第三十五話 黒柴


 新年が明けてから十日ほど経過したある日の朝。

 テーブルに朝食を並べていたクレアが急にその手を止めた。



「あっ兄さま、サクラ姉さまが帰ってきましたよ」


「早くないか? 確か向こうを一月の中頃に出発する交易団の初荷に合わせて帰ってくる予定だったろ?」


「ですがサクラ姉さまの他に何人かの反応がありますよ」


「ま、とにかくサクラ以外の客がいるなら玄関に行ってくるわ。サクラの分の飯も用意しておいてくれるか?」


「はい兄さま」



 暖房魔法で適温に保たれたリビングを出て玄関へ向かう。「はいはいお帰りサクラ」と言いながら扉を開けると、嬉しそうにぶんぶん尻尾を振っているサクラ。

 その真横には着流し姿の長身の美男子が立っていた。

 完全に和風だな。袴はつけてないから時代劇の町同心みたいな恰好だが。



「ご主人様ただいまですっ!」


「おお、貴方があのクズリュー閣下!」



 長身の男はそう言うと、いきなりガバっと地面に這いつくばって見事な土下座を披露する。

 長髪の艶やかな黒髪が地面に広がり、まるで一輪の黒いバラのようだ。

 凄く美しい所作だし、巻き尾の尻尾もくるんと綺麗に股の下に隠されている。

 後ろに控える軽鎧を纏った兵士のような連中も慌てて土下座をする。


 なんなのこの状況……。



「ちょっ! 待って待って! ご近所さんに変な噂されるから土下座はやめて!」


「しかし……」


「お父さん、ご主人様はそういうの嫌がるからやめたほうが良いと思うよっ!」


「むっそうなのか。だが流石に礼を失してるのではないか?」



 額を地面にこすりつけたまま微動だにしない状態でサクラと会話をする不審な男。

 ってお父さん? シバ王じゃないか!

 不味い不味い! ラインブルク王国宰相の肩書程度で、隣国の連合国家の代表を土下座なんてさせたら国際問題になる!



「陛下、どうぞお手をお上げください!」



 俺も思わず土下座をして懇願すると、おずおずと顔を上げたシバ王が俺の土下座姿を見てまた頭を下げる。

 というか額をゴリゴリ地面に擦りつけ始める。



「閣下! なんと恐れ多いいいいいいいいいい!」


「擦り付けるのやめてえええ! 隣国の王の額から血があああ!」


「お父さんっ! ご主人様が困ってるでしょっ!」



 ゲシゲシっと父親を蹴るサクラ。

 とりあえず俺は立ち上がって蹴られまくっているシバ王を眺めていると、やっと落ち着いたのかおずおずと立ち上がる。

 後ろの護衛っぽいのはずっとプルプル震えて土下座状態だ。



「閣下、取り乱してしまい大変失礼を致しました」



 立ち上がると同時に九十度の角度でぺっこりお辞儀をして謝罪するシバ王。

 地面に髪がついちゃってるし、血もポタポタ垂れている。



「いや、こちらこそ陛下がお越しになるとは思っておらず大変失礼を致しました」


「閣下、そのようなお言葉遣いはおやめください。サクラより聞いておりますし、閣下のいつも通りのお言葉遣いでお願い致します。某のことは是非シバとお呼びください」


「いやしかしですね、陛下は一国の王というだけではなく、連合国家の代表であらせられるわけで……」


「いえ、是非お願い申し上げます。非公式の場でありますれば」


「……わかりました、いやわかった。シバ王も是非俺のことはトーマと」


「恐れ多い! 救国の英雄をそのようにお呼びするなどとんでもございません!」



 ずるくね?



「まあとにかく中へ、一緒に飯でも」


「いえいえそんな!」


「めんどくせー。サクラ!」


「はいご主人様っ! 行くよお父さんっ!」


「あ、そこのまだ土下座してる護衛の人たちも中へ。上下関係厳しそうだから王様とは別の部屋に食事を用意するから食べてって」


「「「はっ」」」



 部下の方が聞き分けが良いじゃん。

 一号を呼び出して護衛の連中を客室に案内させ、サクラとシバ王をリビングに通す。



「クレア、朝飯もう一人前な。あとサクラの親父の怪我を治してやって」


「はい兄さま……ってサクラ姉さまのお父さまですか?」


「そうですっ! お父さんですっ!」


「クレア様ですね! 娘が大変お世話になっております!」



 クレアを見るとまた土下座をするシバ王。いや黒柴。

 黒い柴犬って全体でも一割くらいしかいないから割とレアなんだよな。

 というか血がカーペットに付くから土下座はやめろ。



「サクラ」


「はいっ! お父さんご主人様が困ってるでしょっ!」



 ゲシゲシとまたサクラが父親を正気に戻す作業を始める。

 めんどくさいなこいつ。


 その後正気に戻って治療を受ける黒柴。そのまま治癒をすれば変な病気も治るかな?


 その後はうちの連中と挨拶を交わして全員で朝食を摂る。

 護衛の連中にも同じメニューを配膳させた。



「おお、これは美味!」


「でしょ?」



 細身の和装美男子らしからぬガツガツとワイルドな食い方をする黒柴。

 今日の朝飯は白米と玉子焼き、ベーコンエッグにタコさんウインナー、味噌汁にポテサラとサラダ。

 シンプルでとても良い。焼き魚と納豆があれば完璧だったんだが。



「で、シバ王はなんでうちに来たんだ?」


「はっ、サクラが早くここへ戻りたいというので護衛を兼ねて閣下にご挨拶をと」


「城に部屋を用意してもいいがどうする? シバ王だけはサクラと同じ部屋に寝泊まりするか?」


「いえ、朝食を頂いたら国へ戻ります。政務がありますので」


「忙しいのに無理して来なくても良かったのに……」


「閣下には疫病が流行った際には即座に医師団を派遣して頂き、それだけではなく惜しみなく貴重な医薬品をお譲り頂き、食料品なども支援頂きました。また交易によって我が犬人国だけではなく、亜人国家連合全体が豊かになっております。その御礼を是非に申し上げなければと亜人国家連合を代表して罷り越した次第」


「こちらも交易で大分利益が上がってるし、お互いメリットがあったってことで気にしないで良いんだが」


「受けた恩義はどんな小さくても心の石に刻み、施したことは水に流す。これは我が国の流儀でして」



 施されたら施し返す、恩返しです! とか言わないだけいいのかな。

 まあ非公式とはいえ、王直々に礼に赴いたってことで十分恩義は返したことになるだろ。

 しかしシバ王の見た目が若いな。二十代後半くらいに見える。

 亜人は見た目があまり変わらないとか?


 ま、さっさと飯を食って貰ってお帰り願うか。

 めんどくさそうだし。

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