エイナリッジの花束

白沢悠

不安な婚礼

 白亜の列柱は薄青く陰り、金枠の窓から光が差して、祭壇へと続く路ばかりがまばゆい。かすむほどに白く光に包まれた二人はなるほど神聖で幻想的で、しかし幼い頃の午睡で見た夢のように心を波立たせた。張り詰めた静粛が耳を打つ。

「この佳き日を迎えしことを深謝し、神王様の御前に申し上げます」

 重々しい祝詞しゅくしが聖堂に響く。サラファスは先走った祈りを抱かずにいられない。青い影の中、長椅子に預けた身を強張らせて、光差す祭壇の前に立った二人の一方を見つめる。

「このメルリーゼ・フィアダーマと――」

 さっと煮詰めた甘く香ばしい蜜の色の波打つ金髪、今は遠く伏せられてうかがえない眼は快晴の青。常日頃どちらかといえば簡素な服を好む姉もこの日ばかりは華美な衣装に身を包んでいた。滑らかな光沢のある薄布が幾重にも重なり、まるで埋め尽くすように配された刺繍と透かし模様は、けれど布地と同じ白で品位を損なわない。生来の色彩と揃えた金と青の装飾もよく合っている。感嘆めいたざわめきが密やかに聖堂を満たした。傍目には非の打ちどころなく祝福された花嫁の、その内心はしかし実の弟にも推し量れない。

「――クレオリー・エイナリッジ」

 メルリーゼが隣に立つ若者を見上げる。痩身に風変わりな装い。深緑の長い髪を後ろでくくり、上に光沢のある布の冠を載せている。ざわめきが困惑を帯びた。衣装も神聖な場に相応しく白を基調にしていたが、袖も丈も長い古風かつ異国風の型で、華やかさはないもののメルリーゼの衣装に劣らず装飾が多い。だがクレオリーと呼ばれた若者は気負う様子もなく、静かにメルリーゼを見つめ返したようだ。異質な装いがいっそ似つかわしく思われて、サラファスは戸惑ってしまう。

 二人が注目を集めているのを良いことに、両手の指先をそっと祈りの形に絡めた。薄青い影の中から眩く光る祭壇を見やり、ただ一人の姉と、ただの一度も会ったことのない義兄の幸福を願う。

「若き二人を、何卒、幾久しく御護りくださいますよう」

 祭壇に立つ神官の祝詞がようやく、サラファスの祈りに追いついた。


 晩秋の空が高く澄みわたる。その青に主とその姉の眼の色を思ってしまうのは、彼らと引き離されているためでもあるのだろう。共にロギエラ王国の貴族であるメルリーゼとエイナリッジ家当主の婚礼の儀は王都の大神殿で執り行われ、両家の護衛はいずれも聖堂への立ち入りを許されない。それはかつて六十年余り続いた戦乱の世、婚礼すらときに血で穢された時代の名残だ。

 ログナーは聖堂へ至る階の西側から、眼下に群がる民衆の動きを注視する。サラファスの護衛にして半ば目付役でもあった彼は、所領から王都まで主の供をし、婚礼の儀の最中である今は聖堂の警護に回されている。すべて、彼もその主も知らないうちに決まっていたことだ。

「――イェソド。お前は、知っていたのか?」

 隣に立つ青年に視線を向けて、すぐ前へと戻す。秋風にもそよがない硬い銀髪。ログナーと同じ黒緑に金の縁取りの、けれど比較的に新しい制服を着込んだ彼は、メルリーゼが唯一連れ歩く護衛だ。無表情に民衆をにらんだまま一瞥もくれない。

主様あるじさまは俺に、一言たりともご相談くださらなかった」

 しかし返答はあった。声音にだけはその悔しさが滲んでいる。

「すまない」

 ログナーは視線を動かさないまま、わずかに眉をひそめた。弟とその護衛に何も知らされないまま姉の縁談が進むことは、まだ、理解できる。だが当人の護衛、それもただ一人の護衛であり婚家まで連れて行く者にすら話を通さないとなれば話は別だ。ログナーはメルリーゼのあの華やかな微笑みを思い浮かべる。サラファスもそうだが、彼女もむやみに深謀遠慮を巡らせるような人物では決してない。

「今夜――いや、明日の早朝だ」

 唐突にイェソドの声がした。まるで真意がつかめない。思わずそちらを向いてしまえば相手もこちらを見返している。深い紫の眼は冷ややかに、しかしごくかすかに揺れた。

「主様がお目覚めになる前に、一人で宿房の裏に来い」

 断固とした、脅迫めいた調子。ログナーは返答に迷う。明日になれば彼とサラファスはフィアダーマ領に戻り、イェソドとメルリーゼはエイナリッジ領へ向かう。聞けば両家とも社交にうといらしい。出立前のこの機会を逃せば当分イェソドと会うことは無いはずだ。大神殿の宿房には人も多く、彼の配下も詰める。だが皆無ではない危険を冒させるだけの用件とは何なのだろう? メルリーゼの唐突な婚姻の真相はイェソドも知らないという。他に重大な用事があるというのか。

「扉が開くぞ」

 イェソドが言った。聖堂の扉がきしむ気配を、ログナーもまた察知していた。それが開けばメルリーゼとその夫が姿を現す。民衆は二人を一目見ようと動くだろうし、そこに不埒なことを考える者がいないとも限らない。だからこそ彼らはここにいる。

 ふいに日が陰った。秋雲が流れてきたらしい。ログナーは一つ息をつく。反論の機は逸した。正当な理由なくサラファスのもとを離れたくはないが――イェソドの要求を、呑むしかないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る