06 人に興味を持つものではない





 星音堂せいおんどうまでの道のりは、車で正味十分程度だ。そう遠くはない。

 事前に提出したされたという予算書を眺めて助手席に収まっているが、先ほどからチラチラを見てくる田口の視線が気になる。野原はそっと書類から視線を上げて、昨晩から気になっていることを尋ねた。


「お前はなぜ保住のそばにいる?」


「なぜって」


 ハンドルを握っていた田口は、戸惑ったように言葉を濁した。


 ——あれ? 答えにくい質問?


 野原は田口が詰まっている理由がわからない。答えにくいのかと思い、次の質問を続けた。


「澤井に預けられたからか? それともお前の意思か?」


 田口という職員は好青年。稀に見る真面目で素行が硬い男。だから、あんなだらしのない保住と一緒にいる意味がわからないのだ。嫌にならないのだろうか。単純に思い浮かんだ疑問だ。しかし田口は眉間に皺を寄せたまま緊張した面持ちで答えた。


「それは、お答えしなければいけないのでしょうか」


 ——ああ、そうか。答えたくないのか。


 野原は彼の心情を理解し、頷いた。


「いや。おれの興味本位だ。答えなくていい」


「では反対にお聞きします。野原課長はなぜ振興係がお嫌いなのでしょうか?」


 ——無理もない。昨晩のようなことでは。田口はおれたちが嫌い。しかし、おれが田口たちを嫌いだって?


 野原は目を細めて田口の横顔を見つめた。


「嫌いとはなんだ? 意味がわからない」


「え……」


 思わぬ返答に田口が目を丸くする番らしい。さっきまでの堅い表情はどこかに消え、少しオロオロとした表情だ。


「いや。だって振興係ばかり書類のダメ出しをしていませんか?」


「それは問題があるから、『ある』と述べているまでだ」


「ですが。……では、保住係長がお嫌いなのでは?」


 ——嫌い? 自分は保住が嫌いなのか? いや。そうではない。


 嫌いという感情はない。


「なぜそうなるのだ」


「えっと、なんというか。つまり、その」


「お前がなにを言いたいのかわからない。おれは保住の文章の書き方が好きではないだけだ。自信があるようだが、はったりが含まれている。確実に決済をもらいたいなら、もう少し慎重な文章作りがいい」


 ——そう。そこ。もったいない。素行もそうだが、文章も。


 野原の目から見ると、もう少し慎重さがあってもいいと思うのだ。まあ彼の場合、それを意図して行なっているということもあるが、そういうことだけで通るものでもない。好みの問題なのかも知れないが、野原はそういうものは好まない。


 やはり仕事は地道。適切に取り組んでいくのがいい。保住にはいろいろなものを吸収する能力がある。だからこそ、野原のやり方もその一つとして理解して欲しいと思っているだけだ。田口がなぜそんな風に受け取っているのか、野原には理解できなかった。


「じゃあ、企画書に待ったをかけて通さないのって、保住さんが嫌いとかじゃなくて……」


 田口は弱った顔をして野原を横目で見る。


「お前はおれが嫌がらせをしていると思っているのか?」


 田口は恐縮してしまうのか、オロオロとする様子が激しくなった。


「いや。……すみません。そう思っていました。嫌がらせなのかと」


 ――ああ、そういうこと。嫌がらせだと思ったのか。


 野原はため息を吐いた。


「安易。保住のこと嫌いも好きもない。槇は巻き込みたいみたい。だけどおれは、正直関係ない。自分に課せられた仕事をするだけのこと」


 ——疲れた。


 野原はそれっきり口を閉ざした。槇以外の人間と話をするのは、大変労力がかかった。最初から理解不能な相手とは、話をそこそこにする。長く深く話しても理解出来ないことが明らかだからだ。しかし田口は他の人間とは少し違っていた。彼の思考は単純。だから、もしかしたら理解できるのかもしれないと思ってしまったのだ。


 だがそれもまた、よくわからないこと。相手を理解する行為自体が、人よりも労力がかかるため疲れてしまう。いつもそうだ。話そうとしても疲れてしまって諦める。それの繰り返しだった。


 「人に興味など持つものではない」と内心思った。


 野原はそっと視線を外に向ける。田口は彼の気持ちを察してくれたのか。それ以降、口を開くことはなかった。




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