第3話 初めてのアルバイト

「あらー! 茉莉香ちゃん。よく似合うわ。丈もちょうどいいわね。目が大きくて、まつ毛が長くてお人形さんみたい」


 由里が茉莉香の姿を見ながら、嬉しそうに言う。


 茉莉香はこのカフェの制服である、ヴィクトリア朝のメイド服を着ていた。

 今日からウエイトレスとしてのバイトが始まる。

 

 メイド服は黒で、白いリボンタイにひだのたくさんついたエプロンにヘッドドレスがついている。


「ありがとうございます」


 “お人形さんのよう”と言われると、恥ずかしいが、褒められると嬉しい。

 茉莉香は、背中まである長い黒髪をひとつに束ね、ヘッドドレスをつける。

 鏡の中をのぞくと、別人のような自分がいた。


「なんだかドキドキします」


「教えたとおりにやれば大丈夫だから。落ち着いて。そろそろお客様がいらっしゃるからよろしくね」


 茉莉香が店内を見回す。


 アイボリーを基調とした内装に、カーペットが敷き詰められた床。窓にはレースのカーテンがかけられ、白いクロスで覆われたテーブルには生けた花が飾られている。


「ステキなお店ですね。ここで働けるなんてワクワクします」


「そう言ってくれるとうれしいわ。じゃあ、よろしくお願いね!」


 由里はそう言って、白いエプロンを身に着けた。


 いよいよ開店時間だ。




「こんにちは」


 ドアが開き、年配の女性が二人窓際の席に座り、メニューを見始めた。茉莉香は頃合いを見はからって静かに近づいていく。


 茉莉香にとって初めての接客だ。

 気を引き締めなければならない。

 客に気づかれないように、ふっと、静かに息を吐き、心臓の高鳴りを抑えた。


「ご注文がお決まりでしたらお伺いしますが」


 やわらかい声と笑顔で客を迎える。


「そうね……アッサムティーをミルクで二つ。あと、『今日のサンドイッチ』は何かしら?」


「生ハム、きゅうり、スモークサーモン、チキンのリエットです。それにミニサラダがつきます。少し多めですので、ケーキをご注文なさるなら、お二人でシェアなさると丁度いいと思います」


「今日のケーキは?」


「白桃のタルトとミックスベリーのチーズケーキです」


 振り返ると、由里がそっとOKサインを指で作っている。


「じゃあ一つずつお願いね」


(やった! 上手くお客様をお出迎えで来たわ!)


 初めての経験に心が躍る。


 ポットとカップをテーブルにセットし、砂時計をひっくり返しながら置いた。


「砂が下に落ちきったら飲み頃です。どうぞごゆっくりお過ごしください」


 サンドイッチの美味しさに、喜ぶ客の声が聞こえる。


「こんにちは」


 二組目の来客だ。


「いらっしゃいませ」


 始めの成功で緊張が解け、笑顔が自然にこぼれる。


「キャンディをアイスティーでお願い。そうねぇ。レモンティにしてね」


「かしこまりました」


 キャンディはスリランカ産の茶葉である。水色すいしょくが鮮やかなために用いられる。渋みの少ない軽やかな味わいが魅力だ。


「キャンディをアイスティーでお願いします」


「わかったわ!」


 快活な由里の声が、快い緊張感を運ぶ。


 淹れたての熱い紅茶を大量の氷で冷却すると、透明感のある美しいアイスティーが出来上がる。この作業は慎重に手早くしなくてはならない。

 慣れた由里にとっても、緊張する瞬間だ。


 果実やキャラメルなどの香料を加えたフレーバーティーも人気である。


「洋梨と巨峰をひとつずつお願い」


 それぞれ別の茶を頼んで、交換し合う客も多い。


 お茶とスコーン、ケーキ、サンドウィッチ……みなが好きなものを注文しては、会話に花を咲かせる。


 由里が、その光景を満足そうに眺めている。

 茉莉香にとっても、幸せそうな人々を見ることが嬉しい。


 そして時計が14時30分を指した。


「ラストオーダーの時間ですが、追加のご注文はございませんか?」


 茉莉香がテーブルを周って歩くと、


「いえ、もうけっこうですよ」


 客たちが穏やかに応える。


 こうして三時に店は閉店となった。


 店の営業時間は、午前11時30分から午後3時まで、小学生二人の子どもの世話と、夫の事業の手伝いに支障が出ない範囲で店を開いている。


「ありがとうございました。またお越しください」


 初日が無事に終わり、茉莉香がほっと一息ついていると、


「茉莉香ちゃん。よかったわよ! お茶のこともよく覚えていたし、なんって言っても、お店のイメージにピッタリ」


「本当ですか? よかったぁ」


 茉莉香の顔に安堵の笑みがこぼれる。初日は無事に終わったのだ。


「今日は私が後片付けをするわ。もう上がってね。お疲れ様。あと、これ、スコーン食べてね」


「わ! まだ温かい」


 茉莉香が、紙袋の温かさを楽しみ、頬を寄せると、香ばしい香りが漂ってきた。


「ありがとうございます!」


 無事に仕事を終えた安心感と達成感が込み上げる。

 心地よい疲れを感じながら、自室へ戻っていった。



 

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