第21話 天女とクリスマスツリー

 深夜に突然夏樹から電話がかかってきた翌日、茉莉香はles quatreカトル saisonsセゾンへ向かった。


 夏樹の話によると未希からの恋の告白を断ったという。

 未希がどんな気持ちでいるかと想像すると、茉莉香は気が重かった。


「おはようございます!」


 いつもの小さな弾むような声で店に入っていく。


「おはようございます!」


 未希の良く通る澄んだ声がする。

 未希に話を聞くかどうか迷っていたが、未希の方から報告があった。


「残念だけど、言いたいこと言えてすっきりしたわ!」


 未希は、さっぱりとした様子に見える。

 彼女の言う“言いたいこと”を茉莉香は正確に知らない。告白ができたことであろうと考えた。未希が、いつものように快活に働いているので、茉莉香もこれ以上この話題に触れることはできなかった。


 




 さすがの未希も夏樹にふられ、気持ちが沈んでいた。そして、未希の思いをいっそう複雑にしていることがある。

 

 それは、茉莉香を恋の助太刀に使ったことだ。

 

 未希は、夏樹の気持ちが茉莉香にあることは十分すぎるほど察していた。そして茉莉香の方も気がないわけではないこともわかっていた。

 茉莉香が自分の告白を手伝うことで、夏樹は傷ついたかもしれない。

 フラれて当然だと思う。

  

(それなのに……)


 逆ギレしてしまった。


 夏樹にしてみれば、とんだ災難だっただろう。


(これで茉莉香ちゃんに八つ当たりしたら……)


 立ち直れそうにない。


「あいつが、いつまでもぐずぐずしているからよ!」


 未希はつぶやいた。

 もし、茉莉香と両想いになっていれば、自分も諦めていただろう。

 

 今夜は劇団仲間と焼き肉でも食べて気晴らしをしたいと思った。

 







 その週の日曜日のことである。

 茉莉香の部屋に客が訪れた。

 同級生の沙也加だ。

 

「ステキなお部屋ね」

 

 沙也加がささやくように言う。


「そんな。沙也加ちゃんのお家に比べれば」


 茉莉香が小さな弾むような声で言う。

 

 茉莉香の部屋は、叔父が長期出張中に間借りしているものである。本棚に、ベッド、勉強机、クローゼットと一通り揃えられ、レースのカーテンが窓を覆い、少女らしい置物があるが、部屋自体は平凡なものである


 沙也加の父親は会社を経営している。家は広い庭とプールのある立派なものだ。沙也加の部屋も広く、茉莉香は沙也加のふかふかの大きなベッドにダイブしたことがある。


「ううん。すてきなお部屋よ。私も一人暮らししたいなぁ」

  

 そう言いながら沙也加は壁に目を留めた。


「アドベントカレンダーね」

 

「そう」


「今年はどうするの? クリスマス」


 沙也加が尋ねる。


「うーん」


 茉莉香は考え込んだ。店も休みだし、家に帰るべきなのだろうが、気が進まない。父は忙しく家にはいないだろうし、母と二人きりになるのも気が引ける。母はあの事件以来、ひどく茉莉香のことを心配するようになった。ありがたいとは思いながらも負担でもある。


「誰か一緒に居たい人いない?」


 沙也加にしては珍しく、いたずらっぽく言う。


 茉莉香は一瞬夏樹のことを考えた。だが、彼はクリスマスには、本田のアシスタントとしてヨーロッパに行っているのだ。第一、それがなくとも、夏樹が別の誰かと過ごすかもしれない。


「私ねぇ。好きな人がいるの。この前、合コンで知り合った人なんだけど、まだ、一回しか会っていないの」


 茉莉香は、もうすでに何度も夏樹と会っていることを思い出した。

 

「なにかあったら報告してね」


 そんな茉莉香を見た沙也加が、いつものようにおっとりと言った。


「でもね、……」


 その時、二人は同時に歌うように言った。


「男の人とお付き合いをするときは、相手のお人柄をよーく知ってからにするのですよ」


 これは学校で教師たちに繰り返し言われてきたことだった。

 

 相手がどんな人間かわかるまで、何回も会って会話をして、距離を縮める前に、時間稼ぎをするように少女たちは教えられてきた。当時の女教師の格式ばった言い方を真似したことがおかしく、二人は弾けるように笑う。


 “お人柄” の中には、将来見込まれる、社会的な地位や経済力も含まれる。


 笑いながら、茉莉香はどこか冷静だった。

 

 由里は周囲の反対を押し切って結婚したと聞く。確かに今は幸せそうだが、お嬢様育ちの由里が一目ぼれした相手と結婚したことに、不安がなかったのだろうか。

 もし、自分に、そんな相手が現れたらどうするだろうか? 由里のように自分の気持ちを貫き通せるだろうか。

 未希は、夏樹に告白をして断られたようだ。“好きになったから” と言って、率直に打ちあけることは、実に潔く彼女らしい。

 対照的に、沙也加は、好きになった、と言いながらも、相手の “人柄”と、気持ちを をじっくりと探っているのだろうとも。


 そして夏樹のことを考える。

 

 初めてパリで会ったときは、困っている人を助けただけで、それ以上の関心はなかった。les quatre saisonsで、顔を隠しているときは、おかしな客だと思い、仕事として係わった。


 壊れた水道を直している真剣な姿を思い出し、顔を赤くして茉莉香はうつむいた。

 考えは続く。

 彼には、借金があると聞く。だが、社会に出れば、働いて何としてでも返すだろう。

 

(嫌だ、私ったら何を考えているのかしら?……)


 茉莉香は、他人の金銭の問題を考えたことを恥じた。









 


 時計は四時を回っていた。



 マンションの一階にあるles quatre saisonsでは、亘はが細長い物体と格闘していた。


 沙也加を送るために降りてきた茉莉香が、物音に気づき入って来た。


「クリスマス・ツリー!」


 沙也加と同時に歓声をあげた。


「いやぁ、その、組み立て方がわからなくてね」


 店の物置にあるツリーで、毎年クリスマス・シーズンに店に飾るためのものだ。


「手伝います!」


 茉莉香と沙也加が駆け寄った。未完成のツリーの横には段ボール箱があり、そこには、サンタクロース、トナカイ、樅ノ木、スノーボールなどの小さな置物がある。どれも古めかしいが、素朴で趣味のよいものだ。


「これをテーブルの生花の横に置こうと思ってね」


「あと、今日これ、由里さんが届けてくれたんだ」


 亘は紙袋を軽く持ち上げて見せる。

 袋の中身はリースだった。姫林檎、ヒムロ杉、ヒイラギ、松ぼっくりでできた、赤と緑を基調としたオーソドックスなものだ。由里の手作りだと言う。


「すてき!」


 またまた、二人揃って声をあげる。


 ツリーは一メートルくらいの高さだった。二人は楽しそうにそれを組み立てていく。

 自分には出番がなさそうだと考えた亘は、二人に任せることにした。

 彼女たちは実に手際がよかった。静かに、でも、時折小さな笑い声をたてながら作業は続けられた。


 若い娘たちがツリーを組み立てる姿は、微笑ましいものがある。やがて、亘はあることに気づいた。

 二人はなんとなく似ているのだ。華奢で顔立ちのはっきりした茉莉香と、ふっくらとした体形に、日本的な顔立ちの沙也加が似ているはずもない。同じなのは身長くらいだ。


 雰囲気、立ち振る舞い、そういったようなものだろうか? と、考えていると、亘が二人を見ていることに気づいた茉莉香が、彼を見て小さく笑う。沙也加も同時に亘を見て笑う。そして、何がおかしいのか、二人で顔を見合わせて笑う。


 亘は目をぱちくりとさせた。


  娘たちは、言葉を交わすこともなく、それぞれオーナメントを手に取る。それが重複することはなかった。一人が飾り付けると、もう一人がそれとバランスのとれた場所に飾り付ける。


 沙也加は、おっとりとしているが、決してぼんやりとした娘ではなかった。茉莉香が欲しいものがあると、さっと手渡しをしていた。茉莉香も同様だ。

 見た目では、ゆるゆると子どもが遊んでいる様に見えるが、ツリーはみるみる間に完成に近づいていく。

 二人が並んで笑っていると、二つの小さな花が風にそよいでいる、あるいは美しい天女が神事をおこなっているように見える。


 以前、由里が言っていた言葉を思い出した。


「茉莉香ちゃんの通う精涼学院女子大ってね、男子学生に抜群の人気なの。勉強に明け暮れてきた男の子なんて特にね! 地方から出てきた子なんて尚更よ!」


 夏樹が茉莉香に一目で夢中になったのも無理はないと、亘はあらためて思った。


 二人は会話らしい会話をせずに、作業を進めていく。

 

 おそらく、幼いころから相手の口調、目配せ、顔色を読みながら過ごしてきたのだろう。それは、相手に対する思いやりもあるだろうが、そうしなくては少女たちの輪から外されてしまうことを恐れてのことかもしれない。

 

 目立たず、穏やかに、それでいていつでも人の役に立つことができるように育てられてきたのだ。


 そして、そこを一時的とは言え、追われた茉莉香の気持ち思う。

 また、そんな茉莉香に会いに来た沙也加の勇気を思い、退学した澤本知佳を思った。茉莉香の父親を守るために必要だったとはいえ、亘は知佳の父親が逮捕されることに加担したのだ。



「亘さん。できましたよ!」


 二人が声をそろえて言う。まるで天使のコーラスのように。


 我に返った亘の前に、ポインセチア、ボール、天使、リボンで飾り付けられたクリスマス・ツリーがあった。

 

 外はすでに暗く、ツリーの電球が静かに点灯している。

 

「ああ、ありがとう。お茶でも飲んで休憩しない? 沙也加ちゃんは、茉莉香ちゃんと一緒に駅まで送るから。家に電話をするといいよ」


「はい。ありがとうございます!」


 亘がメイプルティーを持ってきた。甘い香りが漂う。


「よかったらミルクを入れてね。お菓子は貰い物のマロン・グラッセがあるけど」


「はい。いただきます」


「いい香り〜」


 三人はできたばかりのツリーを眺めながらお茶を飲んだ。

 

 駅までの道を茉莉香と沙也加はしゃべり続けていた。よくそんなに話すことがあると思いながらも、沙也加のささやくような声と、茉莉香の小さく弾む声による会話は音楽のように耳に心地よい。

 

 駅に着くと、二人は何度も別れの挨拶をした。


 別れ際沙也加が、


「今度、茉莉香ちゃんのお家に行きたいな。おばさんにも会いたいし」


 茉莉香の目元が潤んでいる。



 沙也加と別れたあと、茉莉香と亘はあれこれと話をしながらマンションへ向かった。


「亘さん。由里さんのご主人は、年内は日本にいるんですか?」


「そうだね。でも、年が明けたらニルギリの買い付けにいくからなぁ」


「そうですか」


 茉莉香は家を空けがちな自分の父親のことを考えると、由里のことが他人ごとではないという。


「でも、由里さんもお店があるし……」


 と、亘は言葉を濁した。


 由里の夫は、国内に居ようと国外に居ようと、常に家を空けがちである。周囲の反対を押し切って結婚したため、由里は愚痴を言うこともままならなかった。

 それに加え渡航先は、インド、スリランカ、中国、時にはアフリカに行くこともある。気候も治安も悪い地域もあり、心配が絶えないだろう。

 les quatre saisonsはそんな彼女の支えになっているのかもしれない。


 だが、その店でさえ、息子のクラスの学級崩壊がきっかけで、閉店の危機に追い込まれたのだ。あの事件がなければ、彼は受験をすることなく、そのまま地元の公立中学校へ通っていただろう。亘が店長を引き受けなければ、今頃、一階には別のテナントが入っていたかもしれない。

 

 突然の出来事の前では、人は為すすべがなくなってしまうのだろうかないのだろうか?


 亘は理由も告げられずに、失脚した過去の自分と重ね合わせて考えた。普段はあまり考えないようにしていることだが、時折脳裏をよぎる。

 

 

 そんなときだ、


「クリスマス会開きませんか?」


 茉莉香が言った。

 そして、遠慮がちに続ける。


「みんなの予定が合えばですけど……」


「そうだなぁ。それぞれ予定があるからねぇ。ちょっと考えてみようか」


 茉莉香が嬉しそうに手を小さくたたいた。

 そのなにげないしぐさで心が温かくなる。




 過去を悔やむのは止めよう。

 天女たちがいれば、どんなことがあっても最善の道を歩けるのかもしれないのだ。


 
















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