化け物バックパッカーは川を下らない。

オロボ46

川はただひたすら同じ方向に流れていく。線路の上でさえ進む方向は自由だが




 その場所は、昼間だというのに光で輝いていた。


 輝いている場所は空ではなく、森の中を流れる川。


 太陽の光を反射して、夜空の星のように輝いていた。


 周りの緑が、星空の暗闇のように、川の輝きを引き立てていた。





 その川の畔で、ひとりの女性が頭を抱えていた。


「はあ……これじゃあ足りない……」


 若者らしいその女性は見た目の年齢で言えば20代。私服の上に黄色いライフジャケットを着ているが、どこか学生のような雰囲気を持っている。


 女性の目の前には、5人の若者が体育座りをして待機している。全体的な雰囲気で言えば、不安といらだちが少し見られていた。

 彼らの側には、8人乗りのボートが砂利の上に置かれていた。


「せめて、ふたりいてくれたらなあ……どこか近くにいれば……」


 そんな都合なことはめったには起こらない。


 裏を返せば、強運さえあれば起こるのだ。


 川の上りの方向から、ふたりの人影が歩いてきたのだ。


「!!」

 女性の顔はパッと明るくなり、すぐに5人に顔を見せた。

「すみません、すぐに戻りますので、先に体操していてください!」

 5人は戸惑うようにざわめいだ。

「えっと……ラジオ体操とか、そういうのでいいんで、とにかく体操していてください!」


 女性はすぐに5人の横を通り、ふたりの人影に向かって走り始めた。





「あのー、すみませーん」


 周りの景色を味わいながら下りてきたふたりの人影は、女性の声にふと立ち止まる。


 ひとりは老人だった。

 この老人、顔が怖い。派手なサイケデリック柄のシャツに黄色のデニムジャケット、青色のデニムズボン、頭にはショッキングピンクのヘアバンドという変わった服装をしている。

 その背中には、黒いバックパックが背負われていた。俗に言うバックパッカーである。


 もうひとりは、黒いローブを着込んだ人物だ。

 顔はフードで隠れていて分からないが、その体形は女性に近く、やや戸惑っているその姿は幼い少女のようにも感じられた。

 背中には老人と同じバックパックが背負われていた。

 



「あの、今ヒマですか?」

 恐れなくたずねてきた女性に対してふたりは戸惑い、互いの顔を見た。やがて、老人の口が開く。

「……もしも俺たちがヒマだったとしたら、どうするんだ?」

「ええ、ちょっと頼み事があるんですよ。といってもそこまで難しいことじゃないです。むしろ楽しいと思いますよ」

「具体的には、どういうことだ?」

 女性は歯を出してニヤリと笑うと、5人がいる方向を指さした。


 5人はちょうど、ラジオ体操をしていた。


「あたし、バイトですけどラフティングのガイドをしているんですよ」

 女子大学生の言った“ラフティング”という言葉に、ローブの少女はゆっくりと首をかしげた。その様子を見た老人が補足を入れる。

「ラフティングは、ボートに乗って川を下ることだ」

「……」

 ローブの少女は先ほどから無口を貫いていた。それでも、興味がわいたようにボートに目線を移している。

「君もラフティング、気になる? よかったらやってみない?」

 女子大学生に話しかけられると、ローブの少女は戸惑ったように足元と女性を交互に見る。

「要するに、ラフティングの人数に足りない分、俺たちで埋めようというわけか」

「ええ、本当は7人来る予定だったのが2人ドタキャンしちゃいまして……一応出来ない人数じゃないですが、人数が欠けているとどうしても気になっちゃうお客さんもいて……どうです? やってみませんか?」


 老人は確認を取るようにローブの少女を再び見た。

 ローブの少女は口に手を当てつつも、興味のあるように女子大学生を見つめ、やがて老人に向かってうなずいた。


「わかった。俺たちも参加させてくれ」

「わかりました! それではさっそく……」


 女子大学生は静かに両手の小指をくっつけ、ふたりの目の前に差し出した。


「……金、とるのか?」

「ええ! ぶっちゃけ、人数が少ないとあたしのバイト代が……あ」


 急いで口をふさぐ女子大学生に対して、老人は「そっちが目的か……」とため息を吐きつつ、財布を取り出した。






 老人とローブの少女は女性についていき、他の5人の若者たちと合流した。


 先ほど、女性に対しては良い反応を示さなかった5人の若者たちは、ふたりに対しては会釈やおじぎなどをして良好に接していたた。


 ただ、やはり初対面というべきか、若者たちは言葉を発しても「よろしく」などといった簡単な言葉をボソボソとつぶやく程度。中にはまったく口を開かなかった者もいた。




 7人は準備体操を終え、女性からひととおりの説明と練習を受けた。


「それじゃあ、今から川を下っていきますが……何か質問とかはありますか?」

 あまり会話の弾まない7人の中で、女性のたずねる声は目立っていた。しかし、川の音はその声を邪魔することなく、自然と合わせていた。

「あ、それじゃあひとつ聞いていいか?」

 手を挙げたのは老人だ。

「俺たちは飛び入りで参加したから聞きそびれてしまったが……今回のコースは初心者向けだよな?」

「はい。今回は川の中盤からですけど、揺れも少ないんでだいじょうぶですよ」

 その言葉に付け加え、女性は心配していると思われる老人に対して安心させるように笑顔を作った。

「心配しなくてもいいんですよ。ここにいるみんな、初心者ですし」

「そ……そうか、すまなかったな。なにぶん、この年だから体力が持つか心配でな……いや、だいじょうぶだ。もう弱音は吐かんよ」


 老人は申し訳ないように頭をかいた。






「……おい、ちょっと待て」


 ボートの1番後ろに乗り込んだ老人が、眉間にしわをよせた。

 8人を乗せたボートは今、浅瀬の上に浮かんでいる。岸辺につないでおいたロープのおかげで、勝手に流れていくことはない。

 

 8人はみな、上流の方向を向いている。これ自体は今の時点ではおかしいことではない。


「今、なんて言った?」

 老人が聞き返すと、女性は何を今更と言わんばかりに目を丸くした。


「なにって……上がっていくんですよ、川を」


 老人が言い返す暇もなく、女性はボートをつなぎとめていたロープを外した。


「それでは、いきますよ!」




 女性のかけ声に合わせ、8人は手にしていたオールで一斉にこぎ始めた。


 最初は老人とローブの少女がやや遅れめでこいでいた。


 ボートは一瞬だけ下りの方向に動いたが、


 すぐに、上りの方向に向かって進み始めた。


 まるで滝を登るコイのように、


 ボートは川の流れに逆らい、川を上がっていく。


 それでも、8人のオールを握る手には、力はあまり込められていなかった。




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