第22話「深月がキレた」


「遅れてごめーん!すぐに準備するね!」


暗い僕らの雰囲気を察してか、園田さんは明るい声で入ってきた。

彼女のキャラクターなのだろう、僅かに場の空気が和らぐ。



「園田さんも疲れてるでしょ?ちょっとだけ休憩しよう。」


「あぁ、そうだな。」



僕がそう提案すると、律人が賛同して伸びをした。

他のみんなもそれぞれ話をしたり、スマホを見たりして勉強の手を止めリラックスし始める。




「……ちょっと、これだけやっちゃいなさいよ。」


そんな中、陽葵さんが御影くんに注意する声が聞こえた。


「あぁっ!?休憩だって言ってんだろ。」



それを、御影くんは突き放す。

一瞬穏やかになりかけた空気が、再びピーンと張り詰める感じがした。



「相変わらず、中途半端な奴。…深月くんもこんな奴、放っておけばいいのに。」



陽葵さんがボソッと言った言葉は御影くんに届いていたようで、御影くんはガタッと音をたてて席を立った。



「テメェ、なんつった……?」



怒りを押し込めた低い声で、陽葵さんに詰め寄る御影くん。

けれど、陽葵さんは平然とした様子で引かない。



「あんたなんかに時間取られて、深月くんが可哀想だって言ったのよ。」


「あぁんっ!?勝手に入ってきて偉そうに言ってんじゃねぇぞ!」



ついに御影くんがキレて、大きな声で陽葵さんを恫喝(どうかつ)しようとする。



「ちょ、ちょっと駿!落ち着き……!」


「勝手じゃないわよ!あんたみたいなのが居る所で、由里を放っておけないから来てるんでしょ!」


園田さんが止めようとしたのも虚しく、陽葵さんも応戦してしまう。



ついに罵り合いが始まってしまい、園田さんももう間には入れず、洲崎さんや住吉くんもオロオロしている。

そんな中、由里ちゃんの表情は変わらず、これを見て何を考えているのかわからない。





「駿!やめとけ!」

「陽葵さん!ストップ!」



掴み合いに発展しそうな所で、律人が御影くんの腕を掴んで止め、僕は陽葵さんに向き合う形で2人の間に入った。



「陽葵さん、落ち着いて!」


「落ち着いてるわ。みんなの邪魔になるから、あいつを黙らせようとしただけよ。」



どう見ても冷静ではない陽葵さんそう言うと、御影くんがいる僕の背後から『なんだと、テメェッ!』と怒鳴り声が聞こえた。



「そもそもお前が来なけりゃ、こんな空気にならなかったんだろうが!邪魔なのはお前だろ!」


「おいっ!2人とも一回黙れ!」



律人の言葉にも聞く耳持たず、僕と律人を挟んだまま2人の言い合いは続いた。



「だから言ってるでしょ!私は由里が心配で来てるだけよ!」


「はっ!俺達だって頼んだのは武庫にだよ!だったら久寿川連れてさっさと消えろ!」





バンツ!!



「「!!?」」



僕は気付けば机を殴っていて、それに驚いた2人がようやく言い争いを止めた。



「……2人とも、周りをよく見て。勉強してるのは、僕達だけじゃない。その人達にも迷惑を掛けてるのを、わかってる?」



「「……。」」



僕の指摘でハッとした様子の2人は、気まずそうに視線を落とした。




こんなに怒ったのは、久しぶりだ。




でも、悪いのは僕だ。

勉強も、由里ちゃんも、陽葵さんと御影くんの関係も全部、一遍(いっぺん)にやろうとした僕が悪い。


だから……。



「……ごめん。僕がちゃんとしなかったから、みんなに迷惑を掛けたね。」


「いやっ、それは……!」



律人が慌てて否定しようとするのを、僕は手を上げて止めた。



「…陽葵さん。」


「……。」


陽葵さんは僕に呼ばれても、顔を上げられないでいる。

そのまま、僕は続けた。



「せっかく来てもらって悪いんだけど、今の陽葵さんは参加させられない。由里ちゃんが心配なら、由里ちゃんにも遠慮してもらうからもう来ないで。」


「えっ!?ちょっと、待って……!」



由里ちゃんが巻き添えになることに焦ったのか、陽葵さんが驚いた様子で顔を上げる。

でももう、陽葵さんの意見を聞くつもりはなかった僕は彼女が口を開く前に視線を由里ちゃんに向けた。



「そういうことだから、由里ちゃん。陽葵さんをお願いできる?」


「……。」



由里ちゃんは、僕のお願いに首を横に振った。



「由里ちゃん……。」


「深月が一緒じゃないと、嫌……。」



あくまでもいつもの調子で我儘を言う、由里ちゃん。

由里ちゃんのこの状況が分かっていないような態度に、僕はカチンときてしまった。


それを抑えて、なるべく優しく由里ちゃんを諭そうとする。



「由里ちゃん、今は陽葵さんと御影くんを一緒にはしておけない。けど、僕はちゃんとみんなの勉強を見てあげたいんだ。だから…。」


「……やだ。」



聞き分けのない事を言う由里ちゃんに、僕の頭にカッと血が昇った。



「由里ちゃん!君が陽葵さんを連れて行かないと、収まらないのはわかるだろ!?」


「……っ!」



はじめて僕に怒られて、由里ちゃんが怯えた表情を見せる。

その反応にハッとして、僕はやってしまった事を自覚した。




少しの静寂の後、陽葵さんが由里ちゃんの手を取った。





「……わかったわよ。行きましょう、由里。」


「……。」



呆然とした僕を残して、陽葵さんが由里ちゃんを連れて行く。



「……結局、あなたは由里よりこいつらを取るのね。見損なったわ。」



去り際に陽葵さんが残した言葉が、僕の胸に深く突き刺さった。










「由里、ごめんね。また邪魔しちゃって……。」


「……。」



陽葵に手を引かれるまま、私達はいつもの音楽準備室に来ていた。


気がついたらここにいて、陽葵に頭を下げられている。



私の頭の中はまだ何が起こったのか整理出来ていなくて、ただ、深月を怒らせてしまったという事実だけを認識していた。



「……深月に、嫌われた。」



それが、何より怖い。

震える声でポツリとそう呟くと、陽葵が焦った様子で慰めてくる。



「そ、そんな事ないわよ!深月くんは…、きっとただ、私と駿のせいで冷静じゃなかっただけよ。」



『もちろん、私もね……。』と自身の行いを悔いるように陽葵は顔を伏せた。



それから、お互い何も言えずにただ俯いていると……。





ガラッ



「お、誰だ?今日から部活は休みだぞー。」



「先生…。」

「……。」



私達が顔を上げると、そこには男性の音楽教師が立っていた。

口ぶりから吹奏楽部の顧問でもあるのだろう。



「ん?なんだ、お前ら部員じゃないよな?勝手に入っちゃダメじゃないか。」


「す、すみません!すぐ出ますから…。」



先生に注意されて、陽葵が慌てて立ち上がる。

すぐに反応できなかった私の手を引き、教室を出ようとすると、また先生が声を掛けてきた。



「おーい、ちょっと待ってくれ。そういやお前ら、もしかして深月が言ってた友達か?」


「えっ……?」


「いやぁ、あいつにはいつでも使っていいって言った手前、追い出す訳にはいかんな。…で?どうなんだ?」



先生の質問に、陽葵が答える。



「…はい、たぶんそうです。昼休み、一緒にこの教室を使わせてもらってます。」



陽葵がそう言うと、『そうか、そうか』と先生は楽しそうに笑った。



「ならどっちかが、あいつのコレだろ?」


先生はニヤつきながら、小指を立てた。

なんだかそのジェスチャーは、おっさん臭がすごい。



「うーん……たぶん、お前じゃないか?」


「……!」



私を指差して、そう聞いてくる。

先生のその行動に、陽葵がムッとした様子で言った。



「この子は、久寿川由里です。あと、私は塚口陽葵。」


「おぉ、悪い悪い。久寿川と塚口だな。」



先生に悪びれる様子はない。

ただ、訂正するように改めて私に問う。



「じゃ、久寿川がそうなのか?」


「……。」



質問の意味はわかったが、私は少し逡巡(しゅんじゅん)してから答えた。



「……まだ、違います。」



その答えに、先生は笑みを深くする。



「そうかそうか、あいつもやるなぁ。」


答えをちゃんと聞いていたのか、問い質(ただ)したくなるような先生の反応に、苦手意識が湧いてきた。



「……それで?あいつと何かあったのか?」


「……!」

「えっ…!?」



見透かされているかのような先生の質問に、私の心臓が跳ねた。

陽葵も驚いた様子で声を漏らす。



「正解らしいな。ま、嫌なら無理にとは言わないが、それなりにあいつの事は知ってる。アドバイスくらいなら出来ると思うぞ?」



私達の反応で、予想が当たったことがわかったのか先生がそう続けた。



「先生と深月くんは、お姉さんの旦那さんの友達だって聞いてますけど……?」



陽葵の質問は『それほど親しいのか』という意味を含んでいて、同じ疑問を私も抱いていた。



「あぁ、初めて会ったのは結婚式だが、それからあいつがここに入学するまでも数回会ってる。あいつの姉にもよく見てやってくれって言われてるしな。」


「そうなんですか……。」



『芙実ちゃんと遊んだこともあるぞ』と先生が笑い、陽葵がその説明に納得したように頷く。



「それで?どうする?」



相談するのかどうか、という問いかけだろう。

陽葵は任せるという事なのだろうか、私の反応を窺った。



「……お願いします。」


「由里、いいの?」



予想外の回答だったのか、陽葵が聞いてくる。

私はそれに頷いて答えた。



「……深月の事、もっと知りたい。そのヒントがもらえるなら、話す。」


「じゃあ、決まりだな。」



先生は微笑んで、自分の分の席を持って来て座った。



「あいつの未来の嫁さん候補の話だ。ちゃんと真面目に聞くぜ。」

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