第17話 セイレーンの昼餐会-2

  “面接のよう”という夏樹の勘は当たっていた。由里は彼を見極める為に食事会を開いたのだ。

 そして、一目でこの青年が気に入ってしまった。亘の話では、どうしようもない悪童のように聞こえるが、礼儀正しいし、容貌も悪くない。

 自分の真意をうかがって緊張する姿が、むしろ好ましく感じられる。



 ダージリンの春摘みファーストフラッシュ


 

 青々とした爽やかさ。清々しさ。

 カップに口を付けた瞬間、立ちのぼっては消えていくはかない香気。


 夏樹のたたずまいは、春摘みの清廉せいれんさを思わせた。


 苦労人だと聞くが、それが顔に出ていず、育ちの良い青年にしか見ない。

 苦難にも負けない精神力。それがすべてを跳ね返している。

 強い意志が現れ輝く瞳。

 この目には見覚えがあった。由里は初めて生涯の伴侶に出会った日を思う。


 茉莉香に歯がゆさを感じた。こんなにいい相手に思いを寄せられて、無頓着でいるなんて、なんてもったいないことだろうかと。

 


 

 久しぶりに会う者同士は再開を喜び、近況を語り合っていた。


 由里が彼女と茉莉香以外が初対面の人物を紹介する。


「こちらがカメラマンの本田佳治ほんだよしはるさんよ」


 学生時代柔道をやっていたという体格の良い、由里と同じ三十代半ばぐらいの朗らかな男性だ。


「はじめまして」


 一斉に挨拶をする。



「じゃあ、お食事にしましょう」


 お茶とパン、ニース風サラダ、ミートローフ、海の幸とトマトソースのラザニアがふるまわれた。食後にはオレンジババロアと木苺のパイが出され、どれも美味しく会話がはずむ。

 ようやく今日集まりの目的が果たされようとしていた。

 本田がタブレットを取り出し、画像を見せ始める。


「茉莉香ちゃんが“ヨーロッパ”って言ったみたいだけど、正確にはフィレンツェだけなんだ」


 ヴェッキオ宮殿サン・ジョヴァンニ洗礼堂サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂…………ひとつひとつ見ていく。


「すごいなぁ。これ全部、現地で撮ったんですか?」


 それまで浮かない顔をしていた夏樹が身を乗り出してタブレットをのぞき込んできた。


「うん。今回は由里さん本のお手伝いをしているけど、本業は建築物の撮影で、僕自身も本を出しているんだ。君は建築の勉強しているんだって?」


「はい」


 本田の問いかけに夏樹が返事をする。

 本田は夏樹の受け答えに満足したように頷いた。


 

 画像を見ているうちに、茉莉香が、


「このお庭素敵!」


 と、ある建物に目を留めた。


「これはね。メディチ・リッカルディ宮殿の中庭だよ」


 本田が茉莉香に顔を向けて話し始める。


「民衆の妬みを恐れて、外観を地味にしたって言われているんだ」


「それで人目につかない中庭や礼拝堂が素敵なんですね」


 夏樹と茉莉香は本田の話に聞き入っていた。





 本田は以前は由里の店の常連だったので、由里と亘は顔見知りである。


「この人ね。仕事がうまくいって、忙しくなった途端にお店に来なくなってしまったの」


「いやぁ」


 本田がすまなさそうに笑って頭を下げると、


「まぁ、まぁ。忙しいことはいいことですよ」


 と、亘が取り持つ。


「そうねぇ。忙しくて来られないのはいいことよね」


 由里が亘を見た。

 

 亘は風向きの悪くなったことを感じた。


「あ! そう言えば! 北山君は樋渡さんのところで、いい仕事をしているらしいね。紹介した僕も鼻が高いよ」


 自分から関心をそらすために、夏樹の話題を持ち出す。


「へぇ。若いのに感心だ」


 本田が夏樹に視線を戻した。

 さらに注意が夏樹に向くように、亘が話を続ける。


「ところでだ……樋渡さんがもう少し働いて欲しいって言っているんだけど、まだ忙しいの?」


「あ……その……」

 

 夏樹が口ごもり、茉莉香と顔を見合わせる。


「えっ、何? 聞きたいわぁ。亘さんも聞きたいでしょ?」


 由里は二人が隠し事をしていることに気づいた。


「こんなところで話すのに相応しい話ではありません」

 

 夏樹が静かに言った。

 恐らく、身内の恥を晒すことに抵抗があるのだろう。

 だが皆の視線を受け、観念したようだ。

 渋々と話始める。


 将太という幼馴染に母親が、よくない相手と係わっていること、自分はその証拠を集める為に奔走していることなどである。



「それって、結婚詐欺じゃない?!」


 久美子が叫ぶ。


「久美子さん」


 茉莉香が小声でたしなめた。


「すみません。せっかくの食事会で」


「いいのよ。みんなで考えてあげない?」











 夏樹は肩の荷が下りるのを感じていた。


(皆が自分を助けようとしている)


 経験のない事だった。


 だが、由里が面白がっている様に見えないこともない。


 声は優しいが逆らい難い、歌声で海に引きずり込む海獣をなんと言っただろうかと思い出そうとしたが、できなかった。



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