アレがアレしてアレになっていくアレ

ちびまるフォイ

すべてがアレになる

「あーー、君。この資料をアレしといてくれ」


「アレ……とは?」


「わかるだろう。アレだよ、アレ」


「え、ええ……?」


「察しが悪いな。もういい自分でやる。アレと言ったらアレだろう」


上司は苛立ちながらアレの中に資料を入れた。

アレは音をたててバリバリと紙を飲み込み細い短冊状に切り刻んでいく。


「君な、これから仕事をしていくには

 みなまで言わなくとも理解することが必要だよ。

 それがコミュニケーションというやつだ。わかるね」


「いや、単にあなたがアレなんて言い方をしなければいいだけでは?」


「だって名前が長いんだよ! いちいち口に出すのがめんどうだ!」


「自分で動いているほうがめんどうでしょう!?」


「口答えするな! アレにするぞ!」


その後もしこたま怒られてしまった。

自分も年を取ると忘れっぽくなってしまうのかと不安になった。


「ただいま……。今日は疲れたなぁ……。ん? 着信が来てる」


彼女からの着信がどっさりと来ていた。

その着信数が物言わぬ怒りを表現していてならない。


『私達が付き合ってから1ヶ月目の記念日じゃない!

 なのにどこも予定を聞かれてない! 忘れてるんでしょう! ひどい!!』


「ワ、ワスレテナイヨー……」


上司の物忘れを心配するどころではなかった。

なにか1ヶ月記念のプレゼントを買いに行くことにした。


「いらっしゃいませ。なにをお探しですか?」


「えーーっと……アレです……あの、こういう……丸いアレです」


「アレですね。かしこまりました」


「えっ、いまのでわかったの!?」


さすが店員さんはスペシャリストだなと感心した。

通されたのは高額商品が並ぶ棚だった。


「こ、これは……?」


「"アレ"でございます」


値札を見るとどの商品にも名前が「アレ」になっていた。


「いや、違うんです! 俺がほしいのはアレです!」


「アレならここにあるでしょう?」


「このアレじゃなくて! 別のアレです!」


「どのアレですか?」


「あーーもうっ」


名前が出てこないので検索の力を借りる。

検索結果に出てくるのは「アレ」ばかりだった。


「どうなってんだ……どこにも名前がないぞ……?」


自分が探しいる商品名だけではない。

すべての名詞が「アレ」なっている。


店員さんには画像を見せて「ああ」と納得してもらったあと、


「最初からそうしてください。アレじゃわかりません」


と小言を言われてしまった。

ともあれ「アレ」を変えたので彼女へのプレゼントは問題ない。


「今日が付き合って1ヶ月記念日だってこと忘れるわけないだろう。

 サプライズしたくて知らんぷりしていたのさ」


「好き……! ///」


「俺もだよ」

「本当に?」

「本当さ」


「本当に好きならちゃんと言って」


「俺は君のことが大好きだーー!!」


「ダメ。ちゃんと私の名前を言って」


「もちろ……んんっ?」


彼女の名前が出てこない。

出てくるのは「アレ」というだけ。


「どうしたの? まさか私の名前言えないの……!?」


「ち、ちがうよ!? そんなわけないじゃないか!」


「ひどい! 本当は私なんていくつもいる彼女のひとりなのね!

 私はただの遊びだったのね!」


「俺には君しかいないよ! 本当だ!」


「嘘よ! 名前も言えないくせに! もう信じられない!」


「ああ、待ってくれ! 話を! 話を聞いてくれ!」


「アレのバカーー!! もう知らない!!」


彼女は泣き叫びながら去っていった。

取り残された俺はぽつんと思った。


「自分だって俺の名前言えてないじゃん……」


その翌日に全国で「緊急アレ宣言」が発令された。


『みなさん、全国がアレになっています。

 アレを聞いた人は言葉にアレが含まれるようになります!

 不要不急の会話は控えてください!』


テレビのニュースは狂ったように同じことを伝えていた。


「アレ」と聞いただけで自分の言葉が「アレ」に侵食され、

しだいに語彙を奪われてアレしてしまうという恐ろしいアレ。


「奥さん、今朝のニュース見ました?

 アレ感染者が増えているんですって」


「まぁ。ほんとアレねぇ」

「アレよねぇ」


アレにより名詞だけでなく動詞もどんどん蝕まれていった。

それでも必死に伝えようとすればするほどアレを連呼するようになり、

アレがアレを広げてアレになるほどアレな状況だった。


しだいに言葉が3ぶんの1も伝わらないもどかしさから、

人々のあつれきはどんどんアレになっていき戦争待ったなしのアレになった。

核ミサイルを鼻先に突きつけあっている。


「これはアレだぞ……アレばかりで指示していたら、

 アレの解釈を間違って大変なことになりかねない。

 しかしいったいどうすれば……」


アレの感染拡大は止まらない。

ネットもテレビもアレに侵食されている。


そのとき、ふと自分の部屋で山積みにされている漫画を見つけた。

漫画を開くとそこにはアレにより失われた言葉がいくつもあった。


「そ、そうだ! アレはシュレッダーだった!!」


頭の中の霧が晴れたような気分だった。


人間の言葉やネットや音はすべてアレにされても、

紙に残っている文字はアレなっていない。

「アレ」から言葉を取り戻すことができる。


「アレに言葉を飲み込まれてたまるかーー!」


俺は一心不乱に言葉をアレからすくい上げていった。

漫画が終わると今度は図書館や倉庫の本を読み漁り言葉をアレから取り戻していく。


「ダメだ! 口伝えでは全然待ち合わない!

 せいぜい友達ひとりふたりを救うしかできない!」


せっかく言葉を取り戻してもアレ感染者が再度アレさせてしまえば、

取り戻した言葉もアレにまた置き換わってしまう。


どうにかして一気にアレから救う方法はないものか。


図書館で文字を取り戻すかたわらで、

一気にアレをアレする方法を探しに探しまくった。


「み、見つけた! この方法ならいける!!」


俺はあらゆる辞書をミキサーに入れて細かく刻んだ。

液状になった辞書を蒸発させて雲を作った。


「さあ降れ! 文字の雨よ!!」


雲に貯まった文字水分が限界に達した。

季節外れの文字の大雨が全国へ降り注ぐ。


「思い出した……パンをとめるアレの名前はバッグクロージャーだ!」

「そうだ、トイレのスッポンはラバーカップだった!」

「どうして忘れてたんだ……針に意図を通すアレはスレッダーだった!」


辞書の雨に打たれた人はもちろん、

地面に吸い込まれた雨の空気を吸い込んだ人もアレの呪縛から解き放たれていった。


「やった……みんなの語彙を取り戻したぞーー!!」


こうしてアレから人々を解放し、最終戦争をも不正だ俺は英雄となった。

感謝をかねてテレビの出演が決まると快く受けることにした。


「今日はお越しいただいてありがとうございます。

 あなたがアレから世界を救ったヒーローですね」


「いえいえそんな。照れますね、ははは……」


「見てください。あなたが出ただけでうちの番組の視聴率は120%。

 すでに電波を届けていない場所からも見られている」


「驚きました。自分にこれほど影響力があるなんて思わなかった」


「いまや、あなたがこの世界の中心ですよ」

「それは言いすぎですって」


「この全国、いえ全世界、いえいえ全宇宙が注目しているこの番組で

 なにかあなたから伝えたいことはありますか?」


「そうですね……。俺から言えるのは一言だけです。

 アレはもう使わずに、ちゃんと名前を呼んであげましょう!!」


キャスターは深くうなづいて納得した。


「ほんと"ソレ"!」



その中継から、世界でソレがあらゆる言葉を飲み込み始めていった。

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