第7話 ある夜の会話

 三人はテーブルに突っ伏して寝る二人を恐る恐る覗き込んだ。



「二人とも酔い潰れてる。未希さんはそんなに飲んでなかったはずなんだけど」


「とにかく、未希さんは久美子さんが送ってくれないかな?」


 亘は未希の住所を渡す。従業員として非常事態に備えて控えておいたものだ。


 夏樹の家は知らないので、亘の家に泊めることにした。


 一台のタクシーは、すぐにつかまり、未希と久美子を乗せて走り出す。


 ところが、もう一台がなかなか来ない。歩道のベンチに座りながら、夏樹を挟んで荒木と亘が話し始めた。


「岸田さんは彼と同じことを感じていたんですね」


「う……ん。まぁね。それに普段から未希さんと一緒にいるから」


 仕事に慣れると、それ以上進歩の見られない未希に歯がゆさを感じたこともある。だが、バイトの人に、それ以上求めるのは筋違いであるとも考えていた。


「彼はすごいですね。芝居に詳しいわけでもないのに、一瞬で本質を見抜いてしまった。それに……」


「それに?」


「彼は“未希さん”をきちんと見ていましたね。はじめからそのつもりだったんでしょう。嫌々だったみたいだけど、見るべきものを決めて来たんですね」


「目的意識か。でも、君もそれなりに得るところはあったんじゃないかな?」


 荒木は照れたように笑った。


「ええ。あの背景や衣装のデザインは動画に取り入れたいですね。でも、たまたまですよ」


「いつもアンテナ貼っているんだろう? 普段から備えがなければ、“たまたま”もないよ」



 車は来そうにない。


(ここにこのまま置いていっても、彼なら平気そうだけどな)


 亘は夏樹の寝顔を見る。少年の面影を残した端正な顔立ちをしている。自分で切ったであろう髪はくせ毛だった。

 

 これがあの悪態をつく人間と同一とは信じられない。


「彼は本物かもしれませんね」


 荒木がぼそりと言う。


「本物?」


「何を目指しているのか、さっき聞くことができなかったけど、本物になりそうな気がします」


「本物か……」


 その都度何をすべきか瞬時に判断し、常に目的意識を持って努力し続ける。

 恵まれているとは言えない経歴でありながら、国立大学に合格したのはその結果だろう。そういった積み重ねの末にたどり着ける世界だ。


 亘は水道の修理をするときの夏樹の俊敏さと、真摯な眼差しを思い出す。

 後日依頼した業者が応急処置のレベルではないと感心していた。



 荒木はおもむろ


「岸田さん。研究やめちゃったのですか?」


 と、尋ねた。


 亘が長年続けた研究をやめて、店の経営に専念してしまったのではないかと気に病んでいたようだ。



「いや、ひとりで細々と続けているよ」


「ああ、よかった。岸田さんも“本物”ですからね」


 亘について、研究室のあるポストにつく直前で話が流れたという噂が流れている。上役に嫌われたとか、派閥争いに巻き込まれたとか、様々な憶測がまことしやかに囁かれているが、本当のことは亘自身にもわかってはいないのだ。

 荒木は、その噂をどこからか聞いていたのだろう。 


「それはどうだろう?」


 亘は苦笑した。



「俺なんかなあ、何やっても中途半端で。体系的に勉強したことないし……それなのに動画配信したりして」


 荒木にしては珍しい自虐だ。


「いや、あの動画はよくできているよ」


「本当ですか!」


 途端に荒木の表情が晴れやかになる。




「あの……お願いがあるんですけど、監修やってくれませんか?」


「?」


「俺の知識じゃ、薄っぺらというか、表面的というか……。できれば、補足してもらったり、考察とか入れてもらえるとありがたいんですけど」


「ええっ!? 困るよ」


「お願いします!!」


 いつもの熱意のこもった、押しの強い目だ。


「うーーん。まぁ、どの程度協力すればいいのか、それによっては考えても……」



「ありがとうございます」


「考えるだけだからね!!


 亘にしては語気が強い。



 困ったものだと思った。荒木はもう引き受けてもらえたよう気になって、うきうきとした顔をしている。


(まぁ、いいか。引き受けたわけじゃない。考えるだけなのだ)


 自分にしては呑気なものだと亘は思った。

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