好きなホタテ雑炊よ」


「わぁ! うれしい!」


 母は土鍋を茉莉香の枕元に持ってきた。小さなテーブルを置き、ベッドの上で食べられるようにしてある。


「ホタテがいっぱい入ってる。すっごい贅沢! お出汁だしがきいていて美味しいわ」


 雑炊はホタテの他に野菜、とき玉子が入っている。やさしい味が心にも体にもしみるようだ。


「奮発したのよ。昆布とかつおぶしで一番出汁だしをとったの。よかったわ。お食事ができるようになって……」


 茉莉香は、風邪をひいて寝込んでしまった。


「でも、風邪をひくなんてひさしぶり」


「そうね。だから心配だったわ」


 母は何か言いたそうだが、口に出さずにいてくれている。



 茉莉香は、夏樹が去った寂しさもあったが、それまで笑顔を作り続けたことに疲れてしまったような気がした。


 回復後も亘からしばらく店を休むように言われ、春休みを茉莉香は一人で過ごすことになった。何もする気にもなれなかったが、とりあえず出かけることにした。


 都心にある、レンガ造りの美術館に行った。

 柔らかな色彩で描かれた子どもたちの絵が並ぶ。


 ふっくらした頬の子ども、公園の花壇の前で振り返る子ども、母親を困らせる子ども……。

 どれも愛らしく、ユーモラスなものもある。

 心が温かくなる光景に、茉莉香は思わず微笑む。

 

 やがて一枚の絵の前で足を止めた。

 

 若い母親が窓辺で我が子を愛おしそうにいだく絵だ。

 小さな額に、そっと接吻をしている。

 

 茉莉香は、まぶしそうに美しい母子の姿を見つめた。


 

 コーヒーを買って美術館の中庭で飲む。

 カフェの庭で人々が楽しそうに昼食の時間を過ごしている。

 

 木々が芽を吹きだそうとしている。

 

 先月、夏樹と通りを歩いたとき、シャンパンゴールドのイルミネーションが、道行く人々を幸せそうに照らしていた。


 あのとき自分は何も知らなかった。

 このまま、同じ時間が流れていくと思っていたのだ。


 それが突然に消えてしまった。


(せめて教えていてくれれば……)


 茉莉香は思う。


 もっと心の準備ができていたはずなのに……。

 自分一人で舞い上がることもなかっただろう。あのとき、夏樹は、すでに次のことを考えていたのだ。


 季節は変わった。

 イルミネーションは影をひそめた。

 もうすぐこの庭にも花が咲き乱れるだろう。


 茉莉香は、電話ひとつで駆けつけてくれた母を思う。

 自分の健康を思いやって、手の込んだ食事を作ってくれたのだ。

 亘も、忙しい時期に快く休ませてくれている。

 

 これ以上心配をかけるわけにはいかない。

 

 茉莉香は、中庭に沿いにある、焼菓子の店に入ると、

 

「あの、この箱入りの二つください」


 一つは母に、もう一つは亘に渡そうと思う。



「いいお天気。最近、運動不足だから少し歩こうかしら」


 茉莉香は思いっきり伸びをしたあと、中庭を出て街を歩き始めた。


 

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