天が落ちてくる

フロクロ

天が落ちてくる

あ、完全に終わった。


終了のチャイムとともにそう思った。


別に、高校入試に人生を賭けていたわけではない。むしろ、高校なんて別にどこに行ったって同じ、と斜に構えていたくらいだ。しかしいざ結果がボロボロだとわかると、後悔と虚脱のちゃんぽんのようなものがお腹の内側にどばっ、と湧いてきた。


答案の回収された机を眺めて何分経ったのだろう。気づけば教室は空で、私だけ取り残されていた。窓の外を見やると地獄みたいな雨が降っていて、まだ13時なのにあたりは真っ暗だった。

雷、暴風、轟音。

天が落ちてくるんじゃないかと思った。「落ちる」なんて縁起悪い、と一瞬思ったが、今の私にはもうどうでも良かった。何もかもどうでも良かった。そのときの私は無敵だった。


ここにいても仕方がない。理性で身体を鞭打って教室を後にした。誰もいない冷たい廊下を抜け、カビ臭い昇降口で折りたたみ傘を取り出し、外に歩みを進めた。すると、5秒。わずか5秒だった。傘がひっくり返り、横殴りの雨が制服をぐしょぐしょに濡らし、靴の中が海になった。


あ。


同時に、自分の中の何かが決壊して、涙がぼろぼろ溢れてきた。


うわぁ、なんだこれ。


ゲリラ豪雨、あるいは硝煙弾雨。


死に体で戦場を抜け出したら伏兵に心まで蜂の巣にされてしまった感じがして、わけもわからず泣いた。

雨で涙を見られないのだけが救いだった。


くしゃくしゃになってしまった傘を乱暴に捨てて、駅の反対側に向って歩き始めた。とにかく現実から遠い場所に行きたかった。轟音を立てて雨が降っていたので、私も大声を叫びながら歩いた。


「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

「あ。」


ピタ、と私の歩みが止まった。誰もいない路地裏に、一人の少年──小学校……高学年?中学生1年生くらいかもしれない──が、しゃがんでこっちを見ていたのだ。この雨で、傘も差さずに。


なぜこんなところに一人で?なぜ傘を差していない?なぜこっちを見る?あ、それは私が大声出してたからか……


いろいろな疑問がぐるぐると湧いて、長い間見つめ合っていた気がする。そして、雨の中ぐずぐずになっている彼は、私にはどうも他人のように思えなかった。


「少年、迷子か?」


気づいたら話しかけていた。突然話しかけて、ヤバイやつじゃないか、と少し焦った。


「…………」

沈黙。少年は目を伏せて何も答えなかった。


「……家出?」

「…………」

再びの沈黙。彼の表情がくちゃくちゃになっていくような気がした。何か、私の質問は彼の個人的な苦痛をずけずけと踏みにじっている感じがして、申し訳なくなった。次もだめなら素直に引き下がろうと思い、最後にこう訊いてみた。


「もしかして、君も突然人生が無理になったクチか?」

「…………」

しばしの沈黙の後、少年はゆっくりと頷いた。


その瞬間、優越感というか、連帯感というか、あるいは庇護欲のようなものがムクムクと私の中に膨らんできて、思わず悪い笑顔がこぼれた。雨が少しやんだ。


もう、そのときの私の中は妙な計画でいっぱいになっていた。


「よし、その様子だと昼もまだだろう。ついて来なさい。」

道端の少年をナンパするなんて、不審者以外の何者でもなかったが、なにせ、そのときの私は無敵だった。

「どうせ行く宛もないんでしょ。私もないんだ。」

少年は少し悩んで、ゆっくりと立ち上がった。


私は少年の手を引き、踵を返し、入試会場を通り過ぎ、駅前のハンバーガーショップに入った。そして濡れた前髪をおでこに貼り付けながら店員にピースし、高らかに叫んだ。

「テリヤキバーガー……のセットをふたつ!」

無敵なので、ちょっと贅沢した。


ふたりは、出てきたハンバーガーを無言で食べた。雨に濡れた全身が寒くて、もはや味はよくわからなかったが、夢中で食べた。食べ終わって店を出た後、私は少年の声を初めて聞いた。

「あの、ごちそうさまです……」

少年は、礼儀がなっていた。

「はい、まいど」


その後、ふたりで日が暮れるまで駅で遊んだ。大きい駅ではなかったが、ゲーセンもあったし、たいやき屋もあった。もらって間もないお年玉を入れた財布が空っぽになってしまったが、それすら気持ちよかった。


私達は無敵だった。


「少年、こっから家まで帰れるか」

「うん」

「まぁ、あんまりクヨクヨしすぎると、健康に良くないからさ」

どの口が言う、と自分で笑ってしまったが、そのとき雨はすでにやんでいた。


結局、彼の名前も、なぜあそこにいたのかも、何も訊かなかったし、彼も私に何も訊かなかった。それでいい気がした。




後日、入試の合否を確認したら受かっていた。


案外そんなもんである。





この話は、お題を決めて複数人で小説を書く会「小説を書くやつ」で決まったテーマに則って書かれたものです。

第1回のテーマは、ランダムで出てきた3つの四字熟語「高校入試・硝煙弾雨・他人行儀」となります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天が落ちてくる フロクロ @frog96

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説

追憶

★6 SF 完結済 2話