第18話 コンゲーム

 小さなバルでセールスマンらしき男が、若い女にアタッシュケースに詰められた装飾品を勧めている。


 女は仕立ての良い服を着ている。男の方はぎこちなく、セールスには慣れていないようで、やや声が上ずっていた。


「普通はこの価格では買えませんよ。菜賀さいが様だから特別にお話を持ってきたんです」


「わっ! うれしい。じゃあ、今日はこの指輪だけ買おうかしら」


 上品な身なりの割には声が大きい。それに気取ったような感じが否めない。

 彼女は紙幣を何枚かとり出して、その場で大きな石の付いた指輪を買った。

 

 セールスマンは、ぺこぺこと頭を下げながら店を出て行った。店には女が一人残り、買ったばかりの指輪の付いた指を、うっとりと目の位置でかざして見ている。


 その様子をカウンターの向こうで見ていた男が、飲み物を運んできた。この店のオーナーである。

 人当たりはいいが、洗練された物腰は取ってつけたようなわざとらしさがある。慣れた様子で女に笑顔を向けてきた。


「あれ! その指輪いいですねぇ。失礼ですが、お値段をうかがっていいですか?」


 女は、指輪のはまった手をいとおしそうにもう一つの手で覆いながら値段を言った。


「それはお買い得ですね! 宝石、お好きですか?」


「はい。誰も持っていないような一品モノが欲しいんです」


 と、甘ったるい声で言う。


 男がにやりと笑ったのは一瞬だった。そして、控えめな態度で、


「そうですか……いや、私も知り合いが宝石商をやっていましてね。でも、それには負けるかなぁ」


 と、女のつけている指輪を、いかにも敬意のこもったような目で見ながら言った。


「お知り合いに宝石屋さんがいるんですか?」


「いるにはいるんですけどねぇ。誰にでも売るというわけではないんです」


「そんなぁ。私ではダメなんですか?」

 

 女が拗ねたように言うと、


「じゃぁ、今度話をしてみますよ。取引できるかお約束はできませんが」


 男がもったいぶったように言う。


 女は連絡先を彼に教えた後バルを出て歩き、少し離れたところにあるカフェに入った。


 夏樹と茉莉香が先に座って待っていた。


「ひっかかったわよ!」


 女はきれいに化粧をした未希で、由里に借りた品の良い服を着ている。見た目だけは、いかにも金持ちのお嬢様という姿だ。

 セールスマン役は荒木だ。


 未希は芝居が大げさすぎるし、荒木にいたってはド素人だ。

 胃が痛むような思いでここに待機していた夏樹は、ほっと胸をなでおろした。

 


「二人ともすごく、お芝居上手ですね!」


 茉莉香が感激して言うと、


「本当!?」


 と、未希が嬉しそうに言い、


「いやぁ……」


 と、初めての経験で興奮気味の荒木が照れながらこたえる。


 無邪気に喜びあう三人を横目に、夏樹はこの奇跡のような成功を神に感謝した。

 

 未希が買い取った宝石は劇団で小道具として使っているもので、派手な装飾がされてはいるが、イミテーションとしてもいまいちのものだ。だがその方が、むしろ効果的だろうと夏樹は考えた。未希がこの程度の偽物に引っかかる女だと値踏みされると予想したからだ。


 久美子が遅れて同席する。少し離れた席で一部始終を撮影し、その様子を夏樹と茉莉香がパソコンで見ていたのだ。


「“その指輪いいですねぇ。”って見え透いたこと言って、いいカモだと思ってバカにしてたのよ!」


 未希と久美子が腹立たし気に言い合う。将太の母親の話とはいえ、女の敵に対する嫌悪感はすべての女性に共有されるのだろうか。


「あとは連絡を待つだけですね!」

 

 荒木が意気揚々と言う。

 

「夏樹君の調査によると、彼は宝石に鑑定書をつけて売るというから、それと領収証を警察に持って行けばいいわ。写真の女性の数だけ余罪がありそうだから調べてくれるんじゃないかしら?」


 この作戦の大まかなあらすじを考えたのは久美子である。彼女も自分の計画が順調に進み、満足そうだ。


「本当なら、将太がお袋さんのところから拝借してくればいいんだけど、あいつには荷が重そうだからな」


 夏樹はこの計画に将太を加えなかった。将太に自分の母親の愚かさをこれ以上見せつけるのは酷過ぎる。


「でも……このやり方だと、お金が返ってこないけど」

 

 久美子が心配そうに言った。


「ああ」


 夏樹が憂鬱そうに俯く。


 親方に相談をしたころ、二つ返事でまとまった現金を渡された。

 ただし、“貸し”である。


(また、借金が増えちまったぜ……)


 これで上手くいかなければ報われない。



 数日後、男から連絡があり、買い取った宝石と鑑定書を警察へ届け出た。



 

 結婚詐欺として男が新聞を賑わすのにそれほど時間はかからなかった。店の経営資金を捻出するために詐欺を働いていたのだ。

 女たちに結婚をちらつかせ宝石を買わせる、いわゆる『デート商法』というものである。




 これで結婚だけはひとまず妨げられたと、安心したのも束の間だった。

 母親が倒れたと将太から連絡が入る。



 夏樹と茉莉香がそれを知ったのは、les quatreカトル saisonsセゾンで由里と亘に事の顛末を報告していた時だった。将太から夏樹に連絡があった。


「それで、お袋さんの容態はどうなんだ?」


 将太が答えているのだろう。夏樹はしばらく黙って聞いていた。やがて、緊張に満ちた表情に、安堵の色が現れる。


「ちょっとした過労で、しばらく安静にしていれば良くなるそうです」


 電話が終わると、亘と由里に報告をした。


 偽の宝石を買うために無理をして働いていたことに加え、結婚を約束していた相手が詐欺師だと判明ことがショックだったのだろうという。


 由里、亘、茉莉香もそれを聞いてひとまず安心したようだ。




 夏樹は、即座に荷物を手にする。


「俺病院に行ってきます」


 面倒なことではあるが、やはり将太とその母親のことは心配だ。


「私も行きます」


 茉莉香も素早くコートを羽織る。


「茉莉香ちゃんはいいよ」


「なぜ? 私も行きます」


「大した事ないんだよ」


「でも、行きます」


 茉莉香に押し切られる形で、二人は病院へ向かった。







「若いっていいわぁ〜」


 うらやましそうに呟く由里を、亘は不思議なものを見るように見た。

 本の出版の件で、あれだけ、疲弊しきっていたのに、こういう時に湧き出るエネルギーはどこから来るのだろう? ランチ会といい、今回のことといい、別腹というものだろうか? 感心するよりも呆れる気持ちの方が強い。


「それにしても、田中君のお母さん大したことないとはいえ心配ですね」


「そうねぇ。体調が戻ったとしても、問題はそれだけじゃないみたいですからね」


 亘は、これを契機に問題が良い方に向かうことを願った。

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